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南京事件

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2つの南京事件x


* 昭和2年の南京事件

 広東から北京へ向う蒋介石総司令の国民政府軍が
 3月24日に南京入城

 南京領事館は平和協調外交方針に従い
 武装を撤去して歓迎協調の方針を示していた

 万が一のことを考えて城内の日本人は
 治外法権の領事館に収容

 革命軍が領事館に侵入し、略奪暴行
 領事館外でもひどい暴虐を受けた。

* 昭和12年の南京事件(大虐殺)

 国民党中央宣伝処の曾虚白処長の自伝
 「南京事件を最初に世界に知らしめた
  ティンパーリーは、上海で抗日国際宣伝を
  展開していたときに上海の「抗戦委員会」に
  参加していた重要人物の一人で、秘密裏に
 長時間の協議を行い、海外宣伝網計画を決定。

 国際宣伝に中国人は絶対に顔を出すべきではなく
 ティンパーリーは理想的人選であった。
 我々は金を使ってティンパーリー経由で本を書いて
 もらい、発行することを決定した」

国民党宣伝部の資金を受けていた人物が書かれた話が
南京大虐殺!公平な第三者ではなく 国民党の対外宣伝工作員!


★コメントへ
南京陥落から占領まで南京にいた欧米人は20数名いただけで
ティンパーリーは当事、南京にはいなかった
陥落後現場に残っていた欧米の記者は5名
このうちの米国のニューヨークタイムズ記者の記事には
「市内を広範囲に見て回った外国人は」と但し書きがあり
安全委員会として作成したメモに基づいて記事を書いたもので

実際に虐殺を目撃したものではない

欧米人の報道や公文書のもとをたどれば

安全区委員会メンバーの情報である。

その安全区委員会の報告によれば
1937年12月〜1938年2月の記録には
安全区の記録によれば被害届け400件のうち
殺人事件は25件(被害者49人)
委員会の目撃と聞き取りはわずか2件
 これも戦地においては合法であると委員会が認めたもの

委員会が直接目撃したのは殺人は1件のみ(戦地では合法)

ではなぜみてもいない虐殺があったと欧米人に報告されたのか
安全区委員会の仕事を手伝ったのが中国人!で
意図的に中国人の噂話を情報操作をしたものとみえる

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