誇りある日本

歴史の忘却は民族の衰退になる

歴史のメモ

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縄文時代の神武天皇

200万年〜1万年の頃(氷河時代)にはすでに日本に人類が存在しており、
50万年前の旧石器文化の遺跡が発掘されていて、
狩・漁・採集の簡単な小屋や洞窟の生活をしていた石器時代。

農耕が発達していた東日本の縄文時代
・初代神武天皇(紀元前660〜585年)
世界では原始的な農耕や牧畜をしていた頃にあたる日本では縄文時代の前期にはすでに、
粟、ヒエ、ひょうたんなどの栽培をしており、
土器を発明することで、食料の貯蔵をしたり煮たり、蒸したりをして食していた。
釣り針、モリ、を作り、網を使った漁が行われ、
やじり、やり、おの、さじなどを使い狩もしていた採集生活をしており、
貧富の差や身分の差のない共同生活をしていた。
後期には稲作も始まっており、集落も大型化していた。

紀元前3000年の頃
 大陸では「秦」統一国家が成立し、「漢」に変わって、朝鮮北部まで広がった
 大帝国となる背景の倭の国(日本)。

稲作が西から発達し、身分と貧富の差が出た弥生時代
・6代孝昭天皇(紀元前392〜291年)
オリエント文明(エジプト・メソポタミア)の頃にあたる日本の弥生時代(紀元前3000年〜)には
灌漑やあぜで区切られた水田を作り、青銅の銅剣や銅矛は武器として大陸から伝わったが、
銅鏡と同じに祭りの用具として使われた。
同じ時期に伝わった鉄は農機具や武器の実用品として使われ工具として用いられた。
土器は縄文土器より薄くなり、模様もなくなった用途に応じた形の弥生土器が作られるようになる。

穀物を蓄えておく高床の建物ができ、稲作は、感慨・治水など共同作業によるものなので、
集落するものの中から人々に指図する者ができ、収穫が多く蓄えられる者が集落の長となり、
やがて周りの集落と用水などの争いが起きると、争いの指揮をしていたリーダーは
周りの集落を次々に従えて豪族となり、身分の違いが生まれ貧富の差もできるようになった。
(九州の小国から後漢に貢物を送り金印を授けられた者も出てきた。)

農業に関係の深い天候や水などから農業信仰が生まれる。


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