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☆ 薮原宿(やぶはら・木曽郡木祖村)
江戸より65里35町16間(251.9km)、
京都より69里34町17間(274.7km)、
中山道の真ん中 薮原宿。
木曽路で最も標高の高かった奈良井宿(940m)から鳥居峠を越えると
薮原宿(930m)に到着する。
ここは当時、
飛騨高山へ向かう堺峠越え 野麦街道(鰤街道)への分岐点としても
賑わった。
木曽川が低い所を流れているこの宿場は米が作れず、櫛(くし)などの
木材加工が主産業で、主なものに「お六櫛」がある。
当時、妻籠宿産の木曽櫛が人気だったが、原料の木(ミネバリ)が鳥居峠
だったので、薮原産へと移行していった。
長野県伝統工芸・お六櫛
* 野麦街道と薮原宿
「あ〜野麦街道」・「女工哀史」などは、明治以降、
飛騨高山(岐阜県古川町)周辺から野麦峠を越え諏訪・岡谷の製糸工場
へ通った 若い娘達 の物語であるが、
当時、国をあげて推奨した養蚕、その製糸加工工場は群馬県と長野県
が中心で、特に諏訪湖周辺では4万人が働き、飛騨工女のほとんどが
ここで働いていた。
信州ブリ街道 ↑ *←この辺りが中山道薮原宿
野麦街道と鰤街道
江戸時代の「野麦街道」は「ブリ街道」と呼ばれ、
富山・氷見港→飛騨高山→野麦峠→奈川→堺峠→薮原→諏訪→甲州街道
経由で 氷見寒ブリ を江戸表へ届ける最短ルートであった。
しかし、堺峠が難所だった為、
新ルート 奈川→松本(波田)→岡谷が開設されたので、
飛騨の娘達が多くなり、三泊四日の旅にて諏訪湖で汗を拭うことが
出来た。
この道もまた「野麦街道」と呼ばれた。
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☆ 「女大河」に思うこと
皆が知っている主人公の活躍を再度日曜のゴールデンタイムに!
これが大河人気、
だから、NHK衛星(BSプレミアム)で見て、8時から本番で再度 ・
または、解説本や本日のストーリーを事前に学んでから ・・
こんなファン達に視聴率は支えられている。
しかし、一年おきの「女大河」、
その人の名前・存在すら歴史で習っていない(知らない)女性が主人公
となって活躍する !?
「八重の桜」「花燃ゆ」、
大物役者をどんどん投入するも、やっぱり視聴率は最低 !
それでも挑戦 NHK
女城主・景虎 三度目の正直か ?
頑張れ !
冬の尼ヶ淵城(上田城)
” 一年間お付き合いいただきまして、
ありがとうございました。
来年も宜しくお願い致します。”
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☆ 中山道・信濃二十六宿
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詳細
コメント(8)
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☆ 国の伝統的建造物保存地区・奈良井(ならい)宿
奈 良 井 宿
奈良井川は、犀川・千曲川と名を変えやがて日本海へ流れ下る大河・信濃川の
源流で、その分水嶺・鳥居峠の麓にある奈良井宿は、
940mという木曽路では最も標高の高い宿場町。
この先の峠を越えると、木曽川(木祖村)となって濃尾平野から伊勢湾へ向かって
下って行くのである。
伝統的建造物保存地区 の標
張り出した軒先の造りの町並みが特徴の奈良井宿、と隣町と木曽平沢は、
「宿場の奈良井」と「漆工芸の木曽平沢」と言われ、共に木工業が盛んで、
その繁盛のさまは「奈良井千軒」と呼ばれた。
奈良井宿は見どころがいっぱい
この「国指定 重要伝統的建造物保存地区」が二つも有る自治体
(旧ならかわ村・現塩尻市)は全国的に珍しい !
名物 五平餅屋の店先で(奈良井)
木曽平沢の街並み
道の駅「木曽ならかわ」 の漆器
(奈良井も平沢も旧楢川村)
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☆ 真田丸人気で生まれたネット用語
大河・真田丸が終わった !
最終回は裏番組・FIFAクラブワールドカップと重なったが、
年間放送回数は延期無しで50回、平均視聴率は「江」以来5年ぶりの
高さ=16.65% であった。
この番組で発生したネット用語は ・・
* 8時前にBSプレミアムで見る ” 早丸 ”
* NHKオンタイム放送 ” 本丸 ”
* 土曜の再放送 ” 再丸 ”
* 録画で見る ” 録丸 ”
そして、こんな用語も
* たんたんと人物の死をナレーションが読み上げる
” ナレ死 ”
熱心なBSで視聴した 真田ファンの 早丸君 は、
また、8時の 本丸 で幸村を再度応援 ・ そして ・・
サッカーは日本の鹿嶋が、スペインのマドリードに惜敗したが、
「真田丸」も「鹿嶋」も必死に頑張った ・・・・
真田丸 最終回
(NHK転載許可画像です)
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☆ これより南・木曽路
贄川関所と、 特急しなの
軽井沢から始まった「中山道の旅」
御嶽山の噴火で、木曽路の入口・本山宿で一休みしていたが、ようやく、
木曽路に活気が戻ってきたので、前へと進むことに ・・
本山宿(もとやま・塩尻市)を出発し、しばらく行くと峠の入口に
「是より南 木曽路」の碑が ・・ どうやら木曽路の入口らしい !
一般に「木曽路」とは、
中央アルプス(木曽山脈)の麓を流れる木曽川沿い、通称・木曾谷のことと
思われがちだが、
塩尻市の「贄川宿」と「奈良井宿」の二宿は、奈良井川(信濃川支流)に沿って
まだ登り坂で、分水嶺・鳥居峠を越えて木祖村へ入ってから、
ようやく下り坂となり、
「藪原宿(やぶはら)」から木曽義仲の故郷を木曽川にそって南下する街道
の総称である。
中山道69次・信濃26宿・木曽11宿
☆ 贄川宿(にえかわ・塩尻市)
贄川関所(丸一紋は関所役、山村家紋)
中山道69次(歌川広重は木曽街道69次と称した)の内33番目の宿場で、
木曽11宿の最北端「贄川宿」、
歌川広重(木曽街道69次・贄川宿)
ここには、「贄川関所」 が有り、御嶽山の登拝を求めた信者などの宿泊で
栄え、今に残る街並みは少ないが、次宿・奈良井宿に比べ、
深沢家(国の重文)住宅などの貴重な文化財が多い。
深沢家住宅・加納屋(重文)
* 贄川関所
福島関所(木曽福島)の副関として、北の入口を守る軍事的拠点・贄川関所、
女性の人物改め・木曽檜の木材改め など厳しい検問が行われていた。
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☆ 「真田丸」最 終 回
時代の荒波に翻弄され続けた真田家の船旅が終わる。
長旅は休憩なしで、ついに50話の最終章となった ・・・
形勢は圧倒的に不利な豊臣軍 ・
死を覚悟する茶々 ・・
鎧支度を整え、決戦に臨む総大将・秀頼 ・・・
戦況は、勝永らの活躍で一転 ・
徳川軍を次々と撃破 ・・
勇猛果敢に家康本陣へ突き進む幸村 ・・・
ついに姿を現した長年の宿敵、
家康を前にして幸村は !!
「真田丸」完
一年間お付き合いいただき有難うございました。
上田城の秋
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☆ 塩尻宿と桔梗が原ワイン
中山道六十九次のうち、江戸から数えて三十番目の宿場・塩尻宿、
ここで善光寺街道と合流、木曽路へと向かう
堀 内 家 住 宅(重文)
最盛期には旅籠が70軒あったという松本藩の玄関口
交通の要所のため、享保10年(1726)に天領となり、
幕府直轄の陣屋がおかれた。
☆ 牛伏寺と桔梗ヶ原
* 桔梗ヶ原
中信地方の代表的厄除け観音「牛伏寺(ごふくじ・松本)」と、
信州ワインンの産地「桔梗ヶ原(ききょうがはら・塩尻)」の地名には
こんな由来が有る
井 筒 ワ イ ン
京都から善光寺(長野)へ納入する大般若経の経本を運んできた2頭の
牛が、当地で倒れてしまった !
そこで、この地に寺院を建立して「牛伏寺」と命名した
同行してきた使者は、善光寺の使者に大般若経を託し、
立ち帰った所が ” 帰京が原 ”
これが、” 桔梗ヶ原 ” になった!
この桔梗ヶ原は、長野県産ワインの8割を生産する
9ワイナリーが有る
雨量が少ない土壌の本場・欧州と違い、多湿な日本は不向きとされているが、
信州は降水量が極めて少なく、且、一日の気温差が大きいため、
良質ワインの生産に向いているとのこと。
* 牛伏寺
牛 伏 寺
以前、この牛伏寺周辺で地震が有ったことが有るが、
ここに、牛伏寺断層が走っている・ ・ ・! という厄介な話、
そういえば、ここは、
富士山系を含む「糸魚川〜静岡構造線(ホッサマグナ)」上にあるのだ !
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☆ 中 山 道 と 塩 尻 峠
中山道(R20)は、岡谷から塩嶺峠(えんれいとうげ)を越えて、
塩尻宿へと向かう
塩嶺峠から見る岡谷・諏訪と八ヶ岳
塩尻側から、名前を変えながら日本海へ流れる「信濃川」と、
諏訪湖から太平洋へ下る「天竜川」との分水嶺であるこの峠は、
「塩尻峠」と呼ばれてきたが、
山国信州には、塩が無い !
太平洋から運ばれた「南塩」は、岡谷止まりで、
”上杉謙信が敵(信玄)に塩を送った” 「北塩」の終点が塩尻、
この峠が ” 塩と水の分かれ嶺 ” ということから、
「塩嶺峠」と呼ばれている
塩尻経由の「中山道」は、
江戸時代の当初は、岡谷〜小野(おの)〜贄川(にえかわ)経由であった !
大久保長安は、豊富な木曾材を江戸に送り、
江戸城・大名屋敷等の建設材にあてるため、
反対を押し切って、この路線建設を強行したためだが、後日、
それによる莫大な蓄財が発覚し処分された。
そして、当初案の善光寺街道との合流点・塩尻宿経由に変更となる。
☆ 辰野経由の中央本線
この古い街道近くの辰野経由で走ったのが、国鉄・中央本線(新宿〜名古屋)
この路線は、大きく迂回しているため、
現在は塩嶺峠の下にトンネルを掘り短縮された
そのため、今では数本しか走らなくなった辰野駅経由の中央本線は、
JRでも数少ない「本線」という名を残している
* 電車で見物・小野の御柱
七年に一度の小野神社(信濃国・二の宮)の御柱祭(おんばしら)
ダイヤが余裕となったこの路線に観光電車がはしる !?
なんと、駅でもない所に電車が臨時停車
乗客は、車中の特等席から祭り見物・ ・ なのだ !
電車で祭り見物・小野の御柱
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