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前回では、この間のことは、天の試練といいますか、自分を素裸の自分に戻し、本当に自分が天の意志にかなったものになれているのかどうか、きびしく考え直す機会を与えていただけたものと有難く思っていますと言いました。
 
そして虚心坦懐にまちづくり、とりわけ地域のあり方についての基本中の基本は何なのかと考えておりました。あらゆるぜい肉を取り払い、自分と地域にとって一番大事なものは何なのか、何が残るのか、最後の最後まで残るもの、それは「安心・安全」「健康」「平和」な地域社会という原点にたどり着いたように思っています。
 
「安心・安全」につきましては、防災・防犯をはじめとする安全なコミュニティ、安心の福祉・医療、こ育て・教育など、地域のあり方全体が問われています。
 
また、「健康」に関しましても、誕生から晩年まですべての年齢階層の皆さんが健やかに暮らせるような万全の安心・安全施策が定着していること、そして、地域の隅々から世界全体が「平和」であらねば、安定した地域も暮らしも成立しないということであります。
 
「安心・安全」「健康」「平和」の3原則は、私たちが暮らし、働き、生きる上で最も不可欠な要素と思われます。吹田は奇しくもそれらの都市宣言を行っているではありませんか。「非核平和都市宣言」「健康づくり都市宣言」「安心安全のまちづくり宣言」がそれです。これをベースに「市民の安心」「地域の安全」「行政の安定」を目指します。
 
次に、地域やまちづくりを考える際の基本的な観点はと言いますと、やはり、吹田のまちの形成過程、発展の道筋といった「歴史」といいますか、培われてきた「精神」、すなわち、先人の努力と流された汗や涙の蓄積、腐葉土のように堆積されている地元の「文化」の地層にふれ、触発されながら、「文化」を大切にし、こだわり続けることと思います。
 
吹田の歴史を踏まえ、そこから逸脱することなく発展させていく中で、吹田の行く末を考えなくてはいけないことがわかりました。そして吹田は長い歴史の中で、何度か日本の歴史ときり結ぶ重要な役割を果たしてきたことがわかりました。吹田の「歴史と文化」に誇りを持って大切にするまちづくりをすすめていきたいと思っています。
 
そして、最後が「支えあい、助けあい、分かちあい」が地域の基本ということに思い至りました。
 
まちづくりにおける基盤中の基盤でありますコミュニティのあり方ですが、世界に冠たる日本の文化といわれる昨今、日本の文化というのは、各地方、各地域の地域文化、生活文化がそれぞれ「支えあい、助けあい、分かちあい」しながら、形成されてきたものと思われます。
 
地域できちっと息づき、支えているのが地域の精神、地域の文化であります。縄文の時代は自然に依存し、恵みを授けられて、生かされてきました。弥生に入って、稲作が始まり、農村が形成され、里は里山の産物とそこを源流とする水により稲を作って生きてきました。里山の麓には必ず鎮守の社があり、人と自然、人と人とが「支えあい、助けあい、分かちあい」ながら暮らしてきたものと思われます。
 
この「里山の精神」「里山の文化」が「協力しながら生きる」という私達の伝統的精神文化をDNAとして継承させてくれていると思われます。
 
吹田の南部は古代から発展していたまちと言えますが、吹田の北部、千里丘陵とそのすそ野を形成する地域は、千里ニュータウンと万博の出現により、それまでの縄文以来の里山が一部を残して消失しました。戦後の急速な高度成長による工業化、都市化の結果であります。
 
同様に、吹田南部、旧吹田におきましても、工業化、都市化の波は、核家族化、個人主義化、モータリゼーションの進展、少子高齢化などにより、「路地裏のにぎわい」というものが、郊外における「里山の消失」と機を一つにするように消滅しかけているといえます。
 
「里山文化」と同じ運命にある「路地裏文化」の再生、すなわち、「支えあい、助けあい、分かちあい」の息づく地域の再生こそ、持続可能なまちづくりの基本ではないだろうかと思っています。
 
さあ、これら3つの基本からスタートしていきますので、よろしくお願い申し上げます。
 
(写真は紅葉の美しい三色彩道の景色)
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愛する吹田への思い

私が愛する吹田のまちへの思い入れと申しますか、政策以前の「思い」「心情」といったことから出発しなければと思います。
 
私はあったかい心で吹田を思い、熱い魂で吹田の未来を切り開きたいと思っています。まずは「吹田に寄せる熱い思い」と「吹田の未来に確かな道筋を」ということであります。
 
その前に、今の吹田は誠に申し訳ないのですが、何を目指してやっているのか、どこへ向かおうとしているのか分からない。予算を削るだけで、理念や哲学が感じられない。どういう目標やビジョンを持っているのかわかりません。事業を削るばかりで、それに替わる創造がないのです。
 
私もかつては、時代遅れの施策や市民ニーズにマッチしないもの、マンネリ化した事業は廃止しよう、その代わりに新しい事業を立ち上げようということで、スクラップアンドビルドを唱えてまいりました。
 
今行われている「行政の維新」はといいますと、①借金はしないという無借金財政 ②市の貯金には手をつけない ③新規事業は行わない ④他市の行っていない事業は廃止する ⑤予算の突出している事業は平均並みにする、というもので、個性も特徴も先駆性も何もないものです。
 
事業の中身を吟味しての事業の見直しとは全く無縁であります。たとえば、パスポートセンターですが、府は地方分権により市でも開設できるようになったのですが、本市のように外国人の多い、海外指向の強いまちですのに、一向に関心を示しておりません。どういうまちにするのかといった思いが感じられないのです。今こそ、吹田の輝かしい歴史と文化をきちっと踏まえて、21世紀の時代に大きく翔く夢と希望のまち吹田をめざして、吹田の未来に確かな道筋を求めていきたいと思います。
 
阪口よしおの座右の銘は、四冊目の本の題名になっていますが、「一隅を守り、千里を駆ける」であります。徹底的に地域にこだわって、地域を大切にしながら、世界にも目を配っていかなければと思います。私の吹田に寄せる思いの基本中の基本は「吹田とともに、地域とともに」であります。
 
私にとっての「地域」とは、自分を生み、育んでくれた親のような存在です。自分は地域と一体、地域の一部でありますし、地域もまた地球と一体、地球の一部と思っています。地球から見ると、広い吹田も一隅であります。
そこで私は、この吹田という地域に根ざし、少しでもよくし、守りぬく、そして吹田をすばらしい地域にし、吹田のすばらしさを世界に発信したいものと思います。
 
あの3年前の選挙は未だに私に暗い影を落としています。割り切れない思いがずっと続いています。しかし、最近では少し違った考え方もしております。それは天が私に与えてくれた試練といいますか、反省のチャンスではなかったかということです。「維新が、維新が」ということではなく、自分の人間力は果たしてどうだったのかということ、人間力にやはり不備があったのではなかったのか。自分自身を自分の人間力をもう一度根本から見直し、立て直しを計らなければいけないという機会を与えてもらったということです。
 
自分に至らなかった点があるのではないかと考えた時、市民を大事にするあまり、職員にきつく当たっていたのではないのか、職員も地域と同じように大事にしなければいけないと思う。どこから見ても、阪口よしおは間違っていないといわれる人間にならなければいけないと思います。
 
素裸の自分に戻り、自分というものが本当に天の意志にかなったものになれているのかどうなのか、きびしく考え直す試練を与えていただけたものと有難く思っています。

阪口よしお政策発表会

今年の4月頃から準備をしていました私の「政策発表会」が24日(金)にひとまず成功裏に終わらせていただき胸をなでおろしているところです。細かい事を言えばいろいろありましたが、きりがないので、だまって次の行動に踏みだすのみであります。
 
それまでには政策をどうまとめるか、次に1000人の参加をどうはかるのかという2つの課題があり、両方を6ヶ月間別々に追求してきました。更に当日、私の4冊目の本を出版してお渡しすることとし、あわせて昨年7月から始めているブログの集成版も作成し配ることが出来ました。これらの作業も重なりまして大変な半年間でした。
 
本番では、長い挨拶だけではいけませんので、吹田に対する「私の思い」と「政策」をパワーポイントで説明することにしましたので、決定版作りに励みました。
 
本番では、イントロでピアノ演奏、バイオリン演奏、山田権六傘踊りと四ツ竹踊りが見事なものでして、そのあと辻井後援会長のユーモアあふれる挨拶と、来賓の上野和明府議、前大阪市長の平松邦夫さんの心あたたまる力強い応援の弁をいただきました。
 
その次に、来春に備えて準備をされている生野秀明市議のあとに、えんや和久、小川まさふみ、馬場慶次郎、西岡友和、栗原正吉の5人の予定候補も紹介することが出来ました。この他にも多くの仲間がいます。
 
私は、挨拶でまず申し上げましたのは、やはり前回の選挙の結果があまりにも納得のいかない、ふに落ちないものであって、3年半の間、モヤモヤした気持ちでやってきたということ、個人的にはこの気持ちを何とかしたいということです。
 
その中で、本当に久々に嬉しかったのは、昨年6月の循環器病センターの岸部移転が正式に決まったことでした。実は3年半前の選挙の時、選挙が終わった6月頃に移転決定の発表を、国循総長、摂津市長との3者でしようと計画をしていたのでした。ですから、私はあの時、少しは多選批判もあったのですが、この国循問題を含め、仕事の総仕上げをどうしてもしたくて、四選目出馬をしたのでした。
 
おかしなことには、この国循の移転問題が、選挙が終わってしばらくしましたら、振り出しに戻ってしまいまして、近隣各市に誘致意向のアンケートがなされて、応えた市のプレゼンテーションが行われる始末でありました。そして、一説によれば、ある市に移転が決まったような情報が飛び交うに至りました。そして2年間棚上げ状態でありましたが、遂に吹田の岸部に決まったのでした。その経過は全くわかりませんが、とにかく喜びましたし、嬉しかったです。
 
1つは、この操車場跡地におけるエコメディカルシティー構想の実現であります。国の戦略特区に指定されていまして、国循と新市民病院を核にした、医療、医薬、健康と環境の先駆的まちづくりをすすめ、完成させなければなりません。
 
2つは、地方分権の推進のもと、市民自治によります「みんなで支えるまちづくり」の完成です。これは、何でも行政がするのでなく、「自助、互助、公助」の役割分担のもと、とりわけ、地域でできることは地域でという方向で、権限や財源を移譲することのできる「地域自治組織」を誕生させていくことです。
 
3つは、今後とも、操車場のまちづくりや千里ニュータウンのリニューアル、JR吹田駅前や江坂、南吹田、千里山などの拠点整備が待ち構えておりますし、こ育て・見守り、高齢者や地域の安心、安全の取り組みにどれだけ予算がいるのかわかりません。そのため、盤石の財政基盤の確立をしておかなければなりません。
 
第2期財政健全化の取り組みが中断してしまいましたので、もう一度その再構築のため、「行財政改革大綱」のようなものを策定して、21世紀の吹田の未来に確かな道筋をつけるため、頑張ってまいりたいと考えております。どうかよろしくお願い申し上げます。
 
 

前回、7つの基本政策と33の施策を提案しましたが、更に一言でいうとなると、3つに集約することができました。
 
1.21世紀に吹田が大きく翔く夢と希望の都市戦略
 
2.安心、安全の福祉施策としてのこ育て・見守りと、高齢者が健康で生き  がいの持てる日本一の生活環境の実現
 
3.そのための、どのような経済危機が訪れようともびくともしない盤石の  財政基盤の確立   であります。
 
2つめですが、地域における市民生活にとって最も大事なことは、安心、安全に暮らせることであり、そのための福祉施策の充実であります。防災、防犯を始め、暮らし・健康、こ育て・教育、とりわけ高齢者の生活の安心、安全を守る福祉施策は避けて通ることができません。
 
吹田はかねてより、「福祉の吹田」「こ育ての吹田」と言われてきました。それが最近では、「維新改革」のもとで、平均的な普通のまちになってしまいました。突出した事業や他市のやっていないことはしない、ということです。これまでの吹田は、他市のやっていないことでも、必要であれば先便を切って、先駆的に取り組んできました。それでこそ吹田であったのです。
 
さて、10月9日、私の母は若い時は体が弱くて永生きできないと言っていましたが、89歳まで生き、生涯を閉じました。5年前、突然脳梗塞を起こし、命をとりとめ、身体にも不都合は起こらなかったのですが、認知症が急速に進行し、家に居ても徘徊が始まりまして、近所の特養に入れていただきました。食事がまずい、衣類がなくなるなど言い出しまして、家に戻すのがいいという「親を思う気持ち」で自宅に引き取りましたが、腰の圧迫骨折を起こしました。すごい回復力でけがを克服しまして、また施設に入りました。このころから食事を拒否するようになりましたので、病院に入院し、遂に点滴だけの状態となり、体力をなくし心臓が弱り、肺に水が溜まって、呼吸不全と心不全により眠るように亡くなりました。
 
私はこれまで、在宅介護が正しいと信じて疑わなかったのですが、在宅介護は、現在ではなかなか十分にはできないのです。本当は在宅がいいのでしょうが、過不足なく介護することは不可能に近いことがわかりました。条件不足であるとともに、力不足でありました。やはり、施設福祉に今の段階では頼らざるを得ないのです。
 
高齢者が急増する中、もっともっと施設を増やさなければならないと推測されます。そして、更に優秀な看護師や介護士など充実させなければなりません。
 
吹田は今、操車場跡地におきまして、医療、健康の日本一の拠点づくりを進めています。そしてここを中心に市内一円に、医療、介護、保健、福祉をハイレベルに定着させなければなりません。今のところ、どれだけの財政負担が生じるかわかりませんが、どうあれ、その目標に向け、先駆的に取り組んでいかねばなりません。そのためには、どのような負担にも耐え得る財政基盤を確立しなければならないということであります。
 
このように三つの政策をからみ合わせて、吹田の総合力を高めてまいります。
 
(写真は操車場跡地に出現した遊歩道)
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明日の吹田の三大政策

私は「自主、自立」「地域、固有」「市民参加、協創」を基本に、市民参加のもと、地域の歴史、文化を踏まえた、みんなで支えるまちづくりこそ、未来の地方分権と地域主権の時代にふさわしいものと考えます。つまり、地域文化、市民文化の息づく自立のまちづくりであります。そして、「確かな改革」と「壮大なビジョン」のもと、市民の無限の幸せを求めて、まちづくりをすすめたいと思います。
 
まちづくりの課題は、ハードからソフトまで、また、こどもからお年寄りまで無限に広がっており、その中で政策の体系を構築し、緊急性、重要性に基づき政策戦略を打ち出していきたいと考えます。政策体系はというと、あまり親しまれてはいないようですが、「吹田市総合計画」に詰め込まれています。そしてその目指すトータル目標は、「人が輝き、感動あふれる美しいまち」と表現されています。私の時につくられたとはいえ、大好きなフレーズです。
 
そして、私なりの政策体系として、これまでに何度か紹介していますが、7つの基本政策です。①自治、文化、賑わい ②環境 ③こ育て、教育 ④くらし、健康 ⑤都市創造 ⑥安心、安全、美しいまち ⑦財政運営 ですが、これで果たしてすべての政策課題を網羅しているといえるのか、常に検証し続けなければいけないと思います。
 
そして、これら7つの基本政策の下に、もう少し具体的な33の施策により説明されています。いくら整理しても33となり、多すぎてよくわからないということになってしまいます。そこで思い切って吹田のトータル目標、吹田の未来に向けて、確かな道筋を明示しなければならないと考えました。
 
1つは、21世紀に吹田が大きく翔く夢と希望の都市戦略
 
2つは、安心、安全の福祉施策としてのこ育て、見守りと高齢者が健康で生きがいの持てる日本一の生活環境の実現
 
3つは、そのためのどのような経済危機が到来しようともびくともしない盤石の財政基盤の確立を目指すこと であります。
 
吹田は地図を開ければすぐ分かるように、大阪の中心、近畿の真ん中に位置していて、名神、中国道が吹田ジャンクションでつながる東西日本の結節点であり、京阪神のクロスロードとして、空港、新大阪が至近距離にあります。その中で今、東海道線上の吹田、岸辺間で吹田操車場跡地の再開発が行われ、環境と医療のエコメディカルシティが形成されようとしています。
 
国立循環器病センターと吹田市民病院がその核となり、医療、医薬、医療機器メーカーなどが、水と緑につつまれた環境の中に集積され、日本一の世界に発信する医療環境都市になるものと考えられます。更に、モノレールの南伸と地下鉄今里筋線の北伸を目指して、大阪東部の人、もの、情報の一大交流拠点が実現するものと思われます。
 
千里ニュータウンと万博公園においては、千里の日本で先行するリニューアルが進められ、21世紀の新しい住宅団地が再生されようとしています。万博公園では、アウトレットの一大集客施設とガンバ大阪新スタジアムが建設中であり、交通の要衝、西日本一の観光拠点として大きく飛躍するものと考えられます。
 
今、吹田はおおさか東線の南吹田駅の建設とともに、南北中と巨大プロジェクトが展開し、都市構成が大きく組み換えられようとしていますが、これを吹田の100年の計として位置づけ、取り組んでいかなければなりません。大きな夢とビジョンが待ち構えているのです。
 

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