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自分が何かこう、情報でも、モノでも受け取る。
ということは、ワタシ非常によくあります。
恵まれていると思います。
罰あたりなんじゃないだろうか。
と、思うことすらあります。
ワタシは基本仏教徒です。
細かいことは良くわからんのですが、六波羅蜜については実践するといいことがあるのではないかと思っています。
六波羅蜜というのは、
「布施」「持戒」「忍辱」「精進」「禅定」「智慧」
人を救い世を救えるような理想的な人間になるためには、どれも欠くことのできない条件だと言われています。
まぁ、人を救い、世を救えるようなえらい人になろうとは思ってないんですが、これを実践すると実は自分自身が救われるのではないだろうかと言うことです。
具体的なのは布施であり、できることから少しずつ実践し、仏の境地へ
一歩でも近づいていこうと、仏教では教えています。
布施とは何かというのをここからコピーさせていただこうとおもいますが、
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/beach7/rokuharamitsu.htm
布施(ふせ)
布施とは、一般的には第一に「他人に物を施すこと」、第二に「僧に財物を施すこと」という意味であるが、仏教的には次の3種類がある。
財施・・・財の布施。他人にお金や物を施すこと。募金活動など。
身施・・・身の布施。他人に身体を使った労力を施すこと。清掃奉仕など。
法施・・・教えの布施。他人に仏の教えを施すこと。説法すること。
なお、これらの施しを行なうときにはある動機が必要不可欠であり、それは、一切の見返りを求めず(そういう心を持たず)、他人の幸せを心から祈るということである。つまり、ギブアンドテイクでは決してないということである。
見返りを求めないということは、「自分はこれだけの布施をしたのだ」と偉ぶることもなく、逆に 「自分はこれだけしかできなかった」と卑下することもないということである。
転載ここまで・・・・・・・・・・・・・
うーん、なんだかかっこいいですね。
さらに転載・・・・
自分でできるだけの布施を行ない、布施ができること自体が「有り難い」と思えることによって、自分自身の仏性が磨かれるのだと説かれる。
転載ここまで・・
まぁ、ワタシが目指してるのはこのあたりですが、どうも性根がケチくさいので、布施ってかっこいいと思いながらそこで立ち止まっているわけですけどね。
もうそもそも、そんなことを考えてみることすら、ダメなんじゃないだろうか。という気もします。気もしますが、まぁ、やってみたいと思います。
で、なんでそんなことを言いだしたか。
というと、ワタシが日々流してる情報等というのは、何か広がりを持っているのであろうか?
ということをたまに考えるからです。
自分は受け渡されて何かをする。
そこで力尽きて終わる。
では、何も続いていかない。
と、思うわけですが、やっぱりそこでおわる。
エネルギーの循環、気の循環といいますか、こう、歯を食いしばってやっていかないと前に進めない、前に進むといずれは崖から落ちるしかないみたいな、そういう流れではなくて、ふわふわっとこう、よどみなく流れて、自分がいなくなっても、自然にこう受け皿ができているような、そういう状態というサイクルを作れないだろうか。
ということを考えるわけです。
これは、核燃料サイクルと言う原発推進の人が良く言っているが、現実にはありもしないエネルギーシステムに対抗するという現実的な話ではなくて(笑)もう少し大きな抽象的なサイクルです。
どうしても、問題意識を持って物事に取り組もうと思うと、憤慨したり、怒ったり、焦ったり、という負のエネルギーが出てきてしまうので、そうではない何かというのを作りだしていくにはどうしたらいいのだろうか。
みたいな。
そういう感じかな。
伝導率の良い物質のことを想像してしまいますが、ワタシが自分をとらえるときに、放射線が自分にあたって、影響を与え(すなわちエネルギーを与え)ワタシ自身は何らかの変化を受ける、そして、放射線は減衰する。 みたいなそういうイメージのほうがなんとなくぴったりきてしまうのですが、この減衰する。といういイメージがどうも私を悲しいというか、そこはかとなくせつない気持にさせる今日この頃です。
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