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			<title>いつも観音様のように。</title>
			<description>春ですが、修羅の道を歩んでおりますが、観音様のように生きるにはどうしたらよろしいか、考えてみたいと思う今日この頃でございます。

普段はこう言うことをしています。

ウクレレ歌人☆さかなちゃんHP
[http://sakana20001.fc2web.com/jhp/index.html]</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/sakana20004</link>
			<language>ja</language>
			<copyright>Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.</copyright>
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			<title>いつも観音様のように。</title>
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			<description>春ですが、修羅の道を歩んでおりますが、観音様のように生きるにはどうしたらよろしいか、考えてみたいと思う今日この頃でございます。

普段はこう言うことをしています。

ウクレレ歌人☆さかなちゃんHP
[http://sakana20001.fc2web.com/jhp/index.html]</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/sakana20004</link>
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		<item>
			<title>目に見えない放射能が原子炉から環境へ。犠牲者非難が横行するのではと心配です。</title>
			<description>目に見えない放射能が原子炉から環境へ。犠牲者非難が横行するのではと心配です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
犠牲者避難とは。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;a HREF=&quot;http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/030608VB.html&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/030608VB.html&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
～抜粋&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
犠牲者非難とはvictim blaming の訳語で「その人の不幸を自業自得であると非難する」という言語行為をさします。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
(略)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このタイプの非難の最大の問題は、病気になる原因には、個人の行動から社会による傷害までさまざまな次元があり、犠牲者非難は、そのような多様な病気の原因を、個人の道徳レベルに還元して（いわゆる「すり替えて」）しまうことです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
病者＝犠牲者を非難しないのが近代医療が もつヒューマニズムの原型と思われていますが、現代社会の病者をとりあつかう現象にも、病者を道徳的に非難の対象にする現象は生きています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・・・&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今後本質を見ないでそのようなすり替えが横行するのではと危惧する今日この頃です。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/sakana20004/52890220.html</link>
			<pubDate>Tue, 20 Dec 2011 15:14:31 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>六波羅蜜を改めて考える。</title>
			<description>自分が何かこう、情報でも、モノでも受け取る。 &lt;br /&gt;
ということは、ワタシ非常によくあります。 &lt;br /&gt;
恵まれていると思います。 &lt;br /&gt;
罰あたりなんじゃないだろうか。 &lt;br /&gt;
と、思うことすらあります。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ワタシは基本仏教徒です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
細かいことは良くわからんのですが、六波羅蜜については実践するといいことがあるのではないかと思っています。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
六波羅蜜というのは、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「布施」「持戒」「忍辱」「精進」「禅定」「智慧」 &lt;br /&gt;
人を救い世を救えるような理想的な人間になるためには、どれも欠くことのできない条件だと言われています。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
まぁ、人を救い、世を救えるようなえらい人になろうとは思ってないんですが、これを実践すると実は自分自身が救われるのではないだろうかと言うことです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
具体的なのは布施であり、できることから少しずつ実践し、仏の境地へ &lt;br /&gt;
一歩でも近づいていこうと、仏教では教えています。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
布施とは何かというのをここからコピーさせていただこうとおもいますが、 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;a HREF=&quot;http://www.alpha-net.ne.jp/users2/beach7/rokuharamitsu.htm&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;http://www.alpha-net.ne.jp/users2/beach7/rokuharamitsu.htm&lt;/a&gt; &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
布施（ふせ） &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　布施とは、一般的には第一に「他人に物を施すこと」、第二に「僧に財物を施すこと」という意味であるが、仏教的には次の３種類がある。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　財施・・・財の布施。他人にお金や物を施すこと。募金活動など。 &lt;br /&gt;
　身施・・・身の布施。他人に身体を使った労力を施すこと。清掃奉仕など。 &lt;br /&gt;
　法施・・・教えの布施。他人に仏の教えを施すこと。説法すること。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　なお、これらの施しを行なうときにはある動機が必要不可欠であり、それは、一切の見返りを求めず（そういう心を持たず）、他人の幸せを心から祈るということである。つまり、ギブアンドテイクでは決してないということである。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　見返りを求めないということは、「自分はこれだけの布施をしたのだ」と偉ぶることもなく、逆に　「自分はこれだけしかできなかった」と卑下することもないということである。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
転載ここまで・・・・・・・・・・・・・ &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
うーん、なんだかかっこいいですね。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さらに転載・・・・ &lt;br /&gt;
　自分でできるだけの布施を行ない、布施ができること自体が「有り難い」と思えることによって、自分自身の仏性が磨かれるのだと説かれる。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
転載ここまで・・ &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
まぁ、ワタシが目指してるのはこのあたりですが、どうも性根がケチくさいので、布施ってかっこいいと思いながらそこで立ち止まっているわけですけどね。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もうそもそも、そんなことを考えてみることすら、ダメなんじゃないだろうか。という気もします。気もしますが、まぁ、やってみたいと思います。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
で、なんでそんなことを言いだしたか。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
というと、ワタシが日々流してる情報等というのは、何か広がりを持っているのであろうか？ &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ということをたまに考えるからです。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自分は受け渡されて何かをする。 &lt;br /&gt;
そこで力尽きて終わる。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
では、何も続いていかない。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
と、思うわけですが、やっぱりそこでおわる。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
エネルギーの循環、気の循環といいますか、こう、歯を食いしばってやっていかないと前に進めない、前に進むといずれは崖から落ちるしかないみたいな、そういう流れではなくて、ふわふわっとこう、よどみなく流れて、自分がいなくなっても、自然にこう受け皿ができているような、そういう状態というサイクルを作れないだろうか。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ということを考えるわけです。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これは、核燃料サイクルと言う原発推進の人が良く言っているが、現実にはありもしないエネルギーシステムに対抗するという現実的な話ではなくて（笑）もう少し大きな抽象的なサイクルです。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
どうしても、問題意識を持って物事に取り組もうと思うと、憤慨したり、怒ったり、焦ったり、という負のエネルギーが出てきてしまうので、そうではない何かというのを作りだしていくにはどうしたらいいのだろうか。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
みたいな。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そういう感じかな。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
伝導率の良い物質のことを想像してしまいますが、ワタシが自分をとらえるときに、放射線が自分にあたって、影響を与え（すなわちエネルギーを与え）ワタシ自身は何らかの変化を受ける、そして、放射線は減衰する。 みたいなそういうイメージのほうがなんとなくぴったりきてしまうのですが、この減衰する。といういイメージがどうも私を悲しいというか、そこはかとなくせつない気持にさせる今日この頃です。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/sakana20004/51741323.html</link>
			<pubDate>Wed, 26 Jan 2011 08:37:39 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>曇った眼をクリアに。喜びあいたいから。</title>
			<description>具体性のない理想論みたいなのはイヤなんですよ。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今そこで苦しんでる人がいるのに。 &lt;br /&gt;
どうやって不都合を克服していくか考える前に、現実を捉える必要がある。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現実を捉えるので精一杯で何も行動できなければ意味がない。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
知る→伝える→アクション &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
どこの段階にいたってかまわないんだけど。 &lt;br /&gt;
せめて知る→伝えるまではやりたいし、伝える手段がないなら、アクションだけでも良いような気がしたりもします。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
脳内から出ない人に対して批判的に見てるわりには、私も脳内から一歩も出ていない気がとてもするんです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
まだ力は及ばないが絶対自分の手で現実を変えたいです。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/sakana20004/51400138.html</link>
			<pubDate>Thu, 28 Oct 2010 20:41:59 +0900</pubDate>
			<category>詩</category>
		</item>
		<item>
			<title>観音か、不動か。</title>
			<description>観音か、不動か。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 観音とは何か。と言う定義をする前にこのトピを立ててしまうのもなんなんですけど立ててみます。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
観音という立ち位置だけが正しいのか。と言うとそうではないような気が私はしています。観音とはあくまでも冷静に慈悲の心を持って、決して怒ったりせず現実を現実と捉え、対処していく。自分のことだけでなく、あらゆる物事に注がれたまなざし、影響する行動ではないかと私は考えているのですが、それに対して不動の心とは、すべての悪を焼き尽くす怒り、生きるために怒る、生きる炎を上げるそんなイメージが私にはあります。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
怒りと言うことを現代人は嫌いますが、果たして怒ることが悪いことなのでしょうか？ &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
怒りすぎれば、目もくらむこともある。だけど、怒りも必要なのではないか。と思う今日この頃です。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/sakana20004/51253007.html</link>
			<pubDate>Fri, 24 Sep 2010 08:50:59 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>心を亡くす。旅に出る。</title>
			<description>日々何かに夢中になって、そればかり見つめていると、心を亡くしていきます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
忙しいという時は、本当にそう言う状態なんだな。と最近思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
怨みに取り付かれてさまよっていた頃と今は違い、夏空のような明るい光の中でまぶしくて目が眩んでいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今の私は、そう言う状態です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自分を振り返る時間をなかなか持てずにきました。&lt;br /&gt;
夢遊病患者のように目先のことだけこなした、いや、こなしきれずに来ています。&lt;br /&gt;
このことで心苦しく思ってきました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
去年から家を離れて、旅に出ることが多くなってきました。&lt;br /&gt;
皆さん、旅に出るときに、どんなことを考えて旅に出ますか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
きっと、又うちに帰ってくることが前提、気軽に家を出られるんじゃないでしょうか？&lt;br /&gt;
連続する明日を何の疑問もなく信じている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私も、そうです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、ふと思ったのですが、明日がやって来る事を誰も保障されてなどいない。&lt;br /&gt;
それを考えると旅に出たときだけではなく、日々日常死と隣り合わせの覚悟が必要なのだなぁと。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ですが、この覚悟に向き合うには相当体力、気力が必要であるように思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自分がいなくなったとき、何が残るかということを考える。&lt;br /&gt;
一つそう言うことに向き合う時間を作らなければいけないなぁと思いながら日々が過ぎています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もう遠い旅に出る準備を始めておかねばならないと思います。&lt;br /&gt;
長い怨みの闇から抜けて、光の中を歩いている今だからこそ出来る用意があるように思うのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そういった踏ん張りこそ、『観音の力』なのではないか。&lt;br /&gt;
と、改めて思っています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
観音の力で日々邁進できますように。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
＜合掌＞</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/sakana20004/51082649.html</link>
			<pubDate>Mon, 16 Aug 2010 08:18:03 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>縁と不思議</title>
			<description>&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;随分長い間、なんだか笑えない日々が続いて、誰も私をわかってくれないんだと思って悲しんできて、なんだか無理して笑ったりしてきたけど、私が上手く私が見たままを説明できなくても、私が変な事を言っても、見捨てないで傍にいてくれる人がいるから、私は幸せだなぁと思います。ありがとうございます。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;本当に私に力があるのか、毎日毎日無力感にめげそうになってきたけど、螺旋階段を登るように時間は過ぎて、高いところにいつの間にかいるような気がする。それでも上は遠いし、過ぎてしまった日々も遠くなってきました。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;でも、&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;忘れてしまった悲しかった昔を&lt;br&gt;
一つ一つ丁寧に思い出して&lt;br&gt;
もう私は悲しくないんだって&lt;br&gt;
言い切れる日が来ますように。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;＜合掌＞&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&amp;nbsp;&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/sakana20004/50611659.html</link>
			<pubDate>Wed, 05 May 2010 19:59:05 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>信仰と言うもの</title>
			<description>信仰とは何のためにあるのか。&lt;br /&gt;
自分の心を落ち着かせるため。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
落ち着くのなら、イワシの頭でも良いのではないでしょうかと、正直私は思うわけです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
仏教。私はその全てを理解してはいない。&lt;br /&gt;
私のなかの観音に耳を傾けるだけ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
お釈迦様は、このような場合、どのように思われたのか。と。&lt;br /&gt;
時空を超えて考えてみる。静かな心の中での対話。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかしそれは私の中の物語でしかなく、本当はどうなのか誰も今となってはわからないほど遠い昔の話。&lt;br /&gt;
私が想うことはそこにはないかもしれない。ただの幻かも。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
恋に焦がれているときのような、せつなさを感じます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
仏教の仏典に詳しくなくても、お釈迦様が本当はそう言うふうに言っていなかったとしても、やはり私が信じるのは、人間として生きたいということなのではないかと思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
又至らないからこそ、観音に憧れるということです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
合掌＞</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/sakana20004/48723864.html</link>
			<pubDate>Tue, 23 Jun 2009 19:08:46 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>憤りと矛盾</title>
			<description>私が憤りを感じはじめたのは、｢知識｣を振りかざして人を醜く罵倒する人たちの存在でした。&lt;br /&gt;
｢知識ファシズム｣とというか、｢情報ハラスメント｣と言うか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それでいて、そのような行いをする人々の知識や認識というのは酷く歪んでいて、よくよく調べてみたら全く現状にそぐわないものばかりだった。ということがしばしばあったのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なんか腑に落ちないが、自分が無知であったがばかりに、その場で何も言えなくなってしまった悔しさから私はどうなってるのか正しく自分なりに知る術を持とうと考えました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そのようなことを考え行動し始めて10年近くになりますが、まだ知らないことは多いです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
最近持ってる｢知識｣は増えても、｢智慧｣が足りてないような気がしてきました。&lt;br /&gt;
自分自身が知識ファシズムの権化のように、知らず知らずのようになってきていたことに気付きました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
知識がなくても、智慧があればおぼろげながら真実に辿りつく事は出来る。&lt;br /&gt;
ですが、ある程度開いていなければやはり心もとないものです。とはいえ全ての人にまっとう出来るだけの時間も気力もないと言うことはある。そこで諦めさせては、何も変わらない。それなりの方法を見つけてそれぞれが出来ることをやっていく。このことが重要なのではないかと最初まだ私が知識が乏しい頃考えていたことでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
仏教に例えるなら、｢南無阿弥陀仏｣と唱えただけで悟りが開ける。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
仏に帰依します。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
と、表明しただけで、道は開ける。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
まさにそう言うことです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ただ、その道が正しい道なのかは常時自分で見極める必要がいつもあると私は考えてきました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
お題目を唱えてるだけで悦に入ってしまうのはやはり違うと思う。&lt;br /&gt;
ただ、同じ道を選んでいるのだから、厳しく攻撃したりはせずに、共に歩んでいけるようなそんな関わりが持てたらいいという原点を見失わないようにしたいと思う今日このごろです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
共に良い方向に歩いていけますように。&lt;br /&gt;
＜合掌＞</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/sakana20004/47742637.html</link>
			<pubDate>Thu, 09 Apr 2009 23:59:26 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>憎んではいけない憎んではいけないのだと思う。</title>
			<description>正義が通らず不条理がまかり通っていると、憎しみが心の澱となって沈殿していきます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
気がつけば真っ黒真っ暗闇、辺りの美しさも何も目に入らなくなる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そんな時があります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
真面目に人間を愛していればこそ、日々悪行に憤り、しまいに心を病んでしまう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それでは悲しすぎるような気が、最近はしてきました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現実に対して、どう言うスタンスで考え問題解決をしていくのか。&lt;br /&gt;
お釈迦様ならどのようにされるのだろうなあ。と。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
訪れた寺で仏様の面持ちを見ながら私は想いを巡らすのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
慈悲の心とは、もちろん相手を想いやる心ではありますが、同時に自分をも守る手段ではありますまいか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
悪行に走ってしまう愚かな人々を裁く権利など誰にもない。&lt;br /&gt;
共に生きるために&lt;br /&gt;
憎んではいけない、憎んではいけないのだと思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そう言うことを考える今日このごろです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
皆それぞれ幸せになりますように。&lt;br /&gt;
過不足なく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
＜合掌＞</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/sakana20004/47741933.html</link>
			<pubDate>Thu, 09 Apr 2009 23:20:22 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>春の高野山</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-58-b9/sakana20004/folder/411600/64/47671164/img_0?1238847551&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
先日15年ぶりぐらいに高野山に行って来ました。&lt;br /&gt;
世界遺産になってからは初めてです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
まだ桜が咲く前の高野山、ふきのとうがそこここに出ていて、春を待ってる風情が印象的でした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
高野山は子供の頃まだ仏教の事など何も知らない頃、良く避暑に行きました。&lt;br /&gt;
山であることも相俟って不思議な空間だと思ったものです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
余り時間がなかったので、奥の院でお参りして、後はちょっと歩いただけのちょっとした散歩だったですが、アチコチ新しくキレイになってたりもしましたが、都度都度訪れた時の思い出が思い出されました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
心の故郷です。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/sakana20004/47671164.html</link>
			<pubDate>Sat, 04 Apr 2009 21:19:11 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		</channel>
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