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DLあきた号の音源をUPするべきところを誤って、ELあきた号の音源をUPする事象が発生いたしました。
大変、申し訳ございませんでした。
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音鉄
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詳細
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・はじめに
先日、2月15日を以って筑豊本線6528Dの録音を終了し、6528Dの折り返しの6433Dを以って筑豊本線 直方ー若松間(福北ゆたか線・若松線)での気動車列車の録音を終了した。
残念ながら、最後の録音は所定運用のキハ47ではなく、キハ31充当となったが、貴重な音源を録ることができた。
若松線と呼ばれる同線の折尾ー若松間は私が初めてキハ40系の原型機関を録音した区間であり、6528Dは特に好きな気動車列車であったが、来たる3月のダイヤ改正で電車化され、直方ー若松間から営業運転の気動車列車は廃止される予定である。
筑豊本線 直方ー若松間からの気動車列車廃止、そして、キハ40系気動車録音開始5周年を迎えるのを前に、このおよそ5年間のキハ40系気動車の録音を振り返ってみたいと思う。
・初めての録音
初めて、キハ40系を録音したのは平成24年6月のこと。山口線 山口ー大歳間でのキハ47−81の録音であった。
この車両はエンジンを新型エンジンに乗せ換えた車両(以下、換装車と呼ぶ)だったが、迫力あるエンジン音にキハ40系気動車の魅力を感じた。それは、これまでキハ40系に興味などないというよりは嫌っていた私にとっては、新鮮な感覚だった。
かつては私が大好きだったキハ58系を鹿児島や山口などで置き換えた車両こそがキハ40系であったが、(もっともそのキハ40系もキハ200などの新型気動車に玉突きされていたりもするのだが)もうそんなことは関係ないと思った。
帰宅してから、キハ40系気動車のことについて調べ、さらにキハ40系の魅力に取りつかれていった。
山口線で録音したのは換装車であったが、原型機関も録音したいと思うようになった。
当時、近場でキハ40系の原型機関が運用しているのは唐津、直方(竹下)、直方(若松線)であった。このうち唐津は3両と両数が少なく何度が高いと思い、とりあえず、録音を見送った。残った、直方(竹下)と直方(若松線)のうち、換装車がほとんどおらず、祖父母宅に行く際についで録音可能な若松線で平成24年8月4日に録音を行うこととした。
当日は、折尾ー直方間をキハ47−70(現 キハ47−8070)で2往復し、原型機関の走行音収録した。
その後も、暇を見つけては、若松線だけでなく、唐津線や筑肥線、香椎線などに出かけ、キハ40系を録音した。
そのほとんどは、原型機関であったが・・・
・筑豊本線6528Dとの出会い。
筑豊本線 直方ー折尾間では若松線への送り込みを兼ねて毎日数本の気動車列車が運行され、そのほとんどがキハ40系での運用である(所定運用)
その中でも、直方駅を14時48分に発車し、若松駅に15時45分に到着する普通列車が6528Dだ。
この列車に初めて乗車したのは平成24年9月のことであった。
乗ってみて驚いたのは、電化区間をゆっくりと走っていくことだった。813系や817系などの電車が90km/hぐらいの速度で走る区間もせいぜい65km/h程度しかださない。しかし、電車のトロトロ運転と異なり、気動車にはこのくらいの速度が似合っているように感じた。後で調べてみると、筑豊本線で一番評定速度が遅いのは6528Dであり、その速度は30km/hにも満たないという。
また、この列車は折尾駅で15分ほど停車し、後続の普通電車に追いつかれるというオマケ付きだ。
のんびりと電化区間を走っていく6528Dのことが好きになり、それから時々、6528Dに乗りに行くようになった。
・カミンズエンジンとの出会い
平成24年11月。羽越線の新津ー新発田間でキハ40系の走行音を録音することにした。録音目的としては485系の録音ついでにキハ40系も録音することと、羽越線新津ー京ヶ瀬間の阿賀野川橋梁(1226m)の通過音を録音することだ。
当時、新津運輸区にはキハ47の原型機関が3両配置されていたが、只見線専用運用となるか、休車となっていた。
当然、当日の充当車両も換装車であり、カミンズエンジンを搭載したキハ47−1521の走行音を収録した。
また、この車両はエアサス台車を履いており、コイルバネ台車のキハ40系とはジョイント音が異なるものであった。
発車時に「カツカツカツカツ」という音を発するカミンズエンジンの音やエアサス台車のジョイント音になんだか惹かれ、それ以降、JR東日本のキハ40系の録音も視野にいれるようになった。
また、このころから、換装車の録音も積極的に行うようになった。もっとも、原型機関を録音できるときは極力、原型機関を録音したが。
・骨折
羽越線の録音を終えて、帰ってきた直後の平成24年11月7日14時過ぎ、学校の体育の授業中にふざけていた生徒に突然、突き飛ばされ、3m(目撃者証言)ほど飛ばされて激しく、地面に激突。左鎖骨を骨折を負う事故が発生した。
事故の影響を受け、直後に予定していた唐津線、筑肥線、香椎線、筑豊本線でのキハ40系の録音や鹿児島本線での415系電車の録音はすべて中止となった。
キハ40系の録音を再開したのは11月17日のことだった。
録音は再開したものの、治療具を装着したため、自力での着替えができなくなり、数日間にわたる冬休みの遠征は白紙に戻さざる負えなくなった。
当初の予定では、冬休みの遠征で青い森鉄道の1524Dと1525Dに乗車する予定だった。これは、青い森鉄道が新型電車を導入し、一部の気動車列車を廃止することを発表しており、同列車が置き換えられる可能性があると思ったためである。
そう思った根拠としては、当時、青い森鉄道の電車列車の列車番号には欠番となっている箇所があり、そこに1524Dが走っていたこと、青森ー八戸間で電車よりも40分程度時間がかかっていたことである。
まだ冬休みまで1か月半ほどあり、大丈夫だろうと甘く考えていたが、12月になっても状況は好転せず、治療器具を装着したまま、体育の授業にも復帰できない状況であった。
このころになると、12月の終わりごろに予定されている学校でのマラソン大会も近づき、担任の先生などから早く復帰してほしいなどの要望も寄せられるようになり、また、私としてもマラソン大会にも出たいし、1524D・1525Dにも乗りたいという気持ちは日に日に強くなっていった。
しかしながら、医者は断固として体育の復帰も治療器具を外すことも許可しなかった。理由はまだ完治していないからというものである。とはいえ、治療器具と脇が擦れて激痛を感じり、日に日にストレスも強くなり、もはや耐えらる状況ではなくなった。レントゲン映像では骨折箇所は治っているように写されており、差し支えない範囲で対応できないかという提案も医者に対して行ったが、答えはNOであり、レントゲンではわからないが、まだ治っていないと特に検査データー等を示すことなく回答された。
私も疲れ果て、泣きつくように母親と友人に相談したところ、他の病院での診察。つまり、セカンドオピニオンを勧められた。父親はセカンドオピニオンをしてもそれで得られた結果など到底、聞き入れられないしたがって、体育の授業に復帰するのも、1524D・1525Dに乗るのも認めない。けしからん。と言っていたが、そんなことは無視して、セカンドオピニオンに踏み切った。
結果は、かなり治ってきており、体育の授業に復帰可能。治療具も外しても差し支えなし、1524D・1525Dは乗車可能と判断するのが妥当とのことであった。
医者に事情を話して、書面でその旨を父親に通知していただくこととした。
お手数をおかけしたが、書面で残すことにより、父親への説明を容易に行うことができ、お医者さんの対応には感謝申し上げる次第である。
この結果を受け、父親もいずれについても認めざる負えなくなったのか、すべて認めてくれた。ただし、「もし再骨折したら、治療費全額てめーが払えよ」と脅されたが。
父親の脅しなど聞こえなかったかのように、体育の授業に復帰し、マラソンの練習も再開。1524D・1525Dの録音についても急いで計画することとした。
しかし、ここで再び問題が発生した。
まず、日数的に1524D・1525Dのいずれか一方しか録音できなくなったこと。そして、この片方のみの録音としても1月2日出発でなれければ乗車不可能なのだが、1月2日出発を父親が認めないと言い張るのだ。
前者については1524Dのみの録音とすることとした。後者については、協議が難航したが、最終的には1月2日出発で合意した。
1524Dの録音は平成25年1月4日に行うこととし、当日、青森駅から乗り込み八戸駅まで録音した。また、これに合わせて青い森鉄道・八戸線1431Dなどの気動車列車も録音した。
結局、1524D・1525Dは平成26年3月のダイヤ改正で電車に置き換わり、廃止となった。1525Dには一度も乗ることなく廃止となってしまった点については悔やまれる。
・筑肥線2523D・2524D
話は前後するが、 筑肥線では1運用のみキハ47の運用があり、この年の10月に筑肥線2523D・2524Dの録音を行った、編成はキハ47原型機関とキハ125であった。
しかし、同列車にキハ47の原型機関のみの編成が充当されているときに録音したいと考えた。
運用を調べたところ、12月28日にキハ47−136+キハ47−128の原型機関コンビが充当される見込みであることが分かった。
ところが、ここで問題が発生した。当日は平日であり、平日ダイヤでは、始発の西唐津駅まで電車でたどり着くことができなかったのである。
当初、早朝に自転車で西唐津駅まで行くことを計画したが、冬の早朝に交通量が多く、道路状況が良くない国道202号線を自転車で通過するのは危険であるとの父親からの意見があった。
父親との協議の結果、当日の早朝、西唐津駅まで父親に車で送っていただくことができ、無事、2523Dに乗車できた。
父親の協力なくしては、始発の西唐津駅からの録音は不可能であり、感謝申し上げる次第である。
なお、平成25年3月のダイヤ改正で筑肥線のキハ47の運用は「2523D〜2524D〜以降唐津線運用」から「2539D〜(停泊)〜2520D〜2523D〜2524D」に変更となり、2523Dの西唐津ー唐津間は電車化(後続の電車列車の時刻を変更し、旧2523Dのダイヤで運転)され、廃止された。
・キハ40−2037筑豊本線へ
通常、香椎線で運用されている、キハ40−2037が平成25年1月〜2月ごろに筑豊本線で運用される珍事(?)が発生した。
早速、イチかバチか6528Dに乗ってみたところ、キハ40−2037が来て、筑豊本線を走るキハ40原型機関の録音を録ることができた。
・羽越線821D
大きな話題ではないがGWの遠征で18きっぷの旅では何かと話題になる羽越線821Dの走行音を収録した。
なお、車両はタラコ色のキハ47−514とキハ47−515。キハ40−534が充当された3両編成だった。
・キハ47のNゲージを購入
録音の話題ではないが、18歳の誕生日にキハ47のNゲージを購入した。
・脾臓が腫れた!?
平成25年8月16日。体調不良を感じ、体温を測ったところ、具体的な数字は忘れたが、熱があった。
風邪かなと思って数日休んだが状況は好転しない。それどころか、食べたものを吐く、左わき腹がなんだか痛くなってきた、さらに左肩(前年の骨折箇所付近)も痛くなってきたと今までになく散々な状況。
病院に行っても夏風邪ですねー。とか胃炎ですねー。と言われ、結局のところ原因不明。
2週間ほどして、脾臓が腫れていることが判明した。もう、本当に、夏風邪とか胃炎とは言えんわ(怒)
そして、入院することとなってしまった。
なお、発症から日が経っていたため、脾臓が腫れた原因を特定することはできなかった。
一連の体調不良や入院により、キハ40系の録音も含め、62本の列車の録音が中止となった。
また、既に2学期が始まっており、高校入学以来初の欠席が付き、高校3年間皆勤の夢ははかなくも潰え去った。
皆勤賞はなくなってしまったが、学校等への影響を最小限に留めるべく、お医者さんには最大限ご協力いただき、欠席日数は5日に抑えることができ、入院期間中に予定されていた電気主任技術者3種の試験も受験することができた。また、退院後の検査については時間を調整していただき、放課後に行うこととした。
また、退院時に退院後すぐに体育の授業に復帰するか、見学するかで私と母親が激しく対立する場面もあったが、お医者さんのご協力も得て、母親との間で交渉し、安全上必要な措置を講ずることを条件に復帰することで母親には納得していただいた。
なお、入院中暇にならないよう病室にキハ40系のNゲージを持ち込み飾ったり、走らせたりしていた。
脾臓が腫れて、その原因が不明という一大事であり、もうおとなしく寝てろよという状況の中、最大限ご協力いただいた母親やお医者さんには心より感謝申し上げるとともに、少々、わがままを申し上げた点については深くお詫び申し上げる次第である。
・キハ47−70機関換装
平成25年夏ごろ、キハ47−70が機関換装され、キハ47−8070となった。
改造後も筑豊本線で運用され、平成25年12月25日に換装後初めて乗車した。
・羽越線821D・824D
前々から羽越線の気動車列車を録音したいと考えていた。平成25年のGWに821Dを録音したが、録音区間は藤島ー酒田のみであったことから村上ー酒田で録音したいと考え、平成26年7月26日に821D・824Dに乗車し、村上ー酒田間1往復キハ40系気動車の録音を収録した。
・平成27年北海道遠征
話は飛ぶが、平成27年12月。冬休みに数年ぶりに大規模な遠征を行うこととした。遠征の主な目的としては485系と急行はまなすの乗車であったが、キハ40系も信越線、羽越線、奥羽本線、男鹿線、江差線、函館本線で収録した。
特筆すべき点としては、羽越線では新津ー酒田間を直通する831Dで録音したこと、平成28年3月改正で運用離脱したキハ48八戸車を収録したことである。
なお、834Dの乗車車両は国鉄急行色のキハ48−523であった。
・会津若松車録音
平成28年5月数年ぶりに会津若松に行く機会があり、初めて会津若松車を録音した。
もっとも、車両は平成27年に小牛田から会津若松へ転属した車両だったが。
・キハ40系気動車録音開始4周年記念録音
平成28年8月4日。キハ40系気動車録音開始4周年を記念し、新潟に向かい、柳都Shu*kuraなど数本のキハ40系充当列車を収録した。
このうち、新津発新潟行きの2547Dはオール新新潟色の4両編成で運転され、なかなか見ごたえのある編成であった。
・ふるさとラストラン
仙台支社のお座敷気動車ふるさとが老朽化などのために廃車されることとなり、ラストランツアーが行われた。
鳴子温泉→仙台のツアーに参加し、エンジンも変速機も換装したふるさとならではの乗り心地を体感した。
1,2号車と3号車の歩調が合っておらず、30km/hぐらいでガチャンガチャンと前後方向に揺れるのが特徴的であった。
車内は畳敷きで掘りごたつはないが、快適な車両であった。
これが最初で最後の乗車となったことが非常に悔やまれるほど乗り心地の良い車両であった。 ・青森・八戸遠征
平成28年9月青森・八戸に遠征し、583系や八戸線や津軽線、奥羽本線でキハ40系を録音した。
奥羽本線でのクルージングトレイン録音時には防護無線受信により、緊急停車するなどのトラブルはあったが、無事、いずれの列車も録音できた。
また、この遠征では八戸線 鮫ー白金間で沿線撮影を行い、キハ40系や東北エモーションなどを撮影した。
・DENCHA投入に向けて
9月以降、毎月帰省し、DENCHAやDENCHA導入に伴い、廃止となる、気動車列車の録音を行った。
特に、6528Dについては重点的に録音を行った。
・キハ40系で車内放送
11月帰省した際には新山口でのSLフェアに参加し、転車台体験に使用されたキハ40系の車内で車内放送体験をさせていただいた。
低速とはいえ、走行中のキハ40系で車内放送できるという非常に貴重な機会であり、楽しい時間を過ごさせていただいた。
・キハ47充当最後の6528D録音
1月に帰省した際、6528Dに乗車し、録音を行った。この録音ではフォロワーさんが同行され、慣れない方を連れての録音だったため、非常に気を遣う場面もあったが、最後のキハ47充当の6528Dの録音を無事行うことができた。
・最後に
これまで、およそ5年に渡るキハ40系気動車の録音においては多くの人のご協力があってこそ、一つ一つの録音が実現したことである。
ここには、書かなかったが、遠征時においては、切符の購入や学割の発行などで、担任の先生や学校の事務員さん、筑肥線波多江駅の駅員さんなどのご協力もいただいている。
両親など関係者と対立するというようなこともあったが、それでも、最終的には両者間の調整を行い、多くの方にご協力いただいたことについては、繰り返しとなるが、心より感謝申し上げる。
これまで、あまり意識してこなかったが、5年間を振り返り、多くの方々のご協力があってこそ、実現していることを改めて実感した。
今後も、キハ40系に限らず、録音していくうえで、また、私が生活していくうえで、多くの方のご協力をいただくことになると思うが、それに対する感謝の気持ちを忘れず、日々、仕事に趣味にまい進していきたいと考えている。
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