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20代の頃に書いた「白土三平マンガの魅力」の後書きで、白土先生と人形劇との関係についてすこしだけふれています。このブログでのこの本の紹介はもう終了しようと決めていたのですが、おもしろいので、そこだけアップしてみます。
何度もひつこく書きますが、20代の頃の文章です。割り引いてお読み下さい。
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ー前略ー
昭和23年、中学を出た白土さんは、加太こうじさんの元で紙芝居の絵を描くようになります。父から学んだ絵と思想は、この紙芝居の世界で更に発展していくこととなりますが、私の興味をひいたのは、その頃のもう一つの仕事の場でもある人形劇団「太郎座」での3年間の生活でした。
人形劇という仕事は、私も経験がありますので、どんな生活かは想像がつきます。学校公演ともなれば、トラックに照明器具や、セット小道具等積んでいき、その講堂に舞台を組み立て、1回1時間少し位のお芝居を、1日2〜3回して、終わればまた、組み立てた舞台をバラし、トラックに積んで次の学校へと向かうのです。
それは、かなりの肉体労働であり、しかも重労働です。しかし、子ども達との直接の関わりのなかでのその創造活動には、今のマスコミにはない何かがあります。私にも経験がありますが、見終わった子ども達が、私達のそばに寄ってきて、また来てねと言ってくれる時の歓びといったら、何にもかえがたいものです。白土さんが、その人形劇団でどんな仕事をされていたのかは知りません。セットの絵(背景画)を書いていたとも聞きます。しかし、マスコミとは対照的なこうした創作活動の経験が、今の白土さんの作家としての姿勢に何らかの影響を与えているとも考えられなくはないのです。
ましてや、その劇団のメンバーの中に、全国にある民話への探訪を行いながらの民話運動で有名な瀬川拓男さんや、後の児童文学者、松谷みよ子さんがいたとなれば、お互いによく似た年齢でもあり、創造的な刺激をしあって当然でしょう。
瀬川拓男さんの民話論「変身と抵抗の世界」(一声社刊)などを読みますと、白土さんとの共通の土の臭いに出会います。松谷みよ子さんの「竜の子太郎」(講談社刊)の世界には、雄大なロマンがあり、それは白土さんの世界とも重なってみえるのです。
もっとも、これは、瀬川さんらの、各地を尋ねての民話探訪の地味な活動と、歴史の一つ一つを土の中から掘り起こしていく白土さんの創作姿勢とに共通点を感じる私の勝手な想像にすぎないのかも知れませんが…。
その後、瀬川さんとケンカ別れ(?)をした白土さんは、紙芝居の衰退もあって、貸本まんがの仕事にと入っていくわけです。
その人が、どのような人たちとどのような青春を送ったかということが、いかに大切かはいうまでもありません。私は、私の推測でもって、白土さんの人形劇団「太郎座」での3年間の生活のそれなりの重要さを思わずにはいられないのです。
ー後略ー
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僕自身人形劇の仕事をしていた経験からの、なんとも一方的な推測記述ですが、白土さんについてこのことを書いているマンガ論や文章に出会ったことはありません。
ま、貴重といえば貴重な記述かも(笑)
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