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☆ 今も活躍中・上田の学舎
* 真田藩主居館と上田高校
大阪の陣により、徳川政権に決した。
真田信之は、上田藩と従来の沼田藩(上州)の主となった。
しかし、上田城は戦乱で荒れていたため、城外にある藩主居館にて藩を
統治し、松代藩10万石へ移封されるまで続いた。
この居館跡(市役所の奥)は、現在、県立・上田高校の学び舎となって
上田藩の伝統を継いでいる。
* さくら国際高校
今に残る木造校舎は沢山あるが、この通信制高校は、大正時代の木造
校舎の中で授業を行い、現役活躍中 !
弘法大師の名づけた「独鈷山(とっこさん)」の麓、
近くには、別所温泉・信州の鎌倉の仏蹟が残っている。
* 信州大学・講堂
蚕都・上田をリードしてきた信大繊維学部(M44年)、
そのシンボルとして残る講堂(S4)は現役で活躍中で、
最近は映画の撮影に登場(国の有形文化財)。
* 紅の上田城
徳川軍を翻弄し、智将・と言われた真田幸村は、上田城本丸内に
学問の神として「真田神社」内に祀られている。
真田神社の近くの櫓は、紅葉の季節を迎えた。
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信州の学び舎
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☆ 坂城町の格致(かくち)学校
明治11年に開校した擬洋風校舎、
正面入口のアーチ、ガラス入り開き戸など洋風にしながら、
屋根や漆喰の外壁は、日本の伝統の良さを取りいれている。
* 菊 花 展
古くから薔薇の出荷が盛んであった坂城町は、町内いたるところに
バラが咲いていて、小・中・高校の庭も薔薇で埋まっているが、
この時期、小学校の廊下は 三本立ての菊の鉢がびっしり並んでいる。
高学年への授業の一環であるが、見事な出来栄えである。
そして、町の菊花展会場も、菊のマニアの作品が所せましと並ぶ ・・
私も参加させてもらった(手前の数点)
* ながのパープル
坂城町は、ブドウ・巨峰の出荷が盛んなところであるが、
最近、巨峰の兄弟分「ながのパープル」の人気が凄い!
” 大きくて、種なしで、皮まで食べれる!”
が、生産が間に合わない!
ch4の ” 嵐にしやがれ!”
で、「櫻井 翔」さんが、先日坂城の農園で、「ながのパープル」をねだって
いた!
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☆ もう一つの五稜郭(佐久市)
佐 久 の 五 稜 郭
「星の城」の中で学ぶ小学校がある。
そのお城は、日本で二つしかない西洋式城郭・龍岡(たつおか)城 !
この五稜郭の中に田口小学校がある。
「函館の五稜郭」は、蝦夷地を治める函館奉行が、箱館(はこだて)の防備の為に
建築したもの。
” 銃や大砲が発達してくる時代になると、これに対抗して防御側の死角を少な
くする構造が必用になってくる ” そこで、
フランスの元帥が考えたのが、
” 平城で機能が発揮するのが星形城郭 !”
星 形 城 郭
* 時代の先駆者
龍岡城主・松平乗謨(のりたか)は、老中・陸軍総裁など幕府の要職にあり、
我が国の鎖国政策による軍備の立ち遅れに、国家存亡の危機を憂いて洋学を
学び、江戸末期の動乱情勢をにらみ、この龍岡城を建設した。
また、明治の激動期に入ると、日本の赤十字社(伯愛社)を設立し、
新しい時代の変革に寄与した先駆者であった。
* 「御台所」は残った !
城内の建物は、明治4年の廃藩で買い取られたり、取り壊されたが、
御台所は大きすぎた為、買い取り手が無く、
その後の学制により学校として使用された。
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☆ 佐久市の旧中込(なかごみ)学校
明治8年(1875)に完成した中込学校は、国内に現存する最古級の
洋風校舎で、国の重文(前出の松本開智学校より古い)。
玄関・バルコニーは欧米のルネッサンスの石造建築の手法を木造に応用
したもので、中央の天井から太鼓を吊るして時を告げた。
建設費は当初の380円が、6,000円を超えた、
(最近、江戸でも似た話が!)
そのため、旧下中込村の財政を後々まで圧迫した。
中込学校内部
* 旧 大 沢 小 学 校
上田と韮崎(山梨県)を結ぶ国道141号近くに佐久市・大沢地区が有る
明治26年に建てられた木造二階建で、
中央階段など明治中期の学校建築の特徴が現れている。
現在は資料館。
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☆ 松代藩校(長野市・まつしろ)・文武学校
文武学校(正面)
松代八代藩主・真田幸隆〜九代・真田幸教(ゆきのり・1853)にかけて、
藩士・佐久間象山らが説いた、
” 藩士の子弟に文武の道の必要性 "の意見を取りいれ、
文武学校(ぶんぶがっこう)を開校した。
一部は松代小学校でも使われた
従来の儒学中心から、荒れる幕末の世相をみて、文学・武芸(剣術・銃術・槍術)
教育となった。
建物は広く、9棟で1600㎡あった。
明治以降、松代小学校の校舎として使われたことも有る。
文武学校鳥瞰図
☆ 松代藩が産んだ指導者たち
* 真田邸と14代当主
文武学校の塀と松代小(手前右)
道の左は真田邸
道を挟んで左側に幸教公が母・貞松院のために建てた大名屋敷・真田邸がある。
全国的にも希少な城外御殿で国の史跡、
真田邸・新御殿
13代当主は国に寄贈するまで住んでいた。
なお、14代当主は、現役の慶大教授。
* 恩田杢と藩政改革教科書
真田邸の横には、恩田杢・民親(おんだもく・たみちか)家老の住居跡がある。
本の題名は、徒然草の頭に似て、「日暮硯」
江戸中期の松代藩家老・恩田杢の業績についてのべている。
恩田家老象
藩の財政が困窮した折登用された恩田家老は、
” 嘘を言わぬ ”を標語として、” 率先垂範 ”で藩の財政を立て直した !
この「ひぐらしすずり」は経世救民の良書として、二宮尊徳翁も座右の銘
として愛読したと言われ、
現代の企業経営に当てはまるこの本は、職場教材に取りいれる会社が
多くなった。
(恩田杢の墓所は真田家菩提寺・長国寺内にある)
* 学問の神・象山神社
象 山 神 社
江戸後期の開国派兵学者で、吉田松陰・坂本龍馬等の師・佐久間象山は、
我が国初めての 大砲試射と電信実験を当地にて行った。
学問の神として生誕地横の「象山神社(ぞうざんじんじゃ)」に祀られている。
(来年の大河・真田丸で、初代藩主・信之を演ずるは洋さん!
(楽しみと不安)人気で松代がもえている 次回)
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