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このコーナーの前回に明記させていただいたように、ペンギンブックからの出版に関する契約からは、完全に著者である僕がハズされています。校正すらさせていただいていませんので、どんな本に仕上がっているのかもわかりません。
このことに関して、ものすごく責任を感じると同時にもうしわけなく思っています。
誰に対してそう思っているかと言えば、日本のマンガ家さんたちに対してです。
結果的にしろ、このような著者の無権利状態での出版を許してしまった僕の責任は大きいでしょう。
今、改めて思い起こせば、この作品を描く僕は描いているときも描き終えてからも迷走状態の中にいました。少し、振り返ってみます。
清水ハン栄治氏が起こしたこの伝記マンガプロジェクトは、
アメリカで伝記マンガ専門の出版社を起こし、日本人の手による日本のマンガで世界の偉人の功績を広めていく、迫害のない世界をめざす人権と自由をテーマにしているというもの。
プロデューサー清水ハン栄治氏のそんな高い志から生まれた出版プロジェクトでした。
この出版不況の中で、世界を相手に出版社を起こすなど、うまくいくのか…。
マンガ家に原稿料を払い、出版のための印刷費を払い、宣伝をうち、販売ルートを開拓していく…そんな大変なことが、うまくいくわけがない。赤字を抱え込むだろうことは、予想がつきました。
それでも、その志と勇気ある開拓精神に心をうたれた僕は、とても安い原稿料にもかかわらず、この仕事を引き受けてしまいました。
責任重大です。いい作品に仕上げなければ、清水氏の出版社は、売れない本を抱え込み販売のしようがないことになる…。
この世界的出版不況の中で、大変な船出をしようとする清水氏らの思いを僕の作品の出来が左右する。
しかも、僕が描くのは「ダライ・ラマ14世」。いまもなお、解決しないチベット問題に非暴力で向かっておられるその人と、チベットの人達の思いを描くことになるのです…。
海外を舞台にしたはじめての僕の作品が、はたして海外で通じるのか僕のこんな絵で受け入れられるのかという重圧も加わり、僕の筆はなかなか進まず、迷走状態へと落ち込んでいきます。
でも、大切なのは、僕が、すこしでも、そして可能な限り、ダライ・ラマ14世の声に近づき、チベットの多くの方達の願いに近づくことだと気づきました。
作品がそれらの声を表現できるまでとことんのめり込んでいく必要があります。いや、それしかありません。シナリオ作りも絵付けもど〜んとのめり込み難航していきます。
結果、〆切は大幅に伸び、何度も、清水氏にご迷惑をかけてしまうことになりました。
このブログの中の「ダライ・ラマ14世関連」のコーナーには、執筆当時の僕のその迷走状態がわかるように当時書いた日記を創作ノートのようにして集めまとめています。
ま、そんな中で、資料を集めてくださったり、ダライ・ラマ日本代表部事務所と何度も連絡を取り合い、僕の描いたネームの内容確認や承認作業などしてくださったりと、プロデューサー清水氏の果たして下さった役割は、とてもおおきいものでした。
国内だけで仕事をしていた僕には分からないことだらけで彼にかなり助けられ教えられました。
そこには、一緒に本を出す連帯感がありました。
そして、完成した作品は、けっして清水氏の出版社の足を引っ張る出来ではないし、チベット問題の理解を広げる為の役割は、はたせているのではないかと思っています。
自分が描ける能力以上の頑張りで完成することが出来たと自負してもいます。
事実、この作品は、チベット語やロシア語に訳されチャリティ出版をかさねているし、これからもいろいろな人達の思いと祈りを載せて出版されていくでしょう。
清水氏の出版社も健闘していますが、やはり独自の出版活動は赤字でしょう。
僕も、それらの出版活動に印税などの利益は求めていないし、今後も求めるつもりはありません。
著者に還元出来る利益が生じたら、還元してほしいとは、伝えましたが、この困難な出版活動では、それも期待してはいません。
そんなことよりも、この本が持つチベット問題への役割が大きく展開してくれることのほうが大事です。
そう言う意味で、清水氏の会社を応援し続けたいと思っています。
ただし、ペンギンブックのような大手に僕の作品をあずけての出版は、清水氏の出版社が資金から販売ルートまでさまざまなことすべてをつくりださないといけない独自の出版活動とは大きく違います。
やはり、ペンギンブックとの間に著者である僕と清水氏の出版社とが、きちっと契約書をかわす必要があったハズなのです。この場合の著者である僕の契約対象は、清水氏の会社ではなく、ペンギンブックになるわけですから、そうしなければならないのです。
こうした大手からの出版で、著者が無権利状態になっていいハズがありません。
そういう意味では、僕の原稿があがってからはプロデューサーである清水氏の迷走がはじまっているといえるのかもしれません。お互いに初めての出版です、それぞれがそれぞれの立ち場から迷走状態に陥っても不思議ではありません。
たとえば、
「伝記マンガ ダライ・ラマ14世」の日本語版の1回目の校正刷りを見て驚かされました。
僕の書いたセリフやナレーションが清水氏によって、かなり勝ってに書き換えられていたのです。
このまま本になってしまうと、とても物語として流れませんし、読めません。
結果、校正作業は、勝ってに変えられた文章を僕の文章にただす作業に追い回されることになります。
一番驚いたのは、
「1959年3月10日」というチベット民衆蜂起の歴史的記念日とされている日付が
「3月11日」と勝手に書き換えられていたことです。その後の「3月11日」も「3月12日」と書き換えられていました。
まさかの書き換えです。もし僕が気づかずこのまま印刷されていたら、大変なことになっていました。
清水氏は、17日の脱出まで時間が刻々と過ぎる表現をしたくて、つまり、すこしでも良い作品にしあげたいという思いが勝ちすぎて、思わずそうしてしまったようです。勝手な書き換えは、すべてそんな思いが高じた結果でした。清水氏にとっては、これが初めての大手出版社からのマンガ出版でもあったわけですから、すこしでもいいものにしたいという想いが勝ちすぎても不思議ではありません。
また、海外版ではラストの展開が日本のマンガを読み慣れていない外国の人には
わかりずらいということでページの順序を変えられていた(僕は事後承諾済み)のですが、日本語版では僕の原稿どおりに戻しました。
それも戻すことへの了解を得るのに一苦労!そんなこんなで、著者は誰なんだ〜!と、僕は眠れぬ夜を重ねます。
契約問題でも清水氏にとっては初めてのマンガ出版なので、信じられないことばかり起こりましたが、やはりそのときも、著者はだれなんだ〜!と眠れない夜をかさねてしまいました。
ただ、問題が生じれば、その都度、僕は清水氏に、ときには厳しくときにはやんわりと、生じた問題の本質を指摘してきましたし、清水氏は、その都度、本を出 すというこ との基本的 なことがらを理解し真摯に対応してくださいました。清水氏にとってもこれらの日々は、本をだすことの意味を問い直す発見の日々であったと思います。それ は、創作時に僕が彼に助けられたことなども考えればお互い様のことでした。お互いの迷走をお互いの立ち場から助け合うことでもあったのです。
ただ、僕らマンガ家たちに何の相談もせず、マガジンハウスからのシリーズ出版の中止を勝手にひとりで決めてしまわれたことは、清水氏から相談でもあれば何かアドバイスできたのですが残念で仕方ありません。そこにどんな複雑な事情があったかはわかりませんが、僕らシリーズ出版の著者であるマンガ家みんなと相談すればいろんな道が開けたハズでした。
僕は中止を決めたのはマガジンハウス側だと思い込んでいただけに、この事実を今年に入ってから知り大きなショックを受けました。
このシリーズ出版があるとないとでは、マンガ家がこのプロジェクトに参加する条件が大きく変わってしまいます。急な事すぎて、このときの清水氏の迷走に助言も何もできなかったことが悔やまれて仕方ありません。
出版というものは、著者と共に育て上げていくものです。そういう連帯感が清水氏にはなかったということになってしまうのでしょうか。
今回のペンギンブックからの出版にも、それが言えます。
最後に、第39回日本漫画家協会賞選考委員の選評の中に見つけた次の一文をご紹介させていただきます。
「なお私は、英語版の出版が先行していたさいわい徹氏の「ダライ・ラマ14世」の伝記漫画を
特別賞に推したが、優秀賞に推す票もあったのは嬉しい。
受賞は逸したが、ペンギン・ブックに収録される初めての日本マンガとして特記しておきたい」
改めてこの選評を読みますと、もう、これは、僕個人の問題ではないようです。無権利状態での出版になってしまったことに改めてとても大きな責任を感じています。
まずは、マンガ家のみなさんへの現状に対するお詫びまで。
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