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☆ 善光寺西街道・峠の茶屋物語(ひじり高原)麻績村
峠には「聖高原別荘地」が広がり、「ひじり湖」には、
ヘラブナ&ブラックバス ファンが集まる(麻績村)
中山道の塩尻・松本 から 麻績(おみ)宿〜ひじり峠〜姨捨 を越え
長野の善光寺 へ向かう古道「善光寺西街道」が一部国道となって
残っている。
千曲カントリーC
聖山(ひじりやま)中腹の「ひじり湖」の下をトンネルで通過する
「JR篠ノ井線」や「高速・長野道」が便利なので、
峠道を通る車は少なくなったが、峠の湖周辺は「聖高原別荘地」が開け、
ゴルフや釣り(ヘラブナ&ブラックバス)、古道散策・・
で賑わっている。
* 悲恋物語・お仙の茶屋
弘法清水 にあった「お仙の茶屋」跡
この峠近くに、弘法大師が喉を潤した「弘法清水」があり、
そこに茶屋を設けて旅人を迎えた店の名は「お仙の茶屋」、
美人で人気の ” お仙 ” には誓った人がいた・・が、
待てど暮らせど その人は来ることは無かった!
(旅の途中病死?)
今は国道端に「お仙の茶屋」が
この茶屋跡近くに「ソバ処・お仙の茶屋」が有る。
” 令和のお仙さん ” は、昔話に出てきそうな ” お仙さん ” だった!
人気の「峠の茶屋・手打ち蕎麦」
* お寺のお堂に籠って!(ある夏の思い出)
最盛期には特急が停車した聖高原駅(麻績村)
小生が生まれたのは、この峠の麓・筑北(ちくほく)村、
青柳(あおやぎ)宿 のある山村だったが、国鉄・篠ノ井線が有ったので、
松本の高校まで、片道一時間余かけて汽車で通うことができた。
聖 山 高 峰 寺 本 堂(長野市)
さて、この峠の聖湖(ひじりこ)から数キロ登った山奥に、
「聖山・高峰(せいざん・こうほう)寺」(長野市)がある。
我が筑北村とは山の反対側なので、行ったことも名を聞いたことも
無かった山寺だったが、
以前に見た新聞記事(学生が寝泊まり)を頼りに手紙を書いたのは、
高3の夏(S33頃)。
懐かしの 高峰寺のお堂
進学塾・予備校 というものが無かった時代、
” 友人と二人で一ヶ月お堂をお借りしたい? ”
” 見知らぬ高校生にOK! ” 住職さんより返事を頂いた。
早速、毛布一枚と一ヶ月分の米と、いくばくかの食糧と「蛍雪時代」
をリュックにつめて出発・・までは良かったが・・
聖山の山中で道に迷う !?
・・・ 連絡手段が無いし、地図も無い・・・
やむなく、毛布にくるまって野宿 !
・・翌朝、何とかお寺に到着 ・・
消防団員やお巡りさんが山寺に来ている ・・
・・何が有った?・・まさか ?
” 高校生二人がクマ出没中の山中で遭難・・
・・住職さんが捜索願 !"
やぶ蚊 には襲われ苦戦したが、幸い熊は来なかった!
初対面の住職さんに、
お経をあげてもらうことにならなくて良かった・・
(若かったその頃、
皆さんに迷惑をかけたんだと・・今思う)
( 姨 捨 棚 田 の 源 流 )
近くにある「ひじり神社」の湧き水で炊いたハンゴウご飯の味が
忘れられない!
☟「麻績宿」と「稲荷山宿」の間に
(ひじり湖・高峰寺 ・姨捨) がある
中山道・洗馬(塩尻)から分かれて善光寺へ向かう
「善光寺西街道」図
明治の廃藩置県の当初、
この聖山の北は「長野県」、南側は「筑摩県(ちくまけん)」
と二つの県に分かれていたが、その後、
筑摩県が長野県に吸収され、県都は はるか信州の北部に移って
しまった!
以来、
松本ナンバーと長野ナンバー地区は、事あるごとに対立して
きているので、
今回、筑摩郡出身の学生がしでかした事件、
思い切り叱られる・・と思ったが、
質実剛健 の時代、この無謀な計画を、
学生だから、まあ! と言われた記憶も・・・。
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