西教寺
・・・琵琶湖を望む比叡の山のふところ、
しじまにひびく断えざる証の音
奥深い歴史と四季の風情にやすらぐ・・・
西教寺は正しくは、天台(てんだい)真(しん)盛宗(せいしゅう)総本山(そうほんざん)戒(かい)光山兼法(こうざんけんほう)勝(しょう)西教寺(さいきょうじ)といいます。聖徳太子が恩師である高麗の僧慧慈、慧聡のために創建されたと伝えられています。その後、久しく荒廃していましたが、慈恵大師良源上人が復興、念仏の道場としました。恵心僧都も入寺された恵鎮(円観)上人は、伝教大師が畢生の事業として提唱された大乗円頓戒を復興、その後百有余年を経た文明15年(1483)に真盛上人が入寺されるに至り、堂塔と教法を再興、不断念仏の道場とされました。以来全国に約四百余りの未寺を有する総本山となりました。
<本殿>・・・重要文化財・江戸時代
桁行七間・梁間五間・総欅入母屋造の豪壮な本殿は、江戸時代の元文4年(1739)に上棟落成。用材は紀州徳川家から寄進されたものです。正面の欄間(十六羅漢)や須弥壇(籠彫)はすべて欅の素木造りで、江戸初期の特色を表す豪華な装飾が施されています。
内陣には重要文化財の本尊丈六の阿弥陀如来(藤原時代・定朝様式)が安置されています。また鐘桜の梵鐘(平安時代・重要文化財)は坂本城の陣鐘で明智光秀が寄進したものです。
<客殿>・・・重要文化財・桃山時代
もとは豊臣秀吉の伏見城にあった旧殿で、慶長3年(1598)に大谷刑部吉隆の母
山中長俊守内室が寄進したものです。桃山御殿と別称される客殿は、桁行一二間、梁間八間、杮葦重屋根で南面を入母屋造、北面を切妻とした質素で落ち着いた桃山様式を伝える数少ない建物です。
その他・みどころ
真盛上人座像(県指定)
真盛上人「身代わりの手白猿」
本尊阿弥陀如来像(重文)
木造薬師如来像(重文)
本堂欄間(一六羅漢彫刻)
客殿庭園
客殿内部「花鳥の間襖絵」(伝・狩野永徳筆)
明智光秀の墓
明智光秀寄進の坂本城陣鐘 等
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