sakataishizukaのブログ

近鉄ラグビー部(近鉄ライナーズ)のファンが、チームの栄光の歴史を紹介します。記録を中心に少しずつ書きとめてゆきたいと思います。

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中井太喜選手ご逝去

中井太喜選手ご逝去
 
2013年5月12日(日)、近鉄ライナーズの中井太喜選手が亡くなられました。
 
ライナーズのホームページに突然発表され、一ファンとしては何が何だか分からず、その事実が受け入れられず、詳細も分からず、もやもやした気持ちで居りました。
 
5月25日(土)横浜三ッ沢球技場で行われたパシフィック・ネーションズカップ:日本代表トンガ代表戦でも日本代表が喪章を着用し、翌日5月26日(日)に瑞穂で行われた近鉄ライナーズとトヨタの強化試合でも、黙祷が奉げられました。
 
今回の事情は次の朝日新聞の記事が一番詳しいかと思います:
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■もう1回グラウンドへ、がんと闘ったラガーマン■
朝日新聞2013年5月15日
 
ラグビー、トップリーグ近鉄に所属するフランカー中井太喜(たいき)選手(24)は将来を嘱望されたタックラーだった。2年目の昨季は先発に定着し、公式戦15試合に出場。12日に亡くなるまでがんと闘い抜いた。
 
突然の宣告だった。今年4月10日。腰の痛みを感じ、病院で検査を受けたら、腫瘍(しゅよう)が見つかった。詳しい検査で胃がんとわかったが、すでに体中に転移していた。手遅れの状態だったが、取り乱すことなく兄直道さん(28)に「原因が分かったんだから潰すだけや。必ずもう1回グラウンドに戻るから」と話したという。
 
ラグビーを始めたのは大阪・啓光学園高の時。バスケットからの転向だ。エリートぞろいの同校で初心者はほぼ皆無だったが、黙々と練習し、2年生で「花園」に出た。京産大では3年から頭角を現した。大西健監督は「その頃、お父さんが病気になって。『お前が頑張ることがお父さんのためや』と言ったら、本当に一生懸命やった。辛抱強い子だった」と振り返る。
 
昨年4月10日、父昭彦さんを亡くした。ちょうど1年後に自分の病気が見つかった時、「お父さんが教えてくれたんや。絶対に戻る」と家族に誓った。闘病生活は約半月。手術も抗がん剤治療も出来なかったが、「大丈夫。戻る。勝つ」と下を向かなかった。
 
大きな相手へのタックルを恐れない選手だった。「病気を怖がらず逃げなかった。みんな、『太喜はラグビーと一緒やな』と言ってくれた」と直道さん。
 
13日の通夜に約500人、14日の葬儀に約300人が駆けつけた。近鉄や京産大のジャージーとともにひつぎに眠る弟に、直道さんは「またな」と一言、声をかけた。
(野村周平)
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時系列で整理すると次のようになるようです:
・1月26日(土)ワイルドカードトーナメント2回戦ヤマハ戦でシーズン終了。
・2月頃から腰と背中に痛みを訴える。
・2月6日(水)近鉄ライナーズの納会で「監督賞」を受賞。
・3月2日(土)「トップリーグオールスター勝手に前夜祭」(大阪・道頓堀)に重光選手とともに出演。
・3月4日(月)「ラグビー感謝の日」として花園ラグビー場周辺清掃活動に参加。
・4月10日(水)検査の結果、胃や肝臓に悪性腫瘍が判明、入院し療養。
・5月12日(日)枚方市内の病院で死去。享年24歳。
・5月13日(月)近鉄ライナーズが死去を発表。
・5月14日(火)公益社枚方会館で葬儀告別式。
 
本当にあっという間のことだったようです。
 
中井選手は若手の成長株で、チームの中でも若手にとっては非常にレギュラーを取りにくいバックロー(FW第3列)で昨季は見事にレギュラーを獲得した選手でした。
 
ラグビーファンなら、タウファ統悦・佐藤幹夫・大隈隆明・伊藤太進(天満太進)・田中正純・レプハラトゥイラ、そして場合によってはルークトンプソンが入ってくるバックロー3人枠の一角に僅か2年目の新人が先発のポジションを取ることが如何に難しいか分かると思います。
 
中井選手は2004年度(平成16年度)、啓光学園(現常翔啓光学園)高校入学。進学クラスでありながら、またラグビー未経験でありながらラグビー部に加入。チームはその年度、記虎監督から杉本監督に変わっての初年度であり、また全国高校大会に優勝し4連覇を達成。
 
2005年度(平成17年度)の2年時はリザーブとして全国高校大会に参加するも、ベスト8で大工大高に敗れる。
 
2006年度(平成18年度)の3年時は全国高校大会・大阪予選で大阪桐蔭に敗れ、花園への出場を逃す。
 
京都産業大学入学の2007年度(平成19年度)は関西大学リーグ・大学選手権など公式戦では出場なし。京産大はリーグ戦5勝2敗で2位、大学選手権は1勝1敗でベスト8。
 
2008年度(平成20年度)の2年時は関西大学リーグおよび入替戦、全8試合に出場(④で4試合、⑥で3試合、⑦で1試合)しレギュラーを獲得。京産大は2勝5敗で8位。
 
2009年度(平成21年度)の3年時は関西大学リーグ全7試合に出場(⑧で4試合、④で2試合、⑦で1試合)。京産大は2勝5敗で6位。
 
2010年度(平成22年度) の4年時は関西大学リーグ全7試合に⑥で出場。京産大は3勝4敗で5位。
 
近鉄ライナーズに加入した2011年度(平成23年度)は、トップリーグ第10節サントリー戦(秩父宮)でリザーブ入り、後半23分に交代で初出場。また第13節NEC戦(花園)で⑥で初スタメンで出場。
 
社会人2年目の昨季2012年度(平成23年度)は、トップリーグ開幕から全13試合(先発10試合)に出場し、ワイルドカードトーナメント2試合にも出場。
 
特にこの昨季の躍進が評価され、近鉄ライナーズの納会で「監督賞」を受賞。その受賞理由は:
・試合でのタックル成功率は94%。
・試合では常に体を張り続け、強烈なタックルで何度もチームのピンチを救った。
でした。
 
この受賞に対し本人は次にようにコメントしています:
『ありがとうございます!このような賞を頂き大変光栄です。
来シーズンも更に体を張り続けます。』
 
非常に残念でなりませんが、あらためて哀悼の意を表したいと思います。
 
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