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沖田総司のこと調べてみました♪ わずか27歳で死んじゃったんですねぇ〜(;;) 新選組に詳しくなくとも、有名な沖田総司である。 噂によれば美剣士と言われているが定かではない。 幼名は『惣次郎(そうじろう)』といい、近藤周助の弟子として試衛館道場に住込み(下働き)で働いていた。 そこで、『そうじろう』の『ろう』を抜いて『そうじ』と呼ばれていた為、その後に改名して『総司』となったようである。 試衛館に住込み始めたのは9歳の頃からで、試衛館で剣術の稽古に励み、剣技は十代のうちに免許皆伝に達し、二十歳の時に塾頭になっている。 この頃から天才ぶりを発揮しているようである。 その後、近藤・土方らと一緒に京都へ上り新選組を結成する。 新選組結成後、芹沢一派らの乱暴な振る舞いに粛清を決意した近藤は、土方歳三、沖田総司、井上源三郎、山南敬介の4人に芹沢らを襲わせた屯所の八木源之丞家で妾と寝ていた。 芹沢に最初の一太刀を浴びせたのが、沖田総司であったという。 しかし、致命傷を与える事ができず、反撃をされ沖田は浅傷を負っている。 剣術の達人であった沖田も、さすがに人を斬るのは初めてだったようである。 隊務で血なまぐさい生活を送る沖田も非番のときには、屯所近くの壬生寺の境内で近所の子供達とよく遊んでいたらしく、陽気でやさしい性格の若者であったようである。 池田屋事件の日、最初に池田屋に突入したのは、近藤勇・沖田総司・永倉新八・藤堂平助のわずか4人であった。 新選組屈指の剣客による決死の斬り込みであったが、沖田は一人の浪士を斬り倒した後、突然激しく咳き込み血を吐いてその場で倒れ、遅れて池田屋に到着した土方隊により運びだされてしまう。 当時、不治の病と言われていた結核にかかっていたのである。 しかし、栄養をとって安静にしていれば治る可能性もあったのだが、当時の新選組斬り込み隊長という立場が、それを許さず闘い続ける。 慶応元年の再編成でも沖田は一番隊組長となり、倒れるまで闘い続けた。 そんな沖田も慶応四年の鳥羽・伏見の戦いには、とても参加できる状態ではなく、負傷していた近藤と共に大坂城で療養することを余儀なくされた。 その後、江戸に撤退し幕府御典医の松本良順の世話になり療養の日々を、送ったが、慶応4年5月30日に静かに息をひきとった。
享年27歳、天才剣客のあまりにも寂しい最期であった。 |
京都
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12日に京都に食事に行きました♪ あいにく雨だったのであまりウロウロと できなかったんですけどぉ・・・ 先斗町でイタリアンに・・・とっても美味しくって 大満足で帰ってきましたよん♪ 祇園祭の季節でけっこう浴衣の女性がいっぱい♪ 今回買ったんではないのですが光源氏の格好の キティちゃん、ちょっと色男♪って感じですねぇ〜(^^;
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八つ橋といえば、やっぱり「おたべ」ですよねぇ〜 着物着たお人形さんが頭下げてとってもかわいいので ついつい見ると買ってしまいますぅ~(^◇^)/ぎゃはは キティちゃんは、後、緑の抹茶と茶色のニッキの3種類ありますよん♪ とりあえずいちごのが一番かわいかったので買っちゃいました♪
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九条ねぎ 葉の内部のぬめりが、ネギ本来の甘味と軟らかさの秘密である九条ねぎ。 京都でのネギ栽培の歴史はきわめて古く、約1300年前の和銅年間に導入されたとの記録があります。九条ねぎは日本の葉ねぎ(青葱)の代表品種であり、関東には根深ねぎ(白葱)があります。古くから、京都市南区の九条辺りで栽培されていたのでこの名前がつきました。 白葱と違って、緑の葉にはカロチンやビタミンBを多く含みます。九条ねぎをふんだんに入れた温かい味噌汁は、風邪の妙薬ともいわれてきました。鍋物、すきやき、ぬたや和物などふんだんに食べていただきたい京野菜です。
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御所人形 よくわからないので調べてみました♪ 御所人形は鑑賞用の人形として江戸時代中期に大成され、朝廷の御慶事や御出産、御結婚など、さまざまなお祝い事の際に飾られてきた人形である。最大の特徴は三等身であることと、透き通るような白い肌である。 その外観から、「頭大人形」や「三つ割人形」、またその肌の白さから「白肉人形」「白菊人形」などとも呼ばれていた。 江戸時代に西国の大名が参勤交代で江戸に赴く途中、京都の宮廷に立ち寄り、贈り物をした際の返礼としてこの人形が贈られらたことから、「拝領人形」「お土産人形」などと呼ばれることもあった。 江戸時代に宮廷や公家、門跡寺院などの高貴な人々の間で愛された人形であることから、明治時代になって「御所人形」という名称が使われるようになったといわれている。 ほぉ〜知らなかったですぅ・・・
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