誇りある日本

歴史の忘却は民族の衰退になる

桜酒歴史

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露の報復

幕末の頃
 ロシアは日本に通称をしつこく求めてきて、
 しかたなく時の老中筆頭の松平定信が発行した
 長崎入港の許可証を発行して帰国させたのだが、
 その12年後にその許可証をもって長崎へ来航したロシアは
 幕府に入港を断られてしまった。

 時代も変わって、すでに亡き老中の許可証では、断られてもしかたがないとはいえど、
 幕府も老中発行の約束を保護にしたことは悪いと思うが、
 それだけで、ロシアは報復として樺太や択捉島の日本人村を襲撃した。

その後日本がロシア船の艦長を逮捕するや、日本の商人を拉致する報復をしたロシア。

時は移り変わって
戦後のどさくさで、ソ連は日ソ不可侵条約を破って、日本の領土を奪った。
このようなことをされたのであれば、
日本は幕末のロシアを見習ってソ連を襲撃して領土を取り戻すべきであろうに。

今回
日本の近海であり日本の領土であったところで、日本の漁船が襲撃されたことだけでも
国として恥ずかしいことであり、日本漁船側がルールを破っていたからといって
襲撃を受けたほうが悪い云々の批判の前に、
悪いのは、無理やり取られた北方領土を取り戻そうとしない政府の怠慢を責めるべきであろう。

北海道の目の前がソ連の領海だというだけでも異常だ!
命を守ると述べた鳩山総理は、こうした日本人の命を守るために、真っ先に北方領土を解決しろ!!

偽証

マギー牧師は見ていない!

1、「中央宣伝部国際宣伝処工作概要」
   蒋介石政府の宣伝工作の記録として
   1941年に書かれたもので
   ここには南京の市民虐殺、捕虜虐殺の発表はなかった!

2、南京大虐殺の証拠として使われた写真は
  すべて捏造インチキであると立証

3、殺されたのはゲリラや便衣兵で民間人は0に近い
   東京裁判で見たと証言したマギー牧師
   実際に見たのは1人と証言ではあったが
   彼の日記には

   「The actual killing we didn't place」

   実際の殺人が起きたとき見ていなかった^_^;
   と書かれていた。(偽証したということではないか)


南京で死体が転がっているのを見て
ドイツ人がみて日本に訴えると1件
同じ死体を見たアメリカ人が訴えると1件
あわせて2件となる。

「市民重大被害報告」26件
 欧米人は日本軍による殺人の情報を積極的に集めたが
「誰が見たのか」という情報はなし^_^;
 ひとつだけあったが合法的な処刑の記録ということで
 不法殺害ではないとなる

南京陥落後
 シナ軍には降伏命令ではなく
 撤退命令がでているだけの残ったシナ兵は
 1、投降したものの手榴弾を投げてくる
 2、撤退するため猛攻撃してくる
 3、先に逃げながら輸送隊を襲う
 
 大混乱    
  京都十六師団はシナ兵の投降で
  陥落直前の午前1時から午後6時まで猛烈な死闘を

  上海上陸以来最大の死傷者を出す部隊が出たほど
  
  とうとう京都十六師団は
  「各隊は師団の指示あるまで捕虜を受付くるを許さず」
  と捕虜を受け付けるな!と命令するまでに至った。
  捕虜を殺せの命令でなく扱いはそのときそのときの
  状況に応じて対応にである。

  輸送隊は自己防衛の武器はないが旅団や師団に渡すための
武器や食料を満載しているので敵からからみれば好餌の襲撃対象
  この白兵戦で捕らえたシナ兵は射殺に!
  逃せばまた襲われる^_^;または手榴弾を見舞われる
  当事の状況

投降し捕虜になったシナ兵
 幕府山から1万5千人の投降者
 このなかに女子供までいる、非戦闘員の7千人を逃がし
 残り8千人のうち4千人は火事を起こして脱走
 残った4千人のうち2千人は審査のうえ処刑
 周辺のシナ軍から攻撃を受けて戦傷者もでるという緊迫
 状況でもあり捕虜の処置に困り
 残りの2千人の捕虜は南岸から船で送り届けることに
 ところが北岸にいたシナ兵が日本軍の攻撃とカン違いして
 攻撃、捕虜達は日本軍による処刑と判断し一斉に蜂起、
 日本軍も鎮圧のため機関銃を撃つが
 闇夜で当たったのかどうか?捕虜は相当数逃げ
 日本兵はこれで死者がまた出てしまった。

戦後30年後に


終戦30年後に突如

ヨーロッパの戦争は
戦争犯罪を犯罪として意識もせず行ってきたようだ。
お隣の中国の毛沢東も知識層を嫌い
その粛清のために特別チームを作ったという。
毛沢東の最も忠実なポル・ポトは
カンボジア人口800万のうち200万を殺戮
これを北京政府が背後で指導していたことが世界に知られた。
これで突如、北京政府が

 日本軍の南京大虐殺を持ち出した!

日本がしたのは通常の戦争で
ナチスのした戦争犯罪とは種類が違う
まして南京大虐殺など証拠も証人もない話
日本はこのときポンと蹴ればいいものを
通常の戦争とホロコースト、ジェノサイドの区別がつかない

ポーランドのように愚民化と同じように
日本も巧妙に戦争のことをなにも知らずに教育されて
国民すべて「愚民」にされたようだ


しかしまあアメリカは自国民を犠牲にして戦争をする国だとは知っていたが
白人は同種族だという仲間意識は考えはないようだ。
そうだなあ、あんなに長い長い間戦ってきた欧州人だからなあ
同じ日本人だから助け合うなどというような考えは日本だけだったのだろうか

遺体埋葬

南京の人口は20万
 東京世田谷の3/4の広さの城壁に囲まれた街

蒋介石は日本軍に使われないように
城外の家屋を焼き払い破壊した「清野作戦」

司令官は陥落前夜に将兵を置き去りにして逃亡
政府関係者、裕福な住民はすべて脱出

15人の欧米人の管理する安全区に残っていたのは貧困層
と民間人に成りすました中国兵

南京の人口は陥落3ヶ月後で22万以上に

遺体埋葬は日本側と国際委員会から作業代が支払われて
作業代欲しさに水増し報告がされた
 埋葬数は14000体と推定
 (ほとんどが戦死した中国兵と便衣兵)

東京裁判が始まるまで中国からも虐殺の話は出なかった。
 (原爆の大虐殺がなければ出なかった話だろう)

南京大虐殺の話は中国国民党中央宣伝部の資金を受けた
エージェントが南京にも行ってないのに
日本軍の南京大虐殺の目撃記録として本を書いて発行

この人物は米国での陰の宣伝責任者にもなっている

占守島守備隊

無抵抗の宣言をした町からの連想で

大空襲に原爆などと大きな打撃を受けて
敗北し終戦の宣言をしていた日本に
殺戮、略奪、強姦の限りをつくす
ソ連のいきなりの侵攻の話が頭に浮かんだ。

一昨年歯舞諸島・貝殻島付近で日本の漁船が
北海道が決めたラインを超えてもいないのに
ロシアの警備艇に銃撃を受けて
船員が殺され船長らが拿捕
あきらかに日本領土内のできごとにもかかわらず攻撃

そのとき拿捕された船長は日本の支援もなく
孤立無援でいうことをきけば帰すといわれて
やむなく「ラインを超えた」とサインしたという

彼の無抵抗宣言ををした町は
無抵抗の宣言をすればなにもされない
ほんとうに安全を確保できるとおもっているのであろうか
他の多くの日本人の生命の危機にもつながる無抵抗

日本の国土を守るために北方で戦った英霊に思いを馳せると(ーー;)


日露通好条約(1855)
 国後、択捉、歯舞、色丹は日本の領土とする
 樺太は日露混在の地
樺太・千島交換条約(1875)
 日本は樺太を放棄して
 千島列島を露から譲り受ける
ポーツマス条約(1905)
 南樺太を日本領にする
日ソ中立条約(1941)
ヤルタ協定(1945)
対日参戦の見返りとして
 南樺太、千島列島をソ連領にすると密約
その後の情勢が変化してヤ協定での密約が
破約しそうになったソ連は終戦後のどさくさにおいて
 南樺太と千島列島をソ連が強奪
 北海道の北部をソ連が占領する要求まで出したが
 米国に拒否される。
サンフランシスコ条約(1951)
 国後、択捉、歯舞、色丹を含まない千島列島を日本は放棄


ソ連の日本侵攻の理由は
  「日露戦争の復讐!」

 ロシアが負けたからといって戦後の保証金もなく
 南樺太と他国から奪い取った満州領土内の満鉄の権益を
 譲り受けただけで復讐するほどの大きな損害はないはず

 シベリア抑留に相当することなど日本はしていない!
 勝ったからとソ連の指導者の処刑はもちろんしていない!

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