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昭和59年6月頃、石舞台古墳の東200m程の所で、住宅建設に伴う 事前調査で、古墳にともなうと思われる貼石が発見された。 一枚目、北側から写したトレンチ、発掘は橿原考古学研究所によって おこなわれた。 二枚目、精査中の亀田博氏、「20mほど先を指差し、今から10年程前 宅地造成工事中に、斜面から大規模な横穴式石室が現れたが、すぐに 埋め戻されたと教えて頂いた。」 その後、貼石列を追って調査区域を拡大した。 三枚目、北側から。検出した貼石の全長は23m、北側にはさらに 伸びるが西側は削平されていた。貼石は北側の残りの良い所で 4段積みで約50cmの高さだった。元来はもっと高かったと思われる。 この写真は(財)飛鳥保存財団様から許可を頂き、飛鳥風13号より 転載させていただきました。無断転載不可 四枚目、×がだいたいの位置です。この貼石が横穴式石室に伴う物だと すれば古墳周湟の外堤の内側と考えられ、古墳の中心より20mの位置を 円または隅丸方形に巡ると思われ、やや小規模ながら石舞台古墳との類似 が考えられるが、多くの謎を含んだまま埋め戻された。 追記、日本の古代遺跡「奈良飛鳥」の中で菅谷文則氏が石室内に家型石棺の
底石があったと書かれている。 |

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こんにちは。ご無沙汰しています。
勉強不足で、この古墳?のことは初めて知りました♪細川谷古墳群をすこ〜し調べてみようかと思っていた矢先、楽しく拝見しました♪
2008/10/18(土) 午後 10:38
風人さん、こんにちは、明日香村史には載ってないのでしょうか?地形を見ると山寄せの古墳の様に思えるので、石舞台の下層の古墳群や細川谷古墳群とは趣きが違うように思います。
2008/10/19(日) 午前 10:33
石舞台・都塚の近くで検出されたんですね、知りませんでした。
埋葬施設が横穴式石室・家形石棺だとすると、年代は下がりますね。
2008/10/20(月) 午後 1:52 [ sas**a105 ]
明日香村の志茂洋子さんという美大の同級生の家に泊めていただいて石舞台を見に行ったことがあります。懐かしいです。
2008/10/20(月) 午後 8:05
ささださん、こんばんは、貼石の内側に堆積した土層から瓦器片に混じって古墳時代後期の土師器、須恵器の細片が出土してます。情報が少ないのですが、私は6世紀末〜7世紀初頃だったらよいな〜と妄想してます(笑)
2008/10/22(水) 午前 1:00
夢うさぎ塾さん、ご訪問ありがとうございます。遠方のようですが、いつの日かまた訪れてみて下さいね。
2008/10/22(水) 午前 1:05
毎日通ってるのに気付きませんでした
2008/10/22(水) 午前 8:19
きつわきさん、ご訪問ありがとうございます。近所のきつわきさんもご存じないですか?本当にまぼろしですね〜
2008/10/22(水) 午後 11:57