誇りある日本

歴史の忘却は民族の衰退になる

桜酒歴史

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国共合作破綻


国民党の主義は

 民族・民権・民生の三民主義 
 
南京事件以後
 張作霖が北京のソ連大使館を捜索して
 中共党員を逮捕するとともに
 共産革命の秘密指令等の証拠書類を押収

 蒋介石の上海で反共産党大粛清断行

これによってコミンテルンは

 漢口にいたインドの共産首領ロイに農民の武装蜂起を密電指令
 これをロイが武漢の国民党左派にみせた内容は


 ・労働者、農民を武装させて軍隊をつくり
   国民革命軍に取って代わること
 ・国民党、武漢政府の命令を待たず
   下層階級の手による土地を没収させる土地革命
 ・革命法廷をつくり反動的な将校を裁判にかける
 ・労働組合、農民協会その他の団体組織のなかに
  共産党秘密機関を設ける。
 ・国民党中央委員会の反動分子を追放し労働組合の首領等を採用する

  
これには国民党左派もびっくり仰天!

 「これは三民主義の実現ではなく共産革命である」とようやく気がついた。

そして
国共合作の終了
1927年7月

 武漢政府は「溶共政策放棄声明」を発表し共産党との絶縁を宣言して

 ボロジン以下ソ連の政治・軍事顧問を解雇追放!

これによって蒋介石の南京政府と汪精衛の武漢政府は合体し
9月6日南京政府の下に統一され、張作霖の北京政府と南京政府の2つになった。

 

露清密約x


日清戦争で日本との条約を破棄するために

露・独・仏を利用した清は翌年にロシアと「露清密約」を結んだ。

内容は

 対日のためのロシア軍の輸送を容易にするため

 1、満州を横断する鉄道建設に清は同意すること

 2、ロシアは軍用に鉄道を自由に使用できること

 3、鉄道建設のために露清銀行を創設

 4、東清(東支)鉄道会社を設立

 5、東支会社は土地と収益は免税、

 6、会社は所有地に絶対的に排他的な行政権を持つ。

そして明治31年8月に着工され34年10月に完成

この鉄道がロシアの満州侵略の経路となり
満州へ入るにはロシアの検問を通って入る事実上のロシア領土となる
そして日露戦争の重要な媒体になった

 *日露戦争は明治37年〜38年

三国干渉で日本がロシアの意のままに引っ込んだことで
清はロシアの援助があれば日本のみならず列国も追い出せると妄信、
その後の革命軍もロシアを頼り極東の紛争の原因はシナが自ら招いたこと

英国租界奪取x


1927年1月3日
 英国租界奪取

 漢口はイギリスの商業地域で
  日本も銀行や商店を英国の疎開地で開業していました。

 九江も英国の租界地で、
 この二つの租界地が蒋介石率いる革命軍に実力奪取されたのを
 みて、上海の租界地の防衛を急遽講じ同じく実力で阻止するため
 兵力を共同でする計画をたてました。

3月21日
 上海南方4マイルに革命軍が現れるや
 上海で戒厳令
  列国への軍援助要請をしたが衝突はなし
 だがその後、革命軍の「南京」進駐において事件が発生した。

南京事件

3月24日
 南京において北洋軍が敗兵して逃げたあとに革命軍が入城

 日英米領事館に正規革命軍が乱入し、掠奪、乱暴狼藉、
 一般女子供まで加わり掠奪、床板、便器、空き瓶まで
 何も残さず持ち去られた。
 このとき彼等は「ソ連と中国は一家である」と叫んでいた

 英米は避難民救援のため軍艦より南京城内に発射弾数200の砲撃

*ソ連のコミンテルン第7次会議決定において
  
  あらゆる方法を以って国民大衆による外人排斥を引き起こすために
  各国と武力衝突をさせる。方法を選ばず、例え掠奪や多数の惨殺を
  もたらすものでもかまわない。

  外国と武力衝突をさせ、蒋介石を失脚させて国民党右派を崩し
  共産化を図る。


5月27日
英国は南京事件がソ連の指令であるとしてソ連と国交を断絶してしまった。


  

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