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吹田の不毛化を救おう

吹田の未来に確かな道筋を!
これが私の吹田に寄せる想いを最も集約した表現です。
 
今の吹田のまちは何を目指しているのか、どのようにして、どこへ進もうとしているのか、本当によくわかりません。目標を喪失した、羅針盤のない船のようです。
 
やはりまちづくりにおいては、明確なビジョンと改革の課題や手法を示さなければ市民はついていけないと思います。そこで「行政の維新改革」というのがそれかと思えますが、その中身は、①借金はしないという無借金財政②市の貯金、財政調整基金には手を付けない③新規事業は行わない④他市の行っていない事業は廃止する⑤予算の突出している事業は平均レベルに戻す、というものです。
 
市政やまちづくりの要諦は、市民から預かった税金をいかに有効に大切に使うのか、限られた予算の中で最大の効果を上げるにはどうすればよいのかに腐心し尽くすのです。借金をすることも大事なことであり、難しいことでもあります。行政の維新改革は、何もしないというだけのものに過ぎないし、実に安易な目標も課題も消滅した姿ではないでしょうか。
 
しなければならない課題は無数にあります。いわゆる市民要望に裏付けられた政策課題であります。それをもちろん精査をしますが、あれもしたいこれもしたいということになり、遂に予算が膨らんでしまうものなのです。市民の要望に応え、市民の想いを実現しようとすればそうなるのも必然なのです。
 
それに対し、頭から新規事業はしないとはどういうことなのでしょうか。私は10年前から、吹田には多くの留学生が住んでおられ、海外に行く人も多いので、パスポートセンターを置きたいと大阪府に要望してきましたが、最近は地方分権で市町村に置いてくださいと言われており、近隣の市ではほとんどが開設していますが、吹田市は新規事業なので取り組んでいません。真っ先に導入しないといけない市ではありませんか。
 
先日、また神戸で小学1年生の女児が行方不明になりました。本当に心配で悲しいことです。いくつかある防犯カメラに写っているとのことですが、賛否はあっても、小学校の通学路にはすべて設置をし、人の眼の届かない時の補完対策にしなければならないところまできているように思えます。私は小学校の正門付近にすべて、安心安全の見張り小屋のようなものを設置させていただき、そこを拠点に、登下校時には、見守り活動が人の手で行われていますが限界があるのでしょう。
 
千里の竹明かりが今年も藤白台の周辺緑地で行われていますが、竹のまち吹田という考えの下、人工的な新しいまち千里で、伝統文化を創造していこうという目標で、10数年前から実施されていますが、年々予算が削られ、ボランティアの皆さんも心細い思いをしておられます。要するに、今の市政には無駄な事業なのであります。
 
本当にそうなのでしょうか。あれもやめる、これもやめる、やめることを競うことが本来の市政の姿なのでしょうか。限られた予算の中で、あれもしたい、これもしたいというのが、まちづくりの姿だと考えます。吹田市の不毛な砂漠化を食い止めなければ、日本一の吹田市を実現することはできないと思います。

次の目標は政策発表会

9月6日(土)阪口会日帰り旅行会が開催され、後援会の皆様の温かい想いにより300名、バス7台という大世帯のもとで盛会裡に行われました。
 
今まで「思案します」「慎重に検討します」と申しておりましたが、来賓で挨拶された上野和明府会議員の力強い維新批判、現市政批判と、上の会は阪口よしおを全面的に支援しますという応援の弁により、私の慎重姿勢が吹っ飛んでしまって突き進むしかないような雲行きになりました。
 
それを受けて私は、今までのモヤモヤした気持ちを吹っ切りたいこと、財政運営の決定的誤りを正すことと、今後のまちづくりに確かな道筋を指し示すことの必要性を訴えて決意表明のようなことになりました。
 
しかし、それ以上に大事なことは市民の皆様が今の市政をどう考えておられるか、本当に阪口よしおにもう一度頑張ってもらいたいと思っておられるのかどうなのか、色々問題があってももういいんじゃないか、それよりも若い新しい人に託したいという思いが強いのでは、などなど気運はどのあたりにあるのか、的確に市民の想いに寄り添っていかなければ、と考えています。
 
次の目標は10月24日(金)18時30分よりメイシアター大ホールにて行う予定の、阪口よしおまちづくり研究所主催の阪口よしお政策発表会であります。一度私の活動をリセットした上で、新しい吹田のまちづくり政策をいかに提起し得るのか、また1000人の皆様に本当に参加していただくことが出来るのかどうか、大きな宿題が残されています。
 
おおむね政策は徐々にまとまってきましたが、的確な表現の仕方が難しいものです。パワーポイントを使ってと思っておりまして、今、最後の仕上げに取り組んでいます。また、3年前に発行しようと予定いたしておりました私の4冊目の本を遅ればせながら今回出させていただきます。「一隅を守り、千里を駆ける」という標題です。どうかよろしくお願いいたします。
 
それとともに、昨年7月からブログに掲載してまいりました、私の近況を綴った文章を冊子にしてお届けするつもりです。期待に応えられますかどうかわかりませんが、是非お目をお通し下さい。
 
私はこれまで、地方自治やまちづくりについて考える際に、相談や指導をいただいてきた方に、法政大学名誉教授の松下圭一先生と大阪大学名誉教授の大久保昌一先生がおられますが、先般、大久保先生の悲報が入りました。この春にお会いをしました際、確かにいつもの元気がなくて心配をしていたのですが、こんなに早く現実のものになるとは思いも及びませんでした。茶目っ気のある大局観に基づいたお話を聞くことが出来なくなってしまいました。いつも一緒におられた奥様に、この場をお借りいたしましてお礼とお悔みを申し上げたいと存じます。本当にご指導ありがとうございました。
 
こうした先人、先輩の皆様のおかげで私たちの活動もあるのだと思いますし、まちづくりも同じだと考えます。先人の流した汗や涙の跡を大切に踏まえて、歴史と伝統を継承し、新しい時代を切り開く作業に邁進してまいる所存であります。どうかよろしくお願い申し上げます。
 
 
 
 

今、私は来る10月24日(金)にメイシアター大ホールで18時30分より行う予定の「阪口よしお政策発表会」の準備の大詰めを迎えています。
 
ここで私は、吹田に寄せる想いや、これからの吹田のまちのあり方、更には21世紀に大きく飛躍発展する可能性を秘めた吹田のこと、そしてそれを支えるまちづくりシステムやどのような事態が生じようともびくともしない盤石の財政基盤の確立の課題など、ありとあらゆる面について述べなければならないと思っています。
 
府議会議員を3期した後、市長をまた3期12年やっておいて今さら何をするのか、と言われるかもしれません。そうです。3年半前、最後の総仕上げをするべく4期目に挑戦をしたのですが、ご存じのように「維新の会」の熱狂的威力の前に前進をはばまれてしまいました。確かに既得権益に守られた構造に対する激しい破壊性と天性の突破力、国に対する切り込みや地方分権への関心など、多くの人々は熱いエールを維新に送ったことはむべなるかなでありました。
 
舞台が大阪府であるのと、吹田市であるのとは大きな違いがあるのです。吹田市レベルではダイレクトに一人一人の市民にまともに影響してくるのです。権益を享受している普通の層にまともに切り込んでくるのであります。この一陣の嵐は大きな問題提起を行いましたが、実際上では混乱を残すことのほうが多かったのではないかと思います。良い面は学び、限界点は認めざるを得ません。
 
さて、吹田は立地条件の良さと歴史的経験を活かして、21世紀には更に大きく発展する力を秘めています。吹田は既に東西日本の結節点、京阪神のクロスロードであり、操車場のまちづくりでは、万博からのモノレールの南伸、地下鉄今里筋線の北伸が岸部でクロスをすれば、空港と新幹線の結節点、更には大阪東部の交流拠点となります。それは大阪の核であり、関西の中心、ひいては西日本の核ともなるのです。そして関西州ができるとなると、その州都は吹田に置かれるのが、最も理にかなっていると言えます。将来、北摂の7市3町が合併するとなっても、その庁舎の場所は利便性から言って吹田になるものと思われます。吹田はそのような大きな夢を育むことのできるまちではないでしょうか。
 
まちのあり方は、一つに安心・安全の美しいまちづくりであり、二つにその手法は「自助・互助・公助」の役割分担を踏まえた上での、官による公共の独占からみんなで支えるまちづくりです。これは吹田の財政の観点からも言えることです。
 
私は市の直営の業務は管理部門、すなわち「総務、財務、企画」関係だけを行い、他の現場のサービス部門は、公的責任はきちっと保持しながらも、担える部隊はNPOや地域団体、地域の民間会社などに移転をしていくことです。地域にはシルバー人材センターや高齢者、女性、しょうがい者、あるいは個人でもいろいろな免許を有する経験豊富な方々が多くおられるのです。行政と市民、地域、民間の協働で、これまで公助として行われてきた業務を担ってもらうシステムを新たに作っていくことであります。これこそ、みんなで支えるまちづくりとなります。
 
これまで、「ゆりかごから墓場まで」と言われたように役所がなんでも抱え込んでしまって、本当に行政は肥大化、過大化してしまっていると思います。機構も人員もいかにシンプルにするか、そうすることによってのみ、本来的な行財政改革が実現いたしますし、財政の健全化、盤石の財政基盤も実現されるものと考えます。
 
そのため、私の「第2期財政健全化計画」前期5か年計画の初年度だけで中断させられ、「行政の維新改革」に取って代わられましたが、果たしてそれで良かったのかどうか。
 
私は健全化計画を再構築するため、「21世紀行財政改革大綱」と「前期5か年実施計画」を策定し、盤石の財政基盤の確立に向けて取り組んでいく決心をいたしております。

行財政改革の私の手法

今の市政の最大の関心事は財政問題であろうかと言えます。就任早々、唐突に「財政非常事態宣言」が発せられ、「行政の維新改革」という触れ込みで、大赤字の市財政を立て直すと言います。その具体策は、①借金はしない、無借金財政 ②市の貯金、財政調整基金には手を付けない ③他市の行っていない事業は廃止する ④予算の突出している事業は平均レベルに戻す ⑤新規事業は行わない、というものでありました。
 
このため、早速「事業仕分け」という形で初年度から100の事業の見直しを行い、「ゴミ袋の無償配布」や「福祉巡回バス」「福祉バスの活用」「介護保険事業を上回るショートステイ30日分の利用」「100円の食事補助」などなど、身近な施策が切られてしまいました。
 
確かに財政立て直しは大事なことです。私も平成11年、就任させていただいて直ちに将来の財政難に備えて、10ヶ年の「財政健全化計画」を策定し、「前期集中改革期間」(H12年〜H16年度)並びに「後期財政健全化方策」(H17年〜H21年度)という形で、行財政改革に取り組み、市債残高を1643億円から1282億円に361億円削減、人件費は317億円から251億円に66億円削減、人件費の一般会計に対する比率は31.7%から23.4%に低減、職員数は2846人から2356人に490人削減という成果を引き出しました。
 
その結果、大阪府総務部公表の市町村なんでもランキングにおいて、住民ひとり当たりの市債残高は府内で40位、住民ひとり当たりの独自の福祉費は府内で1位、住民ひとり当たりの職員給与は府内で12位でありました。さらに私の任期の最終年には「第2期財政健全化計画」を策定し、5年間で人件費を30億円削減し、26年度には221億円にする計画をスタートさせました。
 
このように、吹田独自の行財政改革は手堅く、着実に進められ、大きな成果が上げられており、財政非常事態とは全く無縁の状態でありました。特に市債による借り入れは、その年の市債元金返済額より少なかったので、年々残高を減らすという手法でありました。私が常々言っていましたことは、リーマンショック以上の財政危機が訪れようと、びくともしない盤石の財政基盤を作り出すということです。そしてそれは、福祉や教育、文化予算を切り捨てるのではなく、きちっと公的サービスを維持しながら、それを実行するということであります。事業をなくせば財政にゆとりが出るのは当たり前です。
 
先日の市長後援会ニュースには、市の財政調整基金のグラフが載っていましたが、90億円程度であり、事業を切って再建しているというわりには増えていないと思えます。もっと大幅に増えても良いのではないでしょうか。
 
あくまでも財政健全化は、それ自体が目的ではなく、市民の生活をいかに守るのか、市民の幸せをいかに実現するのかという崇高な目標のためであります。「収入に見合った支出を組む」のではなく、「適切な支出に見合った適切な収入を組む」ことに、首長は命をかけなければならないと考えます。
 
まず市民のための政策、施策ありきであり、そのためには改革は「政策、財務、組織、人員」という順序で進めていくことが肝要であります。私は2年目から中断されてしまった「第2期財政健全化計画」の再構築を再度目指すために取り組んでまいる決意であります。
 
(写真は旧吹田・中の島でのごみ拾いウォーキングの様子)
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天が託した試練

あれから4年の間は天が託した試練の期間と受け止め、真剣に何をつかみ取ればよいのか考え抜かなければならない。
 
1983年(昭和58年)の1回目の府議選挑戦において惜敗をし、その後の4年間、地域路地裏を歩き回り、吹田のまちの隅々で小さな声に耳を傾け、支援の手掛かりを重ねてきました。あの時は、なぜか時間が足りないといって毎日焦っていたように思います。
 
今回の4年は少し違います。12年間の府議会活動と12年間の市長の経験を踏まえて、何をどのようにすればよいのかということです。4年前、あの時は4期目、最後の総仕上げを目標に選挙戦に臨みました。
 
1つは「協働、協育、協創」による行政と市民の連携、市民参加のまちづくりの集大成。
 
2つは「自助、互助、公助」の役割分担の明確化、とりわけ、地域における「みんなで支えるまちづくり」システムの完成。
 
3つはどのような経済財政危機が迫って来ようとも、吹田だけは耐え得る盤石の財政基盤を確立することでありました。
 
4つは防災・防犯をはじめ、こ育て・教育、くらし・健康、地域のあり方などすべての分野において、安心・安全を定着させること。
 
5つは吹田操車場跡地のまちづくりにおいて、循環器病センターの移転建替えと市民病院の併設をはじめとするエコ・メディカルシティーの実現。
 
6つはまち開き50年を迎えた千里ニュータウンの再生事業の推進と「管理創生機構」の設立。
 
7つは多核的都市拠点の整備と賑わいの創出、とりわけ東部拠点において、東淀川区との連携を深め、地下鉄今里筋線の岸部への北伸とモノレールの万博からの南伸に向けての取り組み。
 
8つは歴史的地域文化と市民的芸術文化の振興による文化のまちづくりの推進。
 
9つは花と緑、水巡る遊歩道ネットワークの完成と美しい景観のまちづくり。
 
10は地域学、吹田学を策定し、地域自治、市民自治を深め、自主・自立の団体自治を強力に推進する地域市民政府と呼びうる市民の市役所づくり。
 
という課題を提起いたしておりました。当然これらを引き継ぎたいのですが、果たしてこれらがことごとく前回否定されたのかどうなのか、否定されたのならそのまま再提起するのは無理があります。今、真剣に考えなければならないのは、まさにこのことなのです。
 
果たして、個別の政策、施策の是非なのかどうなのか。どうもそうではなさそうと思えます。そうではなく、政治姿勢そのものの否定というのが選択にあったと思えます。借り入れを行いながらの先駆的事業の推進、日本一の行政水準を目指していました。それは日本一の福祉のまちづくりをするためであります。
 
それに対し、財政非常事態宣言を発し、市民サービスを切り捨ててでも、過大化、肥大化したと見る「行政維新改革」でありました。大阪府にあっては、市町村に対する補助金の大幅な切り捨てであり、市においては、借り入れを止めての高齢者福祉等の切り捨てでありました。それは大きな政府から借金をしない市民サービスも切り捨てる小さな政府への転換ということです。
 
過大な行財政構造の大きな政府から小さな政府への転換の方法論の問題かと考えます。方法論の違いと私の手法を次回に説明させていただきたいと思います。

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