「旅の窓」から咲のひとりごと。

カリフォルニアの端っこから・・・・

アメリカの移民達

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久しぶりに会ったナタリーはすごく幸せそうだった。

家族の大半が住むニュージーランドにあさってから行く。
部屋にはまだパックされていない荷物が広がり、大きなトランクが整理されるのを待っていた。


ナタリーがジンバブエを出たのは1991年。
BFがロンドンで仕事を始め、ダンサーを目指していた彼女が後を追った。

その後ジンバブエは大きな転換期を迎え2000年8月より白人大農場を強制収用し、共同農場で働くアフリカ人農民等に再配分することを目的とした土地改革「ファスト・トラック」が開始された時、彼女の家族も土地を追われた。

ナタリーの家族は白人ではないけれど、「色の浅い」土地を持つ黒人で、十分な補償もないまま彼らもまた強制的に退去させられたという。

姉は医者であったけれど治安の刻々と悪くなる祖国から子供達の為に出国し、ニュージーランドに生活を移し、近年やっと落ち着いた生活が出来るようになったのだと言う。

「今でもアフリカの太陽、木々を夢見るのよ。」

ナタリーはアメリカに移住しいろいろな思いをしながら夢であったダンサー、女優の道を追い続けている。

「環境問題、人権問題、いろんな事を考えながらなにが自分に出来るかを考えながらなにか世界平和為に出来る自分になりたいと想い続けていたけれど、毎日に追われていつか其の想いが褪せていた自分に愕然としたの。」

エンターテイメントの世界は弱肉強食。
段々と其処にいては自分がおかしくなって行きそうだと感じた時、家族が無性に恋しくなり旅費を捻出して休みを取った。

家族に会うのは何年ぶりだろう。
またあった事の無い妹の子供達もいる。

自然を大切にするニュージーランドのライフスタイルは母や姉達に合っている。

「でもね、やはりジムバブエの大地が恋しいの。」

帰りたくても帰れない祖国。
其の思いを綴ったポエムを彼女独特のよく抑揚の聞いた声で読み聞かせてくれた。





As I was walking through the bush or the veld of Africa, the memories of my childhood flowed

Corn or mealies, mangoes, mulberries, lemons, flowing streams, lush green trees in the backyard. My dogs, foxy, Henry and the family.

My endless conversations with my first love, seated by the railway track, watching the deep orange sunset. The smell of salty beef bone soup boiling over the fire, sadza, derere, braai or barbecue. Classical music mixed with African drums or South African blues, known as Mpaqanga or Lan Arem.

The sweet melodic voices of Miriam Makeba, Hugh Masekela, Lady Smith Black Mambazo and Brenda Fassi as they sang their songs of freedom from oppression in the background.

“No more war only peace”. Nelson Mandela the father of us all, saying. “Seek to transform yourself from within first, and then share that peace and joy with others. Let your light shine, . . By freeing yourself from fear, it will give others permission to let their light shine”.

Remember you are a Child of God”.

Driving down the dusty tarred roads from Bulawayo to Harare, if you were lucky to spot a Kudu, Buck, Wildebeest in the far distance, the orange sun rising. The smell of the earth after the rainfall. Swaying talking baobab trees.. The chorus of croaking frogs and crickets on a starry clear night. By the roadside, women carrying heavy bundles on their heads as they walked long distances in the scorching heat, barefoot. The sight of the happy children’s faces waving hello, so much joy, if would fill you up.

But it was always about the people, how we ate, sang, danced and prayed together.

For together we were one

Watashitati Ha hitotsu (wa ta shi ta ti wa hitotsu)

Simunye,

Somo Uno

My Zimbabwe, My Africa.

ベトナム料理

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最近凝っているのがベトナム生春巻き。

新しい職場はネイリストが全員ベトナミーズなので最近よくベトナム料理を食べる。
彼女達はいつも一杯ランチやらおやつを持ってくる。
「Eat!」
って感じでいろんなものをお裾分けしてくれる。

今日はLauraが自分で作ったライスヌードルと揚げ春巻きを私の為に持って来てくれた。
アメリカに住んでほぼ30年経つらしい。
本当によく働く!

みんな長年アメリカに住んでいるけれど、コミュニティで固まって居るせいかこっちで生まれ育った若者は別として英語が苦手らしい。
それぞれお客さんをやっている間ベトナム語が乱れ飛ぶ。

Lauraがよく持って来てくれるのは手巻きの生春巻き。
昔レストランをやってたらしくてオーダーすると持って来てくれる。
ぱりぱりのライスペーパーを水で濡らしてミントをちぎってレタス、人参、キュウリ、ゆで卵のスライスを入れてクルクル。

これが病み付きになる!!
今度作ったら写真を載せてみよう。

手巻き春巻きパーティってなかなか楽しい。
いろんな具を用意してそれぞれが自分の好きな春巻きを作る。

昨日他の店に移って行ったLeeは3歳のときにこっちに来たらしい。
だから英語は上手。

彼女はベトナムに住みに帰るのは嫌じゃないというが、ほかの人達は嫌だという。
Leeは自分は戦争の事も向こうでの生活も覚えていないからだと思うという。

それでも、彼女の歳の離れた兄達や両親の兄弟達は沢山亡くなったらしい。
「ベトナムで戦争で家族の誰も無くならなかった家は無いと思うわよ。」

今は段々と薄れて行く戦争の記憶、だけれども其処を生き抜いて来た人々。

ずいぶん前になるが、以前一緒に働いていた女性でボートピープルとして流れて来た人もいた。
ボートの中で一番犠牲になるのはいつも女性だったと彼女は語っていた。レイプされない女性は無かったのよ、と。
それでも少しでも楽な生活を夢見て流れてくる。

アメリカは多くのベトナム人を受け入れている。
リーガルに来た人、イリーガルに入った人、流れて来た人。

リトルサイゴンは大きなベトナム人のコミュニティだ。

今度同僚のスタイリストの女の子が案内してくれるらしい。
アメリカの中の異国を味わってこようと思う。

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偶然に出先でマリオに出会った。
彼らが引っ越してから3年くらい会っていなかった。

お互いの近況を交換しながらしばし懇談。

奥さんのヨランダはいつも幸せそうな笑顔を絶やさない素敵な女性だ。二人には3人の子供達がいる。
子供達はよく私の日本語訛の英語を真似して遊んでいた。

嬉しいニュースは一番上の娘が大学を卒業し、祖国のエルサルバドルで国際貢献の活動の一環として現地の言語教育などのボランティアとして滞在しているらしい。



マリオとヨランダはエルサルバドルからの亡命者だった。

以前ヨランダが自らの体験を語ってくれた事がある。
エルサルバドルはかつてスペインの統治下で1980年から12年に渡る内乱があった。

ヨランダは中流家庭出身だったので自らは教育が受けられた。
けれど周りの同じ年くらいの貧しい少女達が教育を受けられない事に憤りを感じていた。
13歳の頃から教会を中心にした反政府運動に身を投じた。

16歳のとき当時医大生だったBFのマリオと共に逮捕され投獄された。
マリオは彼女と付き合ってるというだけで捕まった。

取り調べ、拷問、死への恐怖。
「今でも思い出すと寒気がする」
そう言って身震いした彼女の顔を忘れる事は出来ない。

マリオの親族の尽力で処刑される直前に幸運にも逃げ出すことが出来た。
亡命した時は髪を染め、変装し身分証も偽造し出国したらしい。

「まるで映画のワンシーンでしょう?でも本当に怖かった。」

各地を転々として、最後にマリオの親戚を頼って自分が憎んでいたアメリカに流れ着いてきた。



内戦では9万人以上が亡くなり、8000人以上が行方不明とされる。一応内乱は92年に終結している。

昨年日本でも公開された「イノセントボイス」は在米エルサルバドル人が其の内乱当時の自らの体験をもとに作った映画だ。
あの映画を見た人は其の内戦ががいかに残酷なものだったかすこし想像がつくかもしれない。

多くの子供達が少年兵として戦わされた。
家族や友人同士が敵味方に分かれて戦わされたケースも多かったという。


そんな過酷な少女時代を過ごした彼女も今では3人の子供達の良い母親だ。
その優しい笑顔からはかつて反政府ゲリラの闘士だったとは想像もつかない。



ヨランダが苦労の末にやっと永住権を取り祖国に20数年ぶりに帰った時言っていた言葉。

「久しぶりに見た祖国は未だに貧しくて内戦は終結したのに結局は一部の権力者が富を握っているのよ。
私は何の為に命をかけて来たんだろうと悲しかった。
政府と結託した聖職者達は諦めを説き、人々を無気力にさせているの。」

あの頃ヨランダは自分は祖国の為に何が出来るんだろうとずっと悩んでいた。
「私は捕まったのが早かったから銃を使う機会は無かったのよ。でも、其の訓練は受けていたわ。今思うと恐ろしい事ね。」

武力革命は間違っていたかもしれないと彼女は言っていた。
「だって結局は根本的な事はなにも変わっていないのだもの。」

じゃあどうすれば変革出来るんだろう。
あの頃そんな討論をよくいつまでもしていた。

昨年あった選挙ではFMLN(ファラブンド.マルティ民族戦線)が伸びた。
彼らはかつての反政府ゲリラだ。今は正式に政党として登録している。

南米での反米感情は今また高まりつつある。
そんな中でまだまだ大国の貪りに翻弄され続ける国々。



マリオの話を聞きながら母の願いが娘に通じ、
今は娘が祖国の子供達の教育の為にエルサルバドルに旅立ったんだと思うと感慨深かった。
彼らの祖国がすぐに変わる事は無いかもしれない。
だけど、彼らの想いが平和への一歩へと繋がって行く事を祈る。


久しぶりにヨランダのあの幸せそうな笑顔が見たくなった。


写真は映画「イノセントボイス」から。

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ベッティはチェロキーインディアンの血を引くアメリカ人。
インディアン特有の頬骨の高い顔立ちをしている。

カイヤックが好きで年に1、2度はアラスカやハワイなどに出掛け川下りや海に行く。

スペイン語の通訳のプロだ。
イタリア語もフランス語も話す。

遊びに行くとよくフルーツジュースやサラダを作ってくれる。

ご主人のモーシェはイラク生まれのユダヤ人。
「ジムに行ってるか?」が彼の挨拶代わり。

「なに?1時間?3時間はやれ!」
中東出身の男に多い命令口調だ。

週に5回は夫婦でジムに通う。

最近は慣れたが最初の頃はモーシェの強引な態度や話口調に抵抗があった。
一緒に食事をする時など、生のニンニクを無理矢理食べろと押し付ける。
「体にいいんだ!食え!」

ベッティが間に入って
「無理しなくていいよ。」と仲裁する。

最初は可哀想なベッティなんて思っていたが、何の事は無い、彼女も強い。
二人は仲いいが、喧嘩するとすごい。

それでも、娘のように妹のように二人でかわいがってくれる。


今ベッティはモーシェの物語を書いている。

モーシェはイラクのバスラの近くの小さな街ゼノアで生まれた。
其処にはユダヤ人達の住むゲットーがあり、当時はユダヤ人とイスラム教徒は仲良く暮らしていた。

何も無い田舎でみんな貧乏だったが助け合って暮らしていた。

モーシェのフルネームは、「モーシェ カドーリ」
カドーリは父親の名前だ。

イラクでは姓を名乗る習慣がない。
いわゆる姓の代わりに父の名前を名乗る。
これはイスラムの風習らしい。

父のフルネームは「カドーリ モーシェ」
モーシェが祖父の名前。

彼の一家は代々そうやって名前を継承しながらやってきたという。


イラクでは女性は姓を名乗らない。
名前だけだ。
女性は学校にも行けない。

モーシェが子供の頃、正確に言えば赤ちゃんの頃に父親が死んだ。
彼は父の顔を知らない。
父はどうも殺されたようだという。

母は一生懸命働いて育ててくれたが、お金はすべて祖父が握り
デプレッションで何度か自殺未遂を繰り返した。

モーシェ自身も子供の頃結核を病みみんなから少し離れて生活しなければならなかった。
貧しくて教育も受けられなかった。

早くそんな環境から抜け出したかったモーシェは15歳でイランへ行き働いた。
当時のイランでもユダヤ人とイスラム教徒は仲良く共存していたという。

けれど、やがてイスラエルの建国により関係が悪化。
ユダヤ排斥運動が起こり彼らはイスラエルへと大挙して流れて行った。

モーシェも彼の家族も例外ではない。

イスラエルに落ち着いたもののやはり其処も自分の故郷ではない。

英語の勉強と、人生の成功を夢見てアメリカに渡って来た。
そして出会ったベッティと恋に落ちアメリカに住んだという。

モーシェの人付き合いの苦手なことの訳が理解出来た気がした。
子供の頃の経験はずっと心の中で生き続ける、善くも悪くも。

モーシェの家族は今もイスラエルに暮らす。
いつもテロの危機の中でバスに乗るのもレストランに行くのも命がけだ。

「イスラエルがパレスティナにしている侵略戦争は許しがたいわ。でも、一般市民がいつも自爆テロの脅威にさらされている彼の家族もかわいそう。なんでこうなってしまうのかしら。昔は仲良く暮らしているところも多かったのに。」

ユダヤの人たちへの偏見の眼も悲しいとベッティは嘆く。

今年にはリタイヤしてトルコに移住する計画もあった。
けれど、働き続けてきたモーシェは働かなくなる事に恐怖を感じているという。

極貧から必死で働き続け経済的には人並み以上の境涯になった。
それだけの為に生きて来た。
経済力をつけリタイヤしたらいろんなところを旅する。それが夢だった。

だけれどもリタイヤには十分の経済力を付けたのに彼の中には「不安」「恐怖」があるのだという。
そしてこれから何を目指して行くのかという空虚な思いが不安へと繋がるのかもしれない。



人生の目的ってなんだろう、人生の価値って何だろうと今私も考えさされている。


             咲

アンジェリーナの場合

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アンジェリーナに初めて逢ったのはアメリカに来て1年ほど立った頃だった。

お互い同じ時期にアメリカに住み始めまだお互いたどたどしい英語で一所懸命話していた頃が懐かしい。

アルゼンチンから来て今年12年になる彼女。
来た当初はLAのダウンタウンで治安の悪い地域に住み男の子の格好をしていた。
様々な出来事に翻弄されて苦労もしたが今は縁あってやさしいアメリカ人のご主人と結婚し、3歳の男の子の母親。

サンタモニカ湾を見晴らせる丘の上の家はご主人の父親が建てた物で、小さなプールの横にジャグジーがあり、海を見ながら楽しめるようになっている。



そんな彼女とこの間久しぶりに会った。
新年から2ヶ月ほどアルゼンチンに行って来るのだと嬉しそうだった。


「昨年アメリカの市民権を取ったのよ。母に永住権を取らせてあげたかったから。」
アンジェリーナのサポートで彼女の母もようやく今年永住権が取れたらしい。



彼女は歌手になるのが夢で、仕事も見つからない祖国に見切りをつけてアメリカに来た。
どん底も経験した。
最初の結婚は彼女に永住権を与えたがつらいだけの生活だった。

離婚し今の主人に出会った。



「兄達は医者をしているのだけれどアルゼンチンは治安も悪いし一生懸命働いても大した収入にはならないからアメリカに移民する事を勧めているの。」


アルゼンチンは二重国籍が許されるらしい。
それを使い分けながら兄弟たちにもチャンスをあげたいのだという。

「アルゼンチンには未来がないのよ。」


しかし、そういう彼女の家族はアルゼンチンでは裕福な一族だ。
魅せてもらったアルバムにはプールがある素敵な邸宅でのパーティーの様子が写っていた。
 
それでもみんな「より良い生活」を夢見てアメリカにやって来るのだ。

「より良い生活」.....。何と比べての「より良い生活」なんだろう。
話を聞くうちになんとなく複雑な気持ちになってしまった。



アンジェリーナの家の家政婦さんはメキシコ移民。
25人の子供を産み、育ったのは6人だけ。
十分な医療が受けられなかったからだと言う。

メキシコでの出来事だと思って聞いていたら彼女はLAに20年住んでいるという。

多くの移民達が小さな部屋でぎゅうぎゅう詰めになって暮らしている。
十代での出産も珍しくない。
30代で孫がいる家庭もざらだし、3世代4世代が一緒に住んでいる。


貧しい国から生活の為に、また子供に教育を受けさせたいからと移民の流入は止めどなく続いている。
アメリカで出産するとアメリカの市民権が与えられる。
多くの移民がなだれ込んで子供を産む。

そんな不法移民の数も莫大なも数になっている。

そんな不法移民の人達を安い賃金で使うレストラン、工場、工事現場。
また家政婦、掃除婦としても彼らは貴重な労力だ。

LAでスパニッシュを話す家庭は70%にも上ると知人が語っていた。


同時にいわゆる「愛国者」たちから排斥運動も活発に行われている。


南米の、アメリカに食い荒らされた国々から「民主主義」「自由の国」アメリカを目指して来る。
自らの国を捨てて流れて来る人達。

「成功」する人。「成功を夢見る」人。
「うたかたの幸せ」に安心する人。
「今日の糧を得る為」にだけ生きる人々。

流れ着き翻弄される人々を悲しいような目で見ている自分も理由は違ってもこの矛盾した「超大国」に流れ着き、住み着いた移民者の一人なのだ。


               咲

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