|
神の前に大手を振っていける己であろうか
国をダメにする政治家が神社へいける身分か!
国民の命をおろそかにする輩もいける身分か!
人の不幸を助けず知らん顔する輩もいけるか!
このあいだ神社へ行ったときに
自分が神社のマナーを知らないことに気がついて
神社のしきたりを調べてみて気がついたことだが
神社という建物ができる前までは
鎮守の森などで
巨木や土や巨石に神を降臨させていて
神社というものの原型は
水、森林、川、山など自然の環境そのものである
参道を歩くときからもう神様にお会いするのだという
心構えをつけて服装も正して厳粛な気持ちで歩く
鳥居をくぐればもう其処は人間の俗界から
神域へ入ったことになる。
(大声で騒ぐな!である)
手水舎で手と口を清め(手にした柄杓の柄も清める)
お鈴の音で身体に憑いた邪気を祓い
いまは賽銭箱がありお金を献じるが
むかしは稲穂やお米で
己の命の糧となるものを献じ
無私無欲になる。(願いの代価ではない!)
参殿において
90度の角度に身体を折り曲げて二礼
胸の高さで手を合わせ、
右手を少し下げてずらす(神と一体でないから)
拍手を2回打つ
両手を合わせ(神と一体となる)
手を八の字にして下げて両脇におき
一礼をする
などを知っていくうちに
「ああ、神社って・・・
神道に特別な教典があるわけでなく
願い事をするところでもなく
人が俗世間から離れて無の境地になり
自然と一体になり自然のエネルギーを素直に受け得る場
己も自然と同じ神になる場ではないか」と私は思った。
邪気があっては自然と一体にはなれない
気を得て運を開くのも自然の摂理に逆らわずに行動することだが
日本人の神道って、人の道にはずれたことをしないよう
鏡などが祭られてるのも己の姿を見ろということであろうか
お天道様が見ているというのも光を表す鏡に己が映っている
誰も知らないことでも己は知っている。
無私無欲綺麗な心でその鏡を己のしたことを見れるだろうか
戦うときにも神の宿る武器である刀を持てば強く守られる
自然に己をおいたとき自然に守られる
運が強い!とかいうのだが
神道しんとう
自然を神と尊敬し大切にし
人の道として清い心で生きて処し行動あれ
そうすることによって人は幸福を得られる
こういう神社の精神を日本人が持ち続ければ
日本人の精神は武士道もこの精神がルーツ
教育勅語もこの精神から生まれたもの
日本の神とは仏教でもなくキリスト教でもない
自然とともに生きる人間としての生物の知恵ではないか
氏神(土地を鎮めて守る神 )
氏神というのは
天皇家から拝領した土地に住んだ豪族の先祖を祭った祖霊神
其処に住んでいる者は氏子
源氏の神は八幡神、平家の神は厳島明神、
|