砂丘だより

砂丘から見る夜の海は漁り火が幻想的です

平和

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Imagine Peace Tower

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ジョン・レノンの誕生日の9日、

彼の追悼の意味も込めて、

アイスランドの首都のレイキャビクに、

夫人のオノ・ヨーコさんがデザインした「イマジン・ピース・タワー」が公開された。

以下はオノ・ヨーコさんのメッセージです。

***************************************

ちょうど40年前の1967年、私のコンセプチュアルな光の塔がいつか現実のものになることを、ジョンは心に描きました。そのとき彼がそのように思ったのは、とても不思議なことです。それがアイスランドで現実になるなんて、非常に驚くべきことです。

『イマジン・ピース・タワー』はレイキャビクにおける常設建造物となり、健康と善と歓喜の新しい時代の幕明けを迎えるため、世界中から人々がそこを訪れたり、世界の平和と団結を願うウィッシュ・メッセージをそこに送ったりすることもできます。世界中で30万通を超えるウィッシュ・メッセージがすでに集められ、いまだに送られてきます。これはまさしくジョン・レノンが生涯をかけて努力していたこと、それ以上のものなのです。

私が『イマジン・ピース・タワー』の建設地にアイスランドを選んだのは、この国が特別な存在であり、環境に優しい国だからです。この国のエネルギーの80%は石油ではなく、水力から得られています。そのためアイスランドの水、空気、土壌は驚くほどピュアできれいなのです。数日滞在するだけで、10年も若返ったような気になります!『イマジン・ピース・タワー』のエネルギーもまた、水力を源としています。タワーの周囲は「ウィッシング・ウェル・ウォール」に囲まれており、そこには「イマジン・ピース」というメッセージが、24の言語で刻み込まれています。

『イマジン・ピース・タワー』が、地球のあらゆる場所から発せられる強いウィッシュに光を与え、恐怖と混乱に満ちている今の世界に勇気、インスピレーション、そして連帯感を付与することができれば幸いです。平和な世界を実現するために、団結しましょう。ジョンと一緒に見た夢の実現を目撃できることはとても幸運に感じます。

**********************************************

このメッセージを読んでいて、

アイスランドと日本で共通している事があるのを思い出した。

それは第2次世界大戦後に、

武力の行使で他国民を1人も傷つけず、

逆に自国民を一人も傷つけられる事がなかった、

世界でたった6つの国の一つだということ。

上の画像は「イマジン・ピース・タワー」
下は、出張の途中に出会った光のシャワー

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東京出張からやっと帰ってきました。

東京も暑かったけど、

鳥取も相変わらずの暑さです。



ところで、今日の帰りの飛行機で背筋が冷えるような、

ドキッとする事がありました。

搭乗後、本を読んでいて、

いつからか眠っていたところに突然耳に飛び込んできたのが、

「ただいま、阿蘇熊本空港に到着しました」というCAのアナウンス・・・

一瞬、耳を疑って周りの人を見たが、

みんな何食わぬ顔をしているので、

ポケットを探ってチケットの片辺を確かめたら、

間違いなく鳥取行きになっている。

窓の外の景色を確かめようと見たら、

滑走路横の芝生にある見慣れた「ようこそ鳥取」の切り込みが目に飛び込んできた。

ここまできて、やっと胸の動機がおさまった。

その直後、訂正のアナウンスがあった。

一瞬、熊本からどうして帰ろうかと考えた・・・

一気に体温が下がったような気がしたのは良いが、

確実に心臓には良くない!



さて、東京では、

仕事の合間に、

話題の映画「夕凪の街 桜の国」を見た。

鳥取で当面上映予定がなかったので、

「ぴあ」で調べて銀座のシネパトスに行った。

3つの世代を貫いて今に続く被爆の傷跡のむごさ・・・

生き抜くことの重い意味・・・

涙とともに、いろんな事を考えさせられる作品だった。

それにしても麻生久美子さんがはまり役で、

その演技に胸がしめつけられた。

映画館は半分ぐらい席が埋まっていたが、

映画が終わっても誰も立とうとせず、

キャストなどの字幕をずっと目で追っていて、

どこからかすすり泣きの声も聞こえる。

最後に監督「佐々部清」の文字が消え、

スクリーンが暗くなったところで皆が立ち上がりだした。

こういう光景は、あまり経験した事がない。

見た人同士の想いが繋がり、生きる力が湧いてくる・・・そんな映画だった。

男子について考える

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注文していた若手写真家・梅佳代さんの第2弾写真集「男子」がAmazonから届いた。

この写真集のキャッチコピーは、

 男子は、

  ばかで、

   無敵で、

    かっこいいです。


「男子」のコピーで、ある事を思い出した。

盆明けにあった義父の3回忌の時に、

集まった親戚のおばさんたちが、義弟を囲んで話していたことだ。

義弟は2年前に心筋梗塞に襲われ、処置が早くて今は回復しているが、

義弟の奥さんの話だと、

意外に怖がりで小心だということを、

病後の生活の中でよくわかったというのだ。

これを聴いていたおばさん達が、

口々に「男は怖がりで、いざというとき腹が据わらない」と云って盛り上がった。

その中でクリスチャンを舅にもつ方が云っていた話は、

すごく説得力があり、うなってしまった。



曰く・・・・


「うちの舅夫婦は戦争中朝鮮にいて、戦後引き上げてきた。

そのとき内陸から海岸に向けて徒歩で身分を隠しながら逃避行し、

途中に何回か見つかりかけて、その度に舅は“自決しよう”と云ったが、

当時幼少だったその人の夫の手を引いて一緒に逃げていた姑が、

舅の情けない態度に怒って、何回目かに舅の頬を平手でバチッとぶったそうで、

それからは“自決”を口にしなくなったという話しを聞いた」



男の子の無敵さとかっこよさは、

どうも、大人になると小心で執念の無いかっこ悪さに変身するようだ。

おばさん達は、「出産の痛さを経験しているのとしていないのとの違いだ」と言っていた。

戦前・戦中の日本社会を「美しい国」ともてはやすような話しがある時だけに、

傍で聞きながら、考えさせられたひと時だった。


写真上は、写真集の表紙
下2枚は掲載作品、これ以上はお買い求め下さい。なお、当方は宣伝料をもらっていませんので、あしからず。

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数日前の地元紙に
“岡山県境の町、鳥取県智頭町が『七人の侍』のモデルの町だったかもしれない”…との記事が載った。

横浜市の金沢文庫所蔵の古文書に、農民に雇われた侍が村を守るために雇われて働いたことがわかる資料が見つかったという。
資料は「称名寺文書」の一つで「因幡国智土師郷上村結解状」。
この智土師郷上村は、鎌倉時代に幕府の重要な祈願時である称名寺の寺領になっていたが、
南北朝の動乱期には幕府の後ろ盾を失い、反幕府勢力から略奪を受けるようになった。
「結解状」(中世の収支決算書)には、用心棒8人分の費用24石のほか、防護柵や堀を作ったとされる「城こしらえ」作業員の食料など村の防衛のための費用が記されており、自己防衛手段をとらざるを得なくなった寺領の農民達の姿が示されている。

『影武者』『乱』などの黒澤作品に出演し、監督と親交の深かった油井昌由樹さんによると、20年ほど前に監督から「江戸勤めの侍の日常生活を描いた作品を考えているときに、『農民が武士を雇った資料があった』という記事のようなものを見て、そこから一気に『七人の侍』のシナリオが出来上がった」ときかされたという。
地元の歴史研究家によると、「農民が武士を雇う資料は称名寺資料しか知らない」ということで、黒澤監督の見た資料はこれではないかという話が持ち上がって、町では地域おこしに役立てたいと話しているとの事だった。

我田引水、ちょっと飛躍がある気がするが、『七人の侍』に似た歴史の舞台が郷土にあったことは間違いないし、歴史と文化を生かして地域おこしを進めようという努力と意気込みには頭がさがる。

ところで、弱い農民達が野武士の力を借りて自分達を守る姿を思うとき、
嘘とごまかしで力まかせに他国を侵略し、泥沼化して失敗が明らかになっても抜け出す方策を知らず、増派というばかげた決定を発表するブッシュ大統領の姿には、時代錯誤の滑稽さしか見えないが、これでさらに無為な殺人がどれだけ続くのかと思うと、なんともやりきれない。

真田幸村と戦災鳥居

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『非核3原則』に込められた核兵器廃絶への国民の願いなど、
どこふく風・・・とでも思っているかのような
閣僚による発言があいついでいる。

原爆の惨劇を体験したり、
被爆2世として辛い体験をしてきた人を身近にもつ身には、
どうしても見過ごす事ができない。

この国の行く末の事を色々考えていて、
ある神社の事を思い出した。
時々出張で行く大阪の玉造駅の近くにある三光神社という社だ。

この神社は、大阪冬の陣で徳川軍を苦しめた真田幸村が築いた出城の真田丸の跡地にあり、
近くに真田山公園もある。
神社の境内には、
真田幸村の銅像と大阪城に続いているという抜け穴の出口もある。

驚いたのは、第2次世界大戦の時に
空襲によって被災し、片側の下の方だけだけ残った『片柱鳥居』が保存してあり、
社の前の新しい鳥居の横に立っていた事だ。

戦前・戦中には、神社は戦意高揚のための役割を担わされた面があり、
戦争の被害を告発する場となっている例はあまり聞いたことがないからだ。
柱の由来も書いた説明版には、次のような説明が記されていた。

「遠く生駒・金剛の連山を見晴るかす景勝のこの地に、
永くその由緒ある三光神社の御門として誇っていた大鳥居も、
すぐる第二次世界大戦の戦火を被りその片柱のみをとどめた。
戦後この鳥居の復興に際して、あの悲惨な戦争を二度と繰
り返すことのないよう悠久の平和と国家の安泰を祈願して、
この片柱を後世に残すこととした。
この片柱には、大相撲の次の名が刻まれている。
陣幕久五郎・竹縄竜八・美保関長八郎・葛城徳蔵・朝日山太郎右衛門・押尾川・藤島和一郎・不知火・岩友幸助 」

画像は「戦災片柱鳥居」

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