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国民党の主義は
民族・民権・民生の三民主義
南京事件以後
張作霖が北京のソ連大使館を捜索して
中共党員を逮捕するとともに
共産革命の秘密指令等の証拠書類を押収
蒋介石の上海で反共産党大粛清断行
これによってコミンテルンは
漢口にいたインドの共産首領ロイに農民の武装蜂起を密電指令
これをロイが武漢の国民党左派にみせた内容は
・労働者、農民を武装させて軍隊をつくり
国民革命軍に取って代わること
・国民党、武漢政府の命令を待たず
下層階級の手による土地を没収させる土地革命
・革命法廷をつくり反動的な将校を裁判にかける
・労働組合、農民協会その他の団体組織のなかに
共産党秘密機関を設ける。
・国民党中央委員会の反動分子を追放し労働組合の首領等を採用する
これには国民党左派もびっくり仰天!
「これは三民主義の実現ではなく共産革命である」とようやく気がついた。
そして
国共合作の終了
1927年7月
武漢政府は「溶共政策放棄声明」を発表し共産党との絶縁を宣言して
ボロジン以下ソ連の政治・軍事顧問を解雇追放!
これによって蒋介石の南京政府と汪精衛の武漢政府は合体し
9月6日南京政府の下に統一され、張作霖の北京政府と南京政府の2つになった。
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