誇りある日本

歴史の忘却は民族の衰退になる

桜酒歴史

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全7ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7]

[ 前のページ | 次のページ ]

レイプ黙認

ソ連は
日本政府から終戦の仲介交渉を依頼されて
日本が降伏するのを知っていながら
1945年
8月9日
ソ連が日本に宣戦布告
  160万のソ連軍がいきなり満州に侵攻する
8月10日
 日本がポツダム宣言を受け入れ
 
8月15日に終戦

8月18日
 千島列島最北端にソ連軍が上陸
 占守島において
  日本軍の戦死者3百名余
  ソ連軍7000余の戦死者
  この7日間でソ連は釘付けにされ
 ソ連が北海道に到着する前に
 米軍が北海道に進駐したために
 ソ連は千島列島までを占拠し今日に至る

8月20日
 樺太の真岡郵便局には
 17〜24歳の女性交換手だけで
 自ら進んで残留していて
 刻々とソ連軍の迫る情報連絡と避難経路の指示
 消息や誘導などの交換業務を続け
 ソ連兵が押し寄せるのが見えたとき
 「みなさん、これが最後です。さようなら、さようなら」
 と青酸カリを飲んだ。

 ソ連はレイプを黙認していて
 ベルリンでは全女性50%が強姦10%が性病にかかったとか
 

*真岡郵便局の彼女達の最後を史実に基づいて制作された映画が
 1974年(昭和49年)に上映されようとしたそうである。
 ところが公開10日前にソ連政府の圧力を受けて
 外務省や日ソ友好協会などが動いて上映禁止になったという。

 樺太にやってきたソ連軍はぜんぶ囚人部隊の兵だったとか
 実際にはすさまじい虐殺とレイプ、殺人で映画は手加減して
 制作したという。それでも上映禁止に! 

日本人捕虜をシベリアに抑留し酷寒のなかで過酷な労働をさせたソ連
その数は200万、死者20万

 防寒服も防護用の靴もなく布テントに収容され
 食料も休憩もわずかで栄養失調や屋外留置で次々と死んでいった

ロシア


イブァン3世
1480年ロシアがハン国の支配から脱却し
ロシアの国を統一はしたが
モンゴル支配によって受けた思考など
から脱却するのに1世紀を要したという。
(日本がアメリカの占領政策によって受けている
 思考や行動の自由から脱却するためには
 独立しても1世紀以上はかかるということに^_^;)

イブァン4世
 東欧国最強国の地位に
 カザン・ハン国とアストラ・ハン国を征服
 シベリア、カスピ海へのルートを開く
イブァン家の血統が絶えるや政情が混乱
 ステンカ=ラージンの乱などを経て
1613年
 ロマノフ王朝が開かれて混乱は収拾
1689年
 清国と国境を画定し通商を拡大
17世紀末にピョートル1世が身分を隠して
  蘭・英に遊学し技術を学び、自国を西欧化し近代化して
  黒海艦隊・バルチック艦隊を創設し、コサック騎兵隊で周辺を侵略
1706年
 カムチャッカ半島の探検
 ベーリング海峡、アラスカの発見
  アラスカはロシアの植民地であったが
  維持経費が負担になり
  1867年にアメリカに売却
1721年
 ロシアは東欧の最強国として国際政治に登場
1727年
 ペテルブルクに首都を建設
1792年
 ロシアの使節が根室に来航し通商を求める
1804年
 日本はロシアとの通商を拒否
1806〜7年
 ロシア艦隊が樺太や択捉を攻撃、日本の択捉守備兵は敗走
1807年
 間宮林蔵が樺太を探査
1813年
 ロシアは蝦夷地襲撃は政府命令でなく軍人がかってにした!
 という文書を日本に提出してきたので監禁していたロシア艦長を釈放
 日本側に捕らえられた報復として日本の商人がロシアに捕らえられていたが
 これも釈放され事件は解決!
1854年
 日露和親条約締結
アロー戦争(1856~1860)
で仲介を果たしたロシアは
見返りにウスリー江以東の沿海州を割譲させ
ウラジオストックを手に入れた

日清戦争(1894~1895)後に
清国から望むままの報酬を与えるということで
遼東半島を手に入れるチャンスとばかりに
日本に武力威圧の三国干渉(1895)をする

ロシアは朝鮮への内政干渉は強さを増して・・・

日露通好条約(1855)
 国後、択捉、歯舞、色丹は日本の領土とする
 樺太は日露混在の地
1861年
 対馬がロシア艦隊に占領
1875年
 日露の樺太の領有問題で
 日本は樺太をロシアに譲り、千島全島を日本領とする
樺太・千島交換条約(1875)
 日本は樺太を放棄して
 千島列島を露から譲り受ける
ポーツマス条約(1905)
 南樺太を日本領にする
日ソ中立条約(1941)
ヤルタ協定(1945)
対日参戦の見返りとして
 南樺太、千島列島をソ連領にすると密約
その後の情勢が変化してヤ協定での密約が
破約しそうになったソ連は終戦後のどさくさにおいて
 南樺太と千島列島をソ連が強奪
 北海道の北部をソ連が占領する要求まで出したが
 米国に拒否される。
サンフランシスコ条約(1951)
 国後、択捉、歯舞、色丹を含まない千島列島を日本は放棄


ソ連の日本侵攻の理由は
  「日露戦争の復讐!」

 ロシアが負けたからといって戦後の保証金もなく
 南樺太と他国から奪い取った満州領土内の満鉄の権益を
 譲り受けただけで復讐するほどの大きな損害はないはず

キリスト布教

キリスト教の布教

 これを名目にして世界へ船出した
 イギリス、スペイン、ポルトガル等々
 のしたことは文明の破壊に死による民族滅亡!

 掟=キリスト教徒一人を殺せば100人殺す!

日本人も奴隷にして海外へ売り飛ばされていたが
  信長、秀吉の防衛によって侵略等を阻止

 同じ時期にフィリピンはスペインに侵略されて
  すべての伝統を失い、他国の法律、文字、歌、
  など自国の歴史、言語を忘れてしまった。

*日本もフィリピンのように
 戦後の日本弱体化政策によって
 自国の言語を無くし、伝統を無くし、日本古来の神道も
 歴史さえなくし、法律も変えられ
 日本の伝統は少しずつ消え去ろうとしている。

宣教師を諸国に派遣し、その国の民を教化しその信徒を
内応させその国を征服するを目的とする。


ソ連は宣教師の代わりに左翼思想の者を手先にして
内応させその国を征服する

アメリカは左翼を使って日本を滅亡させる

開く トラックバック(1)

インド兵85%

イギリスの植民地のインド
アヘンの栽培をインドでしたのだが
インド国内でのアヘンの売買は禁止!

イギリスがシナへ仕掛けた
「アヘン戦争」は有名だが
イギリス軍の85%はインド人!

アヘンをシナや東南アジアへ
戦争をしてまで強引に売り込んで得た利益で
インド経営の財源にしていたイギリス

インド人の生活は貧しく英国人より差別待遇され
命がけの戦争には前線に駆り出され
勝利したとてインドには何の益もない!

紅茶も栽培したが初めの3年は高価に買い取ったが
インド人が競って紅茶栽培に切り替え終わると
ガタンと価格を下げてただ同然にイギリスはぼろ儲け
その頃にはほかの作物に切り替える余裕もなく
アヘンも売買禁止ではインドの儲けにはならない
そのうえ反抗しないように教育も一切施されず

インドから搾り取るだけという植民地政策

植民地とはそうやって他国に搾り取られるものだろう
日本のように他国を繁栄させるのを植民地とはいわない

忘れて^^;

どうも歴史記事が少ないなと思ったら
以前に整理するからと
http://blogs.yahoo.co.jp/sakurazake3
へ、私って移動させていたんだよね。
すっかり忘れていた。
また本腰を入れて整理してここへ戻そう^^;

全7ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7]

[ 前のページ | 次のページ ]


よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事