ただ若き日を惜しめ ...... (緑十字機 決死の飛行)

「緑十字機の記録」は「緑十字機 決死の飛行」に改称しました。

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航空ファン 1965年3月号
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昭和40年(1965)3月号に「緑十字の白い飛行機」と題しての特集記事が掲載されています。

記事は、スミソニアン協会の国立航空宇宙博物館の元首席学芸員であるロバート・C・ミケシュ氏によるものです。
航空機関係のマニアであれば、この名前を知らない人はないと思います。
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1947年にアメリカ軍に入隊し、爆撃機のパイロットとして朝鮮戦争に従軍し20年の経験がありました。
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航空ファンの記事は、このミケシュによる3ページの記事をベースにし、グラビア11ペーシ(写真19枚)と、関連記事3ペーシから構成されており、当時としては大特集記事でした。
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ミケシュは1947年入隊ですから、昭和20年に伊江島にはおらずに、資料を収集して書いた記事だと思います。
従って、細かな間違いが随所に見られます。
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その中で、ふたつの記事に注目しました。
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ひとつめは、緑十字機一番機の伊江島での着陸の様子です。
フラップが故障しての緊急着陸を、緑十字機搭乗員が語ったのは昭和44年のテレビ番組ですから、当然ミケシュはこの故障の事実を知りません。

記事には、
「日本のパイロットが緊張したせいか、着陸フラップも充分降ろさずにアプローチする、第2機目の一式陸攻機。敵地に着陸することで頭が一杯だったらしい」と書いています。
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また、別ページにも
「全権団を乗せている2機目の一式陸攻は、非常に不真面目な着陸をした。敵の飛行場に近づくということの緊張のためかパイロットは着陸フラップを低くすることを忘れ、飛行機は空中でよろめいて、どしりと滑走路に落ちた」とあります。
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爆撃機のパイロットだったミケシュが、フラップが故障していたことを知ったら、さぞ驚いたことでしょう。
不真面目な緑十字機のパイロットは、実はフラップが下がらないまま巧みに着陸した、凄腕のパイロットだったのですから。
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あの日、5千人程いた伊江島の野次馬兵士たちは、当然空軍の兵士ですから、一番機の不自然な着陸の様子に違和感を持ったことがわかります。
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もうひとつ
「最初の1機は、暗闇の空を一路飛びつづけたが、途中故障のため浜松の近くの広い海浜に、真夜中の不時着をしなければならなかった。機体はひどくこわれ、修復は不可能であった」
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この本が出版された昭和40年頃は、まだ緑十字機の飛行が語られていなかった頃でしたが、米国では調べれば普通に知る事ができたのだと思います。
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