誇りある日本

歴史の忘却は民族の衰退になる

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不可能!

防衛庁を防衛省に
 防衛省になったのに、いまだに朝鮮へいって戦闘して
 帰ってこれる飛行機を持たなければ何の価値も無い
 内容は自衛隊と変わらない内容だ。
 名前だけ変えても何の価値も無いのだぁ!

国民投票法を憲法改正のための準備だという
 憲法を改正できないように作ってある、
  3分の2以上の賛成がなければ改正は出来ない
  これをどうやって改正するというのだ
 破棄するのが一番良い、国会の2分の一の賛成があればできる。
 
教育基本法を改正
 もっとも大切な愛国心を入れることができなかった
 態度など印象の薄い表現を!このようなバカなことを・・

集団的自衛権もまだそのまま

靖国参拝ができない
 国家のために捧げた人々に感謝と敬意を表することもできない弱腰で
 どうやって日本を再生できるのか

阿部総理はいままでにない保守のリーダーという印象を与えた
だが、すべて内容が伴わないものばかりではないか

仏作って魂を入れない、描竜点目睛を欠くである。

いずれにしても日本のリーダーたるもの堂々と靖国参拝ができないようでは
この国を立派な国にすることはまず不可能であろう。

彼に熱意と自信があれば、靖国へ行こうとするのは当然のはず!

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教育レベル


2世紀半という長く続いた江戸時代
戦争もなく平和が続いた江戸時代の日本では
江戸の人口は100万人を超え、世界最大の都市に
大阪や京都も大都市として栄た。

武士は戦いがないために武芸よりも学問に励み
幕府は湯島に昌平坂学問所を開き
諸藩は藩校をつくり藩士の子弟を教育
 水戸の弘道館、萩の明倫館、会津の日新館、庄内の致道館、対馬の東明館、
 など各藩に設けられた。
庶民は武士や僧侶が教師を務める寺小屋が各地につくられ
 その数は1万ヶ所におよび、読み書き算盤、生け花、裁縫など
さらに有志による私塾
 吉田松陰の松下村塾、緒方洪庵の適塾など、たくさんありました。

当事の識字率は70〜80%、世界一の識字率!

幕府は官学として朱子学を奨励はしたが強制はせず
各藩はそれぞれの方針によって学問を奨励
 九州の鍋島藩は8〜25歳まで勉強をさせられ各段階で試験
 試験に合格しなければ役には就けない

江戸時代中期以降は儒学から水戸学、朱子学、陽明学、蘭学、色色な学問が増え
幕府が洋楽所を設けて後押しして、
 解体新書により医学の基礎が確立、
 天文学、地理学、化学、植物学、などが発展

明治維新の原動力はこうした江戸幕府の教育制度からで
開国を迫った西欧列強が制圧を弱めたのも
 日本に武力に加えて高い教育レベルと技術、強靭な精神力、文化力
 があったからであろう。

織田信長、豊臣秀吉の生きていた頃も
日本人の多くが読み書きができ知的水準が極めて高い、
名誉心が強烈で武士も平民も貧乏を苦にしていない。
西欧をしのぐほど優秀で武力での支配はできないとした。

どうもゆがめられた歴史の本でも読んでいるのでしょうか
つじつまの合わない歴史のことを平気で話すのは
その類の本が氾濫しているということでしょうか。
ちょっと考えてみるとおかしいと気がつきそうなものなのですが・・
なんとなく大真面目にへんてこりんな歴史観を述べられると
初めの頃は腹を立てましたが、いまではため息が出ます。
私も深く歴史を知っていると豪語できる者ではないですが
日本のその時々の時代背景を探れば、おかしな時代考証の話に疑問を感じますよ。

私の少ない知識でもおかしいなとおもわせることを平気で述べている方々は
そういったゆがめられた本の知識からでしょうか
そういった内容は歴史を知るものからすれば、すぐに反論される類の話です。
一朝一夕に歴史を知るのは無理かもしれませんが、
少しずつでも正しい歴史認識を身につけて欲しいとおもいます。

わたしは子供の頃から明治大正の方々から直接に戦争体験や日本歴史を
生きた言葉として聞いて育っています。大人になってからもシベリアから帰った人、特攻隊
さまざまな人々からの話を、茶飲み話のなかで、たくさん聞くことに恵まれました。
当事はそれほど真剣に聞いてはいませんでしたが^_^;

そうしたことを今度は自分から直接に本等で確認したという歴史観ですが
いままでおかしいなと疑問におもえる話もなく、反論しようにもつじつまがあうのだから(^_^)/
よくあちこちで反論の言葉を述べられますが、真実でないことからの歴史観だから、
どうしてもその当事の前後からの歴史から判断してつじつまがあわなくなるのです。
あまりにも荒唐無稽な反論の言葉に・・

もうすこし読まれる本のレパートリーを広げてみてほしいです。
そうすればおかしな反論も出なくなるはずなのですが

夏だぁ、蝉の合唱だぁ

街へ来たというのに
このせみの鳴き声は
まるで蝉の王国へきたように
あらゆる蝉がこのマンションの前の木にいるようだ。
蝉のなき声をきいていると
どちらが避暑地かわからなくなる(^_^.)
蝉の鳴き声は
梅雨も終わって夏だァという感じがする。

さあ、いそいで信州へ帰らねば
彼に出会って少し元気をとりもどしたので
また今日は帰ろう。


信州へセミ帰り(トンボかえり)したせいか、今日はバテた。
なーんもしたくない!話したくもない!
今日はいろいろ失礼をさせていただきます、バタンキューでございます。

天皇の発言

明治維新以後
天皇を中心の政治ということで
天皇の前での御前会議が行われていた。
が、政治の発言はいっさいせず、彼らの意見を聞くのみの天皇
天皇の発言は
「戦争を避けられないのか?」

はじめて天皇が一般国民に影響を及ぼす発言をしたのは
国民が最後まで戦うというのをとめさせたことで
「しのびがたきを忍び、耐えがたきを耐え・・」
という戦争をやめて、生き残っている国民の命を生きながらえさして
日本の国を立て直してほしいというものだけだったのである。

日本国民が戦争が終わって真っ先に喜んだのではなく
この言葉によって大勢が敗戦の悔し涙を!


天皇あっての国民、国民あっての天皇
  国民と天皇は一体であった日本。

戦前の日本人は妄信的に天皇をみていたわけではなく
天皇のために命をかけていたわけでもなく
天皇と言う言葉の裏に日本という国家を見ていたに過ぎない。
「天皇のために」の言葉の裏側には、
日本という国のために命をかけようというものであった。

特攻隊を志願した者も当事は天皇だとて人間だという考えで尊敬をしていたわけでもなく
それでも命をかけようとしたのは国のためだと発言をしています。

天皇は日本の国の誇れる一つなのである。
天皇をなくすことは日本の国をなくすことに等しく、
天皇がなくなれば国民の命もなくすのと同じこと、
この意味を理解できるや否や?

もう一つ肝心なことを忘れていました、
「教育勅語」は天皇が国民に出された言葉で
「皆と一緒にこうしましょうよ」と仰せられて出された言葉が教育勅語でした。

国があって家庭があって個があるという考え
いまは個が大事、あとはナシ、まったく逆の考えを教えている。
 いくら自分だけ金をもっていても他国が攻めてきた時、金など何の役にも立たない
 国家がなくて、なんで個があるのか、宇宙人にでもなればいいかもしれないが

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