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この古墳の調査は昭和58年(1983)の春に橿原考古学研究所 によっておこなわれました。 一枚目 西側から羨道を見たところ、石材は抜き取られているが 床面の小礫が残っている。遠方に都塚古墳が見える。 二枚目 玄室を西側から見たところ、奥壁は切石状に加工した石を 二段に積んでいる。側壁は三段積らしい。人の右脇が羨道の袖石です。 手前でビニ-ルシ-トを被っているのが、刳抜式の家型石棺です。 三枚目 明治26年(1893)に発行された大和国古墳墓取調書の塚本古墳 当時すでに封土がない。その後、明治末年頃に石材を取るために破壊された。 四枚目 現状です。発掘調査終了後、また農作業小屋が作られたが
今はそれも朽ちたようです。 |

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江戸時代にも詳細な調査が行われていたんですね。
石材のリサイクルはエコな発想ですが、ここがもともと「お墓」であることは気にしなかったんでしょうか(笑)。
そしていつも抱く疑問。被葬者はどこへいってしまったのか……。
2007/8/7(火) 午後 5:53
こんな運命をたどってしまう古墳もあるのですね・・・諸行無常って感じです・・・
2007/8/9(木) 午後 11:23
Wikipediaの記述で揉めてますね。
古墳から様々な歴史が浮かび上がってくる興奮って
発掘者だけにしかわからないのでしょうね。
2007/9/11(火) 午前 7:38
コメントには返事を書いて、しっかり更新してくださいね。
実際に発掘を手がけられた方の資料の更新を、みなさん首を長くして待っていらっしゃると思いますよ。
2008/1/17(木) 午後 5:10 [ oza**miyaza** ]
ozawamiyazawaさん訪問有難うございます。おしゃるとうりですね。なんとか頑張ってみます。
2008/1/23(水) 午前 2:13
↑さっそくのブログ再開、嬉しいです。
さきもりさんのペースで、続けてください。
2008/1/28(月) 午後 3:03 [ sas**a105 ]