北斗砂姫の「ハンパ道をゆけ!」

東北関東遠征より戻ってまいりました

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津波で身内を失った方々

助ける事が出来なかった方々は




『想定外』と言う『言葉』だけでは済まされません








私は朝日新聞を購読しておりますが

ここ数日の「宮城県版」は

石巻市立大川小学校の津波遺族説明会の記事がメインで掲載されています




1/25 は県内版の紙面の8割はこの記事でした


新聞の全国版ページには掲載が無くご存じない方も多いと思ったので

毎日net新聞 と朝日新聞紙面から転載致しました




被災県と被災地以外の温度差をこんな所からも感じてしまいます











東日本大震災:生存教諭の手紙を公表…大川小の説明会

 東日本大震災の津波で児童74人、教職員10人が死亡・行方不明となっている宮城県石巻市立大川小学校の保護者に対し、石巻市教育委員会は22日、約7カ月半ぶりに説明会を開いた。同小の柏葉照幸校長は「職務上の怠慢があったと言われても仕方がない。本当に申し訳ない」と謝罪した。大川小の被災を巡って市教委が明確な謝罪をしたのは初めて。教諭の中で唯一生き残った男性(休職中)が昨年6月、保護者と柏葉校長あてに書いた手紙の全文も初めて公表され、避難時のやりとりの一部が明らかになった。【竹田直人、石川忠雄】

 ◇「山に行きましょうと強く言っていれば」…教諭の手紙(要旨)
 教諭の中で唯一生き残った男性が保護者と柏葉校長あてに書いた手紙(いずれも昨年6月3日付)は、説明会の前半に朗読された。石巻市教委は昨年6月の第2回説明会で、この手紙について「個人名が明記されている」などの理由で詳細部分は明らかにしていなかった。
 この男性教諭は大川小の裏山に避難して津波を逃れたが、その後体調を崩して休職中。震災時は校外にいた柏葉校長あての手紙で「(現場にいて犠牲になった教頭に)最後に山に行きましょうと強く言っていればと思うと、悔やまれて胸が張り裂けそうです」などとつづっている。
 各手紙の要旨は次の通り。


以下、要旨のためか
毎日と朝日宮城県版の掲載文章は違っており、私が朝日新聞の文章を転載しました
毎日版はこちらでご覧下さい


 ◇保護者の皆様
 本来私が出向いて、直接お話しなければならないのですが、お手紙でお話しさせていただくことを、どうかお許し下さい。
 子供たちが校庭に避難した後、私は校舎内に戻り、トイレを含めすべての場所を残留者がいないか確認しました。
 確認後、教頭に報告に行った時、教頭と3年担任を中心に何人かが集まって(だれがいたかは記憶がありません)話をしていました。私が「どうしますか。山へ逃げますか」と聞くと、この揺れの中ではだめだというような答えが返って来ました(どなたが言ったかは覚えていません)。(その理由は余震が続いていて揺れが激しくて木が倒れてくるというようなことだったと思います)
やりとりをしている時、近所の方々が避難所になっている体育館へ入ろうとされていたので、私は体育館に行って、危険だから入らないように話すなどの対応にあたりました。そのとき教頭や他の教員は迎えに来た保護者の対応にあたっていました。
そのうち地域の方々が来て、釜谷の交流会館に避難しようという話が有り、危険だからだめだといったやりとりを教頭がしているのいるのが聞こえてきました。
 私は2次避難に備え、裸足で逃げて来た子や薄着で震えている子がたくさんいたので、何回か教室にあったジャンバーや靴を校庭に運び。トイレを我慢できなくなった子を安全な場所に連れて行ったりしていました。
 そのようなことに走り回っているうち、サイレンが鳴って、津波が来ると言う声がどこからか聞こえて来ました。私は校庭に戻って、教頭に「津波が来ますよ。どうしますか。危なくても山へ逃げますか」と聞きました。でも、何も答えが帰って来ませんでした。それで、せめて、一番高い校舎2階に安全に入れるか見て来るということで、私が1人で2階をい見て来ました。戻ってくると、すでに子供たちは移動を始めていました。近くにいた方に「どこへ行くんですか」と聞くと「間垣の堤防の上が安全だからそこへ行くことになった」ということでした。どのような経緯でそこへいくことになったかは分かりません。
 これが今私が思い出せることのすべてです。
 何を言っても、子供の命を守るという教師として最低のことが出来なかった罪が許されるはずはありませんが、本当に本当に申し訳ございませんでした。今はただただ亡くなられた子供達や先生方のご冥福をお祈りする毎日です。本当に申し訳ございません。


◇柏葉校長先生へ
 それまでの行事などでもそうだったように、教頭先生は動かずに指示を出して、私が周囲のことをいろいろとやるために動き回るという状況でした。
 あくまで想像ですが、あの極限状態の中で、本当に教頭先生も迷われたのだと思います。ずっと強い揺れが続いており、木が倒れている(錯覚だったのかもしれませんが、皆そのように見えていたと思います。私も子供と山の中にいたとき、何度も揺れるたびに周囲の木が折れて倒れる音を聞いています。そのたびに場所を変えたのですから)状況の中、道もない山に登らせるのをためらわれたのだと思います。せめて1本でも道があれば、教頭先生も迷わず指示を出されたと思います。それだけに、最後に山に行きましょうと強く言っていればと思うと、悔やまれて胸が張り裂けそうです。


転載元転載元: BEARS 社長のページ


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