誇りある日本

歴史の忘却は民族の衰退になる

桜酒歴史

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全7ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7]

[ 前のページ | 次のページ ]

共妻X

張作霖が日本軍人に爆殺されたのを考えると

 日露戦争で日本を応援したアメリカは
  ロシアの進出をくいとめてアメリカが満州に進出したかった!
   1、ポーツマス条約の交渉の最中に満鉄を合同にするように
     米国鉄道王ハリマンが来日し申し込み
  満鉄の米国介入は失敗し、その後は日本に敵意と警戒
   2、満鉄の権利を日露の独占から離れさすために中立化を提案
   3、満鉄平行線の建設の提案をしたが列国の反対で失敗 
   4、石井・ランシング協定を破棄して米国の満州進出を図る
  ポーツマス条約後に日清間で満鉄併行建設禁止条約が結ばれたのだが

1、 張作霖が米国資本を背景に条約を無視して
   米国からレールを輸入したりして鉄道併行線を建設!


 満州民族が漢民族を支配するために北京へ移動
 入れ替わりに非合法な漢民族が流民となって満州へ入りこみ
 満州人は少数民族となり馬賊、匪賊の梁山泊になる。

 張作霖もそうした馬賊の親玉であったのが政府側の呼びかけで軍人に
 といっても軍人と匪賊との違いは大して変わらない
 匪賊は夜に略奪するが軍人は昼間に公然と略奪する違いくらいだ。

 満州に女性は少なく共同出資で一人の女性を妻にしていた(共妻)
 馬賊は農村から略奪と女性の連行、暴行が慣わしで
 満州は女は娼婦、男は匪賊でなければ出世できない!

2、 張作霖、張学良の満州における搾取と略奪、高課税とインフレ
  満州の財政は80%の軍事費で大きな赤字 
   歳入の大部分は塩税、アヘンが中心で
   他は財産家からの財産強奪、恐喝、誘拐、処刑 
   それでも足りずに農産物、家畜すべてに課税
   他省では流通できない各支配者による紙幣の発行(数十種〜数百種)

*張作霖一人が死ねば満州における日本への横暴と排日
 そして満州民族の悲惨と苦しみは免れると
 現地日本軍人の考えによって張作霖の暗殺が実行


これを恨んだ張学良の「満州易幟」
これをきっかけにして
蒋介石が張学良を督励にやってきて逆に拘束されて
スターリンの命令で周恩来が仲介に入り
共産軍への戦いから抗日戦にむりやり切り替えさせられ
盧溝橋事件へと発展
   

裏表ありx


昭和8年
塘沽において日華協定が結ばれ

 昭和10年1月
 日本の議会で広田外相が
  「日本は脅威も侵略もせず在任中は戦争はしない!」
 昭和10年2月 
 中国側もこれにこたえて対日親善声明をし
 排日取締りを具体化し日中双方に親善気運
 5月には在華公使館から大使館に昇格
  中国も直ちに昇格の措置をとる。

表向きは日中関係がうまくいくかのように見えたが
裏では反満・反日工作を潜行活動がなされ
北支で起きた反日満事件は50数件に及び

親日満の中国新聞(国権・振報)の社長達が暗殺される





 

熱河・関内作戦x

満州国を建国後も1年ほどをかけて
日本軍は20万を超える兵匪を掃討したが

満州を追われた張学良が
熱河省に4万の義勇軍を編成して侵入し
反満抗日の策源地にしていたので
満州国騒乱の元凶である張学良の勢力を一掃するため

日本軍の熱河作戦
  昭和8年2月初旬に開始
  同年3月上旬には万里長城の主要関門を確保
 ・このとき関東軍司令官は
  軍が長城を超えて中国へ進出するのを厳禁

  しかし国民政府が中央軍5万を北上させたためもあり
  長城の各関門付近で日本軍は
  長城壁から見下ろされる位置にあり
  猛烈な反撃にあい苦戦(3月下旬)

  戦略上やむをえず長城線内に進出
  だが日本軍が長城を超えないのをいいことに
  奪回攻撃を繰り返し中国軍に熱河省深く侵入され、
  中国軍の挑発攻撃もあり日本軍は長城線を突破

 日本軍の怒涛の進撃の最中に
日本軍の関内進出に憂慮された天皇陛下の意向で
 突如の長城線への撤退命令が出て日本軍は長城へ帰還(4月19日)
 
 日本軍が撤退すれば敗退した中国軍が追ってきて挑発行為
 日本は中国と戦う意志はないという撤退は中国側に通用せず
 これを放置しておいては満州国境に平和は来ないとして
 参謀長が上京し再進出の許可を得て5月に関内作戦を開始し

 日本軍の破竹の勢いに中国軍はなすすべもなく
 停戦を提議してきたため関東軍は戦闘を停止

 昭和8年5月31日
  塘沽(タンクー)において停戦協定が結ばれる。

やっぱり(/ロ゜)/x


フライング・タイガーは
米国の軍籍をはずして民間ボランティアのグループということにされていたが
実は米国大統領の直接の許可のもとで参戦(正論より)
そして中国軍を装った米軍航空師団は中国戦線に投入されて日本軍を攻撃

昭和16年9月(1941年)
真珠湾攻撃の3ヶ月前に大統領承諾の
日本本土を爆撃攻撃する軍事行動の計画書があり
内容は
 350機のカーチス戦闘機・150機の爆撃機を使用し
 本土爆撃は200の戦闘機100機の爆撃機を用いて9月に攻撃計画
 大阪・神戸・東京・横浜には木造住宅に効果のある
 焼夷弾を使用すべきであるという(産経新聞より)

昭和19年9月(1944年)
本土制空権を失った日本はまったくの無防備状態の国
逃げ惑うしかない一般市民の日本人を
アメリカがした空襲は「絨毯爆撃」という
焼夷弾を住宅の周囲に落として火の海のなか
住民が逃げられないようにして攻撃を
日本全国に亘って「人道に対する罪」といえる攻撃をした。

ナチスのゲルニカ空襲は死者3千人
日本は東京一夜だけで10万人!

広島長崎の原爆投下は日米和平交渉開始後に投下された!

満州事変の国際背景2x


満州事変の当時、経済不況だけでなく
日本を囲む世界は
1、ソ連はアメリカの外交の助けによって
  極東・太平洋における強国になっており
2、アメリカと英国も極東・太平洋において勢力均衡を回復していた
3、戦闘的国家主義的な中国がソ連と共同戦線を張れば・・

日本はまたもや危険状態に陥っていたというべきで
欧米列強のように植民地を得て経済を富ませるのではなく

鉱物に乏しい日本にとって満州における日本の経済権益は
生活必必要品であり、
防衛に関しても緊急課題で満州での日本の権益を守らねばならない

*「正当な自衛行為」
  国家の権益・安全に対する脅威の有無と
  時期と場所はその国が自らが決める

満州事変の日本軍の行為は侵略ではなく
自衛行為というべきではないだろうか


軍が独走をして満州事変を起こしたというが
日本の政治のほうが世界情勢の認識が足りず、
軍が先に行動を起こしたというべきではなかっただろうか

政治家が目先の党利党略等に明け暮れて国の前途を考えず
国策もないようであったなら軍が独走をしたというより
当事の日本の政治がお粗末であったのでは・・・

軍が暴走したと軍に責任ありではなく
無策の政治家達に責任有りというべき!

全7ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7]

[ 前のページ | 次のページ ]


よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事