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☆ 保 福 峠 の 景 観
保福寺峠から見る北アルプス
(常念の向こうに槍!)
”日本最古の峠”と言われる保福寺(ほふくじ)峠、
標高1345m(JR最高駅・野辺山駅と同じ)の峠は、
ウエストン郷が雪を戴く連山に感動し「日本のアルプス」と命名した
ところ(M24)
保 福 寺 峠
この峠を越えると松本市の保福寺地区
少し先へ進むと、鎌倉最後の宗派「時宗」 の租・一遍上人が、
美味しい水に感動したという「一遍水」が湧き出ている
一 遍 水
友人がたまたま、この古道を散策していたようで、
珍しいキノコのメールが届いた。
* アオイヌシメジ
食べれるが、強い桜餅のかおりが
* ギンリョウソウ
食べた人がいないので毒の有無は分からない
*ハリガネオチバタケ
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☆日本の古道・東山道
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詳細
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☆ 歴史の温泉郷 田沢温泉・沓掛温泉
十観山の麓には、温泉好きに知られている湯治場・田沢温泉がある、
秘境の温泉・沓掛温泉と共に飛鳥時代より続く ” つう ” の温泉郷である。
田 沢 温 泉
* 沓掛(くつかけ)温泉
沓 掛 温 泉
弘法大師が訪れた古い歴史の温泉、
秘境の湯治場と言われるにふさわしく、
近くには、炭焼き小屋や風穴も残っている
* 小説の宿・田沢(たざわ)温泉
ま す や 旅 館
開湯は飛鳥時代と古く、
格子戸の宿屋、重厚な門構え、情緒あふれる石畳 ・・・
歴史の雰囲気が漂う温泉郷 田沢温泉
島崎藤村の「千曲川のスケッチ」に登場する「ますや旅館」も健在 !
子宝の湯・有乳湯
鬼女が 坂田の金時 を産んだという伝説の湯、
共同浴場・有乳湯(うちゆ)は、
子宝を授かり、乳の出が良くなる ・・で人気 !
* 保福寺峠へ向かう
道路事情も変わり、今は松本への道は、青木国道が整備されているので、
保福寺峠を越える車は、土地の者くらい、
日本一の古道 の一つ・東山道も寂しくなってしまった。
時々、旧街道の古道を散策する人を見かけるが、
ちょっと松林へ入ると、山の幸が豊富なところ。
これは、おおもの!
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☆ 修那羅山・安宮神社(しゅならさん・やすみやじんじゃ)
八 百 余 体 の 石 神 仏 が
半月ぶり、それ以上だろうか、
待ちに待った恵みの雨は、首都圏直撃の台風だった !
青木村境にある修那羅山・安宮社(筑北村)は、
” しょならさま ”と親しまれているお宮で、
” 雨乞いの社 ”
修 那 羅 山 ・ 安 宮 神 社
修那羅大天武と称する修験者が、江戸末期の安政年間に、
干ばつで苦しむ土地の人達の熱望により、雨乞いの法を修し、
加持祈祷により多くの信仰を集めたのが始まりという ・・
この神社の周りには、860体の石仏像がならび、
230体は石神仏像で、
ユニークな表現の像や、他に類をみない異形像が多く、
見事な石仏群を成している。
石 神 仏
ほとんどが、高さは40cm前後の小さな像で、
修那羅大天武の信奉者や、地域一帯の人々が納めたもので、
この時代の庶民信仰の所産として残っている。
(置かれている石神仏は、摂末社として鎮座しているので、
祠まで含めると、1128社になる)
この赤い花は、 ゴンズイ だろうか?
筑北村からは、車道が整備されているが、
青木村から参道を登ると、滝山連峰と十観山が見える、
「十観山(じっかんざん 1285m)」は、その名の通り
南北アルプス・北信五岳・浅間山など360度の眺望ができ、
子檀嶺岳(こまゆみ)・夫神岳(おかみ)と共に「青木三山」
として、 東山道を行く旅人の安全を守ってくれている。
(次回はこの山の麓にある歴史の温泉・田沢温泉、
名湯にて体を休め、そして保福寺峠へ向かうことに)
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☆ 宝 暦 義 民 の 墓
” 夕立と騒動は青木村から ”
子檀嶺岳を望む所に宝暦義民の碑(庚申堂)が
江戸時代の天和・享保・宝暦・文化そして明治2年と5回もの
「百姓一揆」が起こった青木村 !
昔から裕福な村と言われ、冥加米(領主に対してのお礼米)218表を
供出した村なのに ?
江戸時代、百姓一揆の発生件数は信濃が一番多かった、
特に上田藩は20件とトップで、青木村はその内5件、
ここは、百姓一揆の村 とされていた
特に、宝暦騒動は大きな事件だった
夫神岳の麓で、宝暦騒動が起こった !
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宝暦11年(1761)上田藩における最初の惣百姓一揆「宝暦一揆」、
近村の庄屋達に頼み込まれて発起人を引き受けたのが、
夫神(おかみ)村の平百姓・半平 と、組頭・中沢浅之丞だった
12月のある日のこと
一夜のうちに全領民13,000人を動員して、上田城内へ押し寄せた、
そして、騒動は三日間におよび、
特権役人・裕福な商人宅を打ちこわししまった !
これは、まさに世直し一揆だった ・・ が、
結果、半兵と浅之丞は死罪となってしまった !
庚申堂の近くには義民の墓が並ぶ
「中沢浅之丞の墓」
「義民・半兵の墓」
” 圧政や不正を払いのけるための百姓一揆は、
まさにこの世の華である ・・ ”
と、青木村の人々は評し、
義民の碑はいたるところに建てられた
落ちている栗を拾う人は少ないが、
義民の墓にはいつも花が添えられている !
また、少雨のため雨乞いの日々の青木村、
滅多に降らない大雨、
青木から押し寄せる夕立は、一揆のごとく激しかった !?
あの時の首謀者や犠牲者を義民として崇拝している地区は、
入奈良本の4人、下奈良本に1人、中挟地区に2人、夫神地区に3人
が夫々祀られている
柿の葉が色付いてきた、青木の秋
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☆ 歴史の郷・青木村
上田市の隣に「信州の鎌倉」と呼ばれた信仰の里がある
東山道(保福寺街道)を進むと、
独特の恰好をした山・子檀嶺(1223m)岳が迎えてくれる !
「こまゆみ」とは、「駒斎(こまいみ)」が転じたもので、
ここは、古来よりの信濃16牧の牧場の一つ「塩原牧」で、
子檀嶺神社は駒の守護神を祀っている
全国に先がけ二毛作を実施した歴史をもち、温泉郷などで、
財政豊かな青木村は、近年の合併劇に参加せず、
独立の道を歩んでいる
この街道を通ると、
” 義民の里・青木 ” と、
” 夕立と騒動は青木村から ” の言葉を耳にする
日本有数の少雨地区で、雨乞い行事や神社が残る地区の夕立 ?
全国凶作の天保年間に、冥加米(領主に対してのお礼米)を供出した
裕福な村になぜ農民一揆 ?
これは次回に譲るとして、
東急電鉄の生みの親「ごうとう・けいた」と言われた、
五島慶太翁の出身地・青木村
村の玄関口にある
国宝・大法寺と、東山道・浦野駅(馬宿)を訪ねてみる
☆ 国宝・大法寺(だいほうじ)三重塔
この地に北条氏は「信州の鎌倉」を造り、鎌倉北条氏の庇護のもと、
数多くの寺院(重文・国宝)が残された
青木村にも、鎌倉時代の栄華を残す名塔がある、
「国宝・大法寺の三重塔」
初重が特に大きく、興福寺の三重塔と同じ工法で、
あまりの美しさから誰でもが振り返ると言われ、
「見返りの塔」と呼ばれている
信州の国宝建造物(土器・土偶国宝を除く)は五か所、
松本城・仁科神明宮(大町)・善光寺のほかは、
当地区の「安楽寺・八角三重塔」と「大法寺・三重塔」
他に多数の重文がこの地に集中している。
しかし、大法寺の本堂の歴史はさらに古く奈良時代の大宝年間の建設
大 法 寺 本 堂
我が国で最も古い官道・東山道が、都の中心からこの地に
仏教思想をもたらし、大法寺が建設された、
観音堂に安置されている十一面観音像は信濃最古の仏像で、
厨子・須弥壇(しゅみだん)他も国の重要文化財
☆ 浦野駅(うらのうまや)
大法寺の近くに、最近、駅(うまや)跡が発掘された
東山道は、信濃国分寺〜浦野駅〜保福寺峠〜錦辺駅(松本)
となっていて、
30里(16km)ごとに駅馬をおき、馬10疋(ひき)と定められて
いたが、浦野駅と錦辺駅には駅馬15疋が認められていたようである。
浦 野 駅 跡
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