日吉東照宮
御祭神は三柱で、中央に徳川家康公・向かって右側が日吉大神・向かって左側が豊臣秀吉公が祀られている。明治の御世に至るまで延暦寺の管轄下にあったが神仏分離令が出されるとともに日吉大社の管轄となり、明治9年(1876)に当社の末社に制定された
全国の東照宮造営の経過としては、元和2年徳川家康公の没後その遺命により静岡久能山に祀られ、一年後には日光に祀られている。現在見られる様な拝殿を石の間で繋ぐ、
いわゆる「権現造り」の発祥はここ日吉東照宮といわれている。徳川三代将軍家光公上洛の途次に比叡山天台宗の大僧正天海上人に命じて考えさせた権現造りは、石の間が数段低く設計され、祭典奉仕者が将軍に背を向けて奉仕をしても非礼にならないように配慮されている。日光東照宮の様に本殿・石の間・拝殿・向拝が一体ではなく、拝殿から本殿に伸びる梁が本殿まで達しておらず軒下で止まっている等、本殿と拝殿を如何に繋ぐかを苦心した跡が伺える。
日吉東照宮は、元和9年(1623)に造営され、その後僅かの歳月にもかかわらず、寛永年間に再建着工(現社殿)し、同11年(1634)七月には勅使を迎えて盛大に正遷座が斎行されている。その秋に日光東照宮が再建に着工され、同13年春に正遷座されている事を鑑みても、当社が日光の雛形として再建されたといわれる所以である。
大正6年に東照宮社殿が国の特別保護建造物となり、昭和4年に国宝、同25年に重要文化財に指定、同31年には唐門と好塀が追加指定された。東照宮橋(権現橋)は
昭和10年に水害のため流失した。
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