マンガ家の奇妙でワンだふるな日々

山奥に自作の家を建て、犬や猫たちと暮らすマンガ家の作品紹介と日記

白土三平マンガの魅力

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20代の頃に書いた「白土三平マンガの魅力」の後書きで、白土先生と人形劇との関係についてすこしだけふれています。このブログでのこの本の紹介はもう終了しようと決めていたのですが、おもしろいので、そこだけアップしてみます。
何度もひつこく書きますが、20代の頃の文章です。割り引いてお読み下さい。

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                   ー前略ー

 昭和23年、中学を出た白土さんは、加太こうじさんの元で紙芝居の絵を描くようになります。父から学んだ絵と思想は、この紙芝居の世界で更に発展していくこととなりますが、私の興味をひいたのは、その頃のもう一つの仕事の場でもある人形劇団「太郎座」での3年間の生活でした。

 人形劇という仕事は、私も経験がありますので、どんな生活かは想像がつきます。学校公演ともなれば、トラックに照明器具や、セット小道具等積んでいき、その講堂に舞台を組み立て、1回1時間少し位のお芝居を、1日2〜3回して、終わればまた、組み立てた舞台をバラし、トラックに積んで次の学校へと向かうのです。
  それは、かなりの肉体労働であり、しかも重労働です。しかし、子ども達との直接の関わりのなかでのその創造活動には、今のマスコミにはない何かがあります。私にも経験がありますが、見終わった子ども達が、私達のそばに寄ってきて、また来てねと言ってくれる時の歓びといったら、何にもかえがたいものです。白土さんが、その人形劇団でどんな仕事をされていたのかは知りません。セットの絵(背景画)を書いていたとも聞きます。しかし、マスコミとは対照的なこうした創作活動の経験が、今の白土さんの作家としての姿勢に何らかの影響を与えているとも考えられなくはないのです。
 ましてや、その劇団のメンバーの中に、全国にある民話への探訪を行いながらの民話運動で有名な瀬川拓男さんや、後の児童文学者、松谷みよ子さんがいたとなれば、お互いによく似た年齢でもあり、創造的な刺激をしあって当然でしょう。
 瀬川拓男さんの民話論「変身と抵抗の世界」(一声社刊)などを読みますと、白土さんとの共通の土の臭いに出会います。松谷みよ子さんの「竜の子太郎」(講談社刊)の世界には、雄大なロマンがあり、それは白土さんの世界とも重なってみえるのです。

 もっとも、これは、瀬川さんらの、各地を尋ねての民話探訪の地味な活動と、歴史の一つ一つを土の中から掘り起こしていく白土さんの創作姿勢とに共通点を感じる私の勝手な想像にすぎないのかも知れませんが…。
 その後、瀬川さんとケンカ別れ(?)をした白土さんは、紙芝居の衰退もあって、貸本まんがの仕事にと入っていくわけです。

 その人が、どのような人たちとどのような青春を送ったかということが、いかに大切かはいうまでもありません。私は、私の推測でもって、白土さんの人形劇団「太郎座」での3年間の生活のそれなりの重要さを思わずにはいられないのです。

                   ー後略ー

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僕自身人形劇の仕事をしていた経験からの、なんとも一方的な推測記述ですが、白土さんについてこのことを書いているマンガ論や文章に出会ったことはありません。
 ま、貴重といえば貴重な記述かも(笑)

イメージ 1

20代の頃に書いたものなので、今の僕の考え方とは違う箇所も多々あります。
従って、この単行本に書いたことをこのブログにアップする必要も、もうあまりないのですが、今回、残酷描写について、少し考えるところがあり、そこだけ部分的にアップして、このコーナーの最後とします。

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第三章 「美しさと残酷さ」

  ー前略ー
 
先ほど、「バッコス」の一場面をみたように、いくつかの白土作品から、さまざまな残酷シーンをとりあげてみましょう。そこから、劇画における残酷描写の果たす役割と可能性について探ってみたいと思います。
 まずは、「忍者武芸調・影丸伝」(十二)の中での明美の死の場面です。

 信長にとって、一揆軍を率いる怪忍者影丸の存在は、どうしても消さねばならない存在でした。
そこで、剣士結城重太郎に影丸を討たせるべく信長は策を練ります。
 それは、重太郎の子を身ごもっている明美を殺し、それが影丸のしわざとみせかけ、重太郎に影丸への仇討ちをさせるというもの。

 明美を殺害するべく忍者達が、林の中に身を隠しています。その忍者の中には、重太郎に想いをよせる蛍火もいます。やがて、明美を乗せた輿が近づくやいなや、輿の中に打ち込まれる槍。襲いかかる忍者達。明美は、重太郎の名を叫びながら輿の中からとっさに逃げます。
 意外なほどの体術を持つ明美のすばやい動きに、忍者達は一瞬明美の姿を見失います。が、身ごもっていた明美は流産症状をきたし、そのために発見され、再び攻撃の中へ。
 必死で逃げる明美。片腕を切り落とされ、胸を刀で差し抜かれ、無数の手裏剣で体を切り刻まれ、それでも前へと走りながら明美は逃げます。
 やがて、走る明美に蛍火達の刀がいっせいに振り下ろされ、明美の体はバラバラに飛び散るのです。

 確かに残酷な描写が続きます。でも、切られても切られても逃げようとする明美の姿には、重太郎への強い愛ゆえの生への執着が表現されています。そこに、無数の肉片と化して飛び散る瞬間まで生きていた明美の愛の美しさがあるのです。
 蛍火は、明美のバラバラになった死体を前に殺害者でありながら涙します。それは、重太郎の悲しみを想ってか、あるいは、ここまで重太郎を愛した明美の姿にうたれたのか、あるいは、自分のこのような役目に涙したのか。どちらにせよ、蛍火は明美に完敗したのです。
 私は、死の瞬間まで生きようとする明美の姿に、個人の命を簡単に殺害しようとする権力者信長の敗北さえも見た想いがします。

「カムイ伝」(第69回)では、逆に個人の死が空回りする悲劇が展開されています。
一揆の後、死を覚悟して正助たち一揆の首謀者
          
                   ー以下略ー

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残酷描写とグロとは違います。 
そのことを分かりつつ、それでもやはり僕には、残光描写が描けません。
なぜ描けないのかというと、いろんな意味で力量不足だからです。

そのことをやはり僕は今後の課題としていく必要もあるのですが、しかし、残酷描写抜きで表せる世界のあることも同時に探っていきたいと想っています。
そのことの大切さをみつめていくのが、僕にあった表現方法かもしれません。

「ダライ・ラマ14世」を描き上げて、今そんなことを見つめ直しています。

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 さて、この「カムイ伝」は後半近くになってますます絵画としての深みを増してきます。
物語中の人々の、苦悩する表情には、そのタッチ、構図、ポーズにと、すばらしいものがあ
り、その絵をみているだけでドラマチックな世界を感じさせます。
 それは、私に、シェークスピアやゲーテの世界を好んで絵画化していったドラクロワの世
界を想い起こさせるのです。
 例えば、ドラクロワの石版画集「ハムレット」では、ハムレットのうつろな表情、怒りの
表情が、的確なポーズと構図によって絵巻物のごとくその悲劇を展開しています。
 私は、以前から、文学と絵画のこの一体となった世界に、劇画のあるべき原点のようなも
のを感じていました。
 「カムイ伝」第71回の、一揆の指導者として自首し、拷問に耐える正助達の表情には、
その時代の百姓の恐るべき意志と、日置数百ヶ村を代表する引くに引けない苦悩とが表現さ
れています。7年間の連載で読者が観てきた封建制度下での百姓の全生活をも、この表情は
感じさせるのです。ちょうどそれは、ドラクロワの油彩画「オフェリアの死」が、ハムレッ
トの悲劇を一枚の絵として感じさせるかのようにー。

 シートンの描く動物も、白土絵画に大きな影響を与えているようです。白土さんが、シー
トン動物記をマンガ化して以来、白土さんの描く動物や自然には、驚くほどの正確さが現れ
ます。シートン動物記を書いた同じ頃、白土さんは、山川惣治さんの「少年王者」もマンガ
化しています。そこに描かれている動物には、やはり絵物語としての山川惣治さん自身の絵
のイメージがダブってきますが、シートンの時と同じように、このマンガ化はこれから後の
白土さんの、動物や自然の描写にかなりの影響を与えたように思います。特に、最新作のひ
とつである「サバンナ」(「ビッグコミック」掲載)という作品では、山川惣治さんのよう
な繊細な絵がダイナミックな動きと共にアフリカを舞台に展開されています。
 
 白土さんの絵をみていますと、まだまだいろいろな画家の名が浮かびます。当然、白土さ
んの父である画家の岡本唐貴さんの影響も大きいでしょう。でも、私は残念ながら、岡本唐
貴さんの絵を、ほとんど知りません。造形社から出ている「日本プロレタリア美術史」の中
の数枚の油絵と、日本美術会発行の「美術運動・戦中のデッサン集」の中の数枚のデッサン
しか知らないのです。
 でも、正確なデッサンと、主にストライキを描いたその絵の、群衆の描き方には、やはり
、白土さんと共通の力強さを感じます。日本プロレタリア美術聯盟の構成員として、当時の
弾圧の嵐の中で描き続けたその父の、絵に、思想に、白土さんが影響を受けないはずはない
のです。

 このように、すぐれた画家のすぐれた絵画の精神と技術を学び、それを更に劇画の世界と
して発展させ、拡がりと深まりを増していく白土絵画の世界は、従来のストーリーマンガの
絵に対する認識を変え、映像文化としての劇画の位置を高めたと言えます。
 それはちょうど、手塚治虫さんが、はじめてマンガの中に映画の世界を取り入れた人であ
るように、白土さんは、マンガの中に、絵画の世界を取り入れた最初の人と言えるのではな
いでしょうか。

 白土絵画の魅力はしかし、映画的手法と一体となってこそ、その本領を発揮します。そこ
に純粋絵画と劇画に、絵としての質的な違いがあるわけですが、再び「カムイ伝」における
いくつかの場面をあげながら、今度は、映画的手法の持つ効果をも考え合わせながらみてい
くことにしましょう。

 豪雨の中を馬にまたがった竜之進が走ります。目的地は日置城。一揆の起こりそうな気配
に、権力者たちは、正助ら百姓のリーダー的存在を、保護検束という名のもとに逮捕し、竜
之進はその正助を助けるべく単身日置城へ向かったのです(「カムイ伝」第37回)。
 雨をけちらしながら走る馬の足元が、横から、前からとアップで描かれ、時には俯瞰的に
小さく、時には後ろ姿として、あらゆる角度から連続的に馬上の竜之進が描かれ、同時に、
日置城までの距離と時間が描かれます。
 やがて、こちらに向かって、刀をやや抜きかげんにした馬上の竜之進が大きくアップで描
かれ、次のページでは1ページ全体を使って、日置城を目前に走る馬上の竜之進の後ろ姿と
雨の向こうにそびえる日置城とが、同じ位の大きさと比重で描かれています。やがて城門に
たどりついた馬の足元が描かれ、「開門!開門!」と叫ぶ馬上の竜之進の姿が大写しとなり
ます。でも、ドドーという擬音と共に描かれた雨の音は、竜之進の叫びを消し、無表情な日
置城の数カットが、竜之進を黙殺します。やがて、馬もろともに竜之進はくずれるように倒
れ伏してしまうのです。倒れた竜之進を、城門の屋根ごしにカメラはとらえます。そして、
カメラの位置は徐々に高くなり、小さくなっていく竜之進とは反比例に、日置城の全体像が
大きく描き出されていきます。やがて、日置城の天守閣の屋根ごしに、アリのように小さく
描かれた竜之進と、大きくそびえる日置城の全体像が大俯瞰で描かれ、無言のうちに「カム
イ伝」第37回は幕切れとなるのです。

 映画でいうならカメラワークというのでしょう。この巧みなカメラの移動によって、権力
の象徴としての日置城の侵しがたい大きさと、竜之進の個人としての無力さが浮かび上がっ
てくるのです。同時に、この後も続く竜之進の武士としての苦悩と宿命をも暗示しえている
と言えます。(竜之進は、元日置藩次席家老の遺児。目付の策略のもとに御一門払いとなり
、この頃、仇を討つべく百姓の内に身をおきながらその機会をうかがっていたのですが、仇
討ちの無益さと自身の生きる目的に苦悩してもいました)。
 さらに、大胆なタッチで荒々しい陰影を伴って描かれた日置城の不気味な姿は、他の劇画
家にときどきみるような、きれいな線で囲むように細部までていねいに描かれた貯金箱のよ
うな城ではなく、人々を威圧し、人々を支配する権力としての本質をみごとに描き出してい
ます。
 このように、映画的手法が加わり、白土絵画は、「劇画としての映像世界」へと昇華され
ていきます。つまり、カメラワークの巧みな使用によって、数枚の絵の流れの連続が一つの
テーマを生み出し確かな絵画力がそれを深めていくのです。
 劇画の中の一コマとしての絵の持つ役割は、だから、純粋絵画のそれとは質的に異なって
くるわけです。

 さて、その映画的手法が、ふんだんに使われているのは、やはりラストの一大一揆のシー
ンでしょう。百姓と武士の乱闘シーンが100ページを超える分量で、延々と描かれている
のです。
 百姓をはさみ撃ちにしようと武士達が、両側の高台から駆け下りていくシーンが、やや俯
瞰で描かれ、次のページを開くと、ワーッという叫びに、驚きふりむく武士達の姿がアップ
され、次のコマでは、百姓をはさみ討ちにしたつもりの武士達めがけて、武士が駆け下りた
高台よりも更に高い所から駆け下りていく百姓の何万という姿が大俯瞰で描かれています。
「しまった、これでは逆ではないか!」と驚く武士達の顔がアップされ、高台を駆け下り、
武士達めがけて進撃してくる百姓達の姿がそれにかぶさっていきます。遠くから、こちらを
めがけてだんだんと大きく近づいてくる百姓の進撃は、スペクタクル映画を観ているような
迫力に満ちています。が、更に次へと読み進むにつれて、それはもう映画では表現出来ない
スケールと迫力を持った、絵画的世界になっていることに気づくのです。

 もしこれを、人間の役者を使って表現しようとしたら、どうなるでしょうか。一貫目筒と
いう大砲のような銃で、五体バラバラに吹き飛ばされていく百姓。手が飛び、頭を割られ闘
う人々。役者の頭数をそろえるだけでも大変なのに、絵の持つ、こういったリアルな表現を、
生身の役者では、とうてい出来ないと想うのです。かりにできたとしても、絵の持つリアリ
ティーをどれだけ超えられるか疑問です。

 でも、この乱闘シーンは単に、迫力だけを読者にサービスするためのものではありません。
徳川幕府の圧政の下で、人々がわずかな生活と権利を守るために、どれだけの犠牲を強いられ
たかということが、この延々と続く一揆の描写に語りこめられているのです。
 
 以上、みてきましたように、白土絵画の魅力は、その本質に迫ろうとしますと、ストーリー、
テーマと関わらざるを得ません。劇画の絵なのですから、それは当然のことです。
そこで、次に、白土作品の物語としての魅力を探ってみることにしましょう。奥深い思想と、
豊かな表現と展開をみせるその世界を、私は「白土文学」と呼ぶことにします。

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僕がまだ20代の頃とはいえ、前回と今回の再録を読み返すと、よくもこんなに浅い知識と考察
で独断的に書いたものだとあきれてきます。
怖い物知らずな僕の決めつけに当時の編集者さんがなんにもいわなかったのが、やはり怖い。
さらに、僕の初めての文章仕事なのだから、もっと編集者さんが手をいれたり、アドバイスを
してくださるのだと思っていたのですが皆無。
出版してから、戦々恐々としていたのを思い出しました。
あの頃は、今ほどふてぶてしくなかった(笑)
今改めて読んで、白土三平先生に対してものすごく失礼な決めつけをしているにもかかわらず、
何もおっしゃらなかった白土三平先生にただただ感謝しております。
そこには、編集者さんが赤目プロに通いながらいろいろ働きかけてくださった配慮があったのか
もしれません。

   

これは僕がまだ20代のころに書いた白土論です。
出版社も、もうありませんし、この単行本自体絶版になっています。
若さゆえか、かなりいきがった文章となっていますし、意味不明な言葉や、唐突な結論、
観念的な文章、ひつこい繰り返し、今となっては間違ってるぞってツッコミを
いれたくなる文章もあります。
が、そのまま再録して恥をかきましょう(笑)

なお、単行本は白土三平先生の絵や他の画家の絵なども載せながらそれらと一体になって
視覚的にも分かりやすく展開しているのですが、
ここでは絵や図は載せられませんので、その分わかりにくいかもしれません。
言い訳がましいなあ(笑)

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第一章 大きな河の流れのごとく ー白土まんがの魅力ー

 闘いの火ぶたは切って落とされました。
日置数百ヶ村の百姓が、商人と幕府の陰謀に対して、自分たちの生活を守るため、
ついに立ち上がったのです。山を越え、森を抜け、川を渡り、百姓達は集まりきます。
何万というその百姓の怒りに満ちた行進のなかに、やがて一人の巨人(山丈)が、
すっくとたたずみ叫びます。「カムイ」と。
 その叫びは、巨大な百姓のエネルギーを称えるかのような、山丈の深い感動を
伴った響きで、権力者側の人間を威圧します。
 これは、白土三平さんの大作「カムイ伝」のラスト近くに起こる大一揆のシーンです。
いろんなアングルからとらえられた群衆シーンの描写はすさまじく、2ページ分いっぱい
を使って描かれた、群衆のなかにたたずみ叫ぶ山丈の巨大な姿は象徴的です。

 1964年9月に始まったこの大作が第一部を完結したのは、1971年3月。
発表誌は、月刊漫画雑誌「ガロ」(青林堂発行)。
 私は第1回から最終回の74回まで、実に7年間もの間、この大作を読み続けてきた
ことになります。7年もの間読んでいますと、物語中の人物の生死のあれこれが
他人事とは思えなくなってくるから不思議です。
山丈と一緒になって「オオッ、カムイ」と叫びたくなってしまうのです。
 私は、この「カムイ伝」をこれまでの白土作品の集大成だと思っています。
その理由は、後の各章で述べるとして、この章のテーマである「白土まんがの魅力」
については、だから、この「カムイ伝」を中心にして、その絵画性と文学性の二つの
面から探ってみようと思っています。
 では、話を再び「カムイ伝」の一大一揆のシーンにもどすことにしましょう。

  白土絵画の魅力

 それにしても、群衆の中にスックと立ったこの山丈の姿に、私はなぜかスペインの
画家ゴヤの「巨人」という絵を思い出してしまいます。
 前方に逃げまどう群衆が描かれ、その後ろに、巨人が左こぶしを握りしめながら、
やや後ろ向きに左を向いて立ちはだかっているその絵は、ナポレオン軍のスペイン侵入を
比喩的に描いたものだと言われ、ここでの巨人は、ナポレオンの象徴として描かれている
そうです。でも、私には、まったく別に見えてくるのです。
 その巨人は、ナポレオンに対するマドリッド市民達の怒りに満ちた武装蜂起の象徴としての
巨人であり、ナポレオンの侵入によって逃げまどう民衆の悲劇から、やがて立ち上がる市民の
巨大な力を暗示しているように思えるのです。
そして、ゴヤ自身の、ナポレオンへの怒りの象徴としてもダブってくるのです。
 これはもちろん私のかなり勝手な解釈です。「カムイ伝」の山丈の巨大な姿に、
「カムイ」という叫びに、白土さん自身の、作者としての祈りを感じる私にとって、
ゴヤの「巨人」まで同じように見えてしまうのです。

 一揆というリアルな世界のなかに、山丈という巨人が何の違和感もなく存在し、逆にそれが、
一揆として立ち上がった百姓の心情をも絵として盛り上げていくー。
 山丈の表情もみごとです。左右の手を、横やや上に広げ、足も大きく開いていますが、
左足に重心をかけており、今にも叫びながらこちらへ迫ってきそうな感じです。
 絵に不思議なほどの存在感を感じます。それは、筆によってひかれるいろんな太さの線が、
線としての表現ではなく、面としての表現を持ち、光と影を描きわけ、同時にその物の質感と
動き、表情まで感じさせてくれるからでしょう。
そこには、写真をコツコツと写しとるだけの劇画家の絵とは根本的に違う、絵としての表現の
深さと画家としての眼のたしかさを感じるのです。
 現在のまんが家のうちに、画家の眼を持った人を探し出すのは、むずかしいことです。
まんが週刊誌を買ってきて、ひととおり読み終わった後、印象に残ったシーンを絵として
思い出そうとしても、主人公の顔やストーリーは思い出せても、それはなかなか出てこない
のが現状です。セリフと胸から上の人物の顔だけが一つのコマに描かれ、それだけがずっと
続いていくまんがもあります。
たまに拡がりのある画面に出会っても、それはカッコのイイ主人公のスタイルを、
頭から足元までみせるだけの画面であったりするのです。
すばらしい映画の感動的なシーンが、いつまでも絵として心に残るような、
そんな画面が、今のまんが界にはとても少ないのです。
テレビドラマの狭いスタジオセットのなかで、アップばかり見せられている感じだと
言えそうです。
 そんな中で、白土作品の絵としての魅力は、絵がストーリーと同じく、テーマを語る力を
持っているということになります。
 先に述べた一揆のシーンもそうですが、「カムイ伝」のなかで、開拓をしていく百姓の働く姿の
美しさや、綿の花が開くときの美しさ、非人と百姓が、身分制度を乗り越えて協力しあう美しさ、
あるいは、飢饉の悲惨さ、一揆のはげしさ、等々あげていけばきりがありませんが、目を閉じても、
それらのシーンが浮かんできます。
それらは、いずれも、あの存在感のあるタッチと効果的なアングルによって、
ある時は下から見上げ、ある時は大俯瞰として上から描かれ、時にはやさしいタッチで、
時には、荒ららしいタッチで読者を魅了するのです。
 象徴化もみごとです。たとえば、冒頭に書いた「カムイ伝」の一大一揆を決意する人々の姿は、
次のような象徴的なシーンで描かれています。

 ザザーという羽音をたてながら集まりくるムクドリの群れ。それらは木から木へ集まり移動し、
やがて空をおおいつくすかのような数となり空いっぱいに乱舞します。
その羽ばたきは、力強く、不気味なものとなって空にひろがっていきます。
そして、そのムクドリの群れの下に、不正への怒りと、一揆への決意をひめた人々の群れが、
群像としておかれているのです。
 乱舞するムクドリの群れが、静かに、そしてはげしく、深まりゆく百姓の決意を象徴化し、
この後に起こる一大一揆をも暗示しえているのです。
 そこには、他の劇画家の描くような、おおげさな擬音の描写も、迫力を出すために定規を使って
引かれる無数の線も、怒りに燃える眼のアップも、安っぽいセリフも何もありません。
空をおおうムクドリの乱舞する姿と、静かに聞こえてくる羽音だけが、すべてを物語っているのです。
 このように、白土作品の絵には、大きく深い味わいがあります。
では、その絵としての魅力を、私の好きな画家のいくつかの作品と比較しながら、
もう少し深めてみましょう。

 まず、私の目についたのは、毎回まんが雑誌「ガロ」の表紙を飾ってきた「カムイ伝」
の美しい色彩画でした。
それは、時には油絵のごとく、時には版画のごとく、絵巻物としての「カムイ伝」を見せてくれます。
そして、ドイツの版画家ケーテ・コルヴィッツの連作「農民戦争」という作品を
私に思い出させてくれるのです。

 ケーテ・コルヴィッツは、働く物の側から、働く人々の生活を、その悲惨な暗さを、直視しながら
作品化していった女性の版画家です。
連作「農民戦争」も、1524年〜25年にかけてドイツ南部に起こった一大一揆を描いたもので、
そこには、農民の悲惨な生活から、蜂起、指導者の逮捕、処刑と、ひとつの闘いの歴史が
描かれており、当時の農民が自分たちの生活と権利を守り拡大していくために、
どれだけ大きな犠牲を強いられたかということが、その連作版画から、ひしひしと感じとれます。
そしてそれは、まさに「カムイ伝」の世界とダブってくるのです。
 画面の右から左へ叫び声と共に進撃する農民達、その手前で、その農民をはげますかのごとく両手を
上に振り上げ、進行方向に体をよじる後ろ姿の婦人。これは、その「農民戦争」の中の「蜂起」という
作品ですが、私は、この婦人の後ろ姿をふと、「カムイ伝」の中の一揆の指導者のひとりである苔丸に
置き換えてみたりするのです。
 あるいはまた、同じく「捕らえられたもの」という作品には、一揆の終わり近く
捕らえられた農民達の、重く空をあおぐ群像が描かれているのですが、私はその群像の中に、
やはり「カムイ伝」の中の一揆の指導者正助の姿をみるのです。
 悲惨な世界のなかに、それを乗り越えていく力を、ケーテの絵は、空をあおぐ農民の表情に、
進撃していく農民のエネルギーにと、すぐれた形象でもって表現しています。
 それは当然、白土さんの世界と共鳴しあうものであり、事実、白土さんの絵の世界には、
こういったケーテの画家としての眼を、しばしば発見するのです。

 ゴヤの連作版画「戦争の惨禍」にも同じようなことが言えます。
それは、ナポレオンのスペイン侵略における残虐な行為の数々が、ゴヤの証言として、告発として、
作品化されています。目をそむけたくなる作品ばかりですけれども、同時に、
侵略に対する限りない怒りを呼び起こされる作品でもあります。
そして、侵略に抗してたちあがった人々の姿が感動的に描かれた作品でもあります。
 累々と横たわる死体の山。木にぶらさげられ、木に串刺しにされた死体。
ゴヤは、怒りの目でそれらを直視しています。
あの、やさしく美しい「裸体のマハ」を描いた同じゴヤの手による作品です。
 私は、やはり「カムイ伝」の世界をここにもみるのです。
それは、徳川幕府の圧政がもたらす悲惨な世界です。へたをすれば、グロの世界になりかねないほどの
残酷なシーンが、飢饉の場面に、一揆の場面に、あるいは身分制度ゆえに起こる悲劇の場面にと
展開されていきます。

 それは単に、残酷さを残酷さとして、暗さを暗さとして、オカルト映画のようにムードづくりを
していく絵とは根本的に違っています。
確かなデッサン力と確かな画家としての眼が、ひとつの現実から、残酷さを、やさしさを、美しさを、
同時にひきだし描き上げていこうとする姿勢から生まれた絵なのです。
 このことは、後の第3章でもう少しくわしく述べることにします。

 さて、この「カムイ伝」は後半近くになって

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

今回は、ここまで、後は、また後日「第一章の2」として書き足していきます。

このあと第一章では、この「絵」が、映画的手法と一体になってその本領が発揮されるということ
を書いています。アングル、カメラワーク等々。
そして「白土文学」としてのお話とテーマが第一章の全体像です。

あとは、
第二章「限りなき自由を求めて」
第三章「美しさと残酷さ」
第四章「子どもの世界」
第五章「目無しとワタカ」
第六章「城が崩れる時」
第七章「資料編」

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