時空散歩

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鳥谷口古墳その4

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その後、古墳をどう保存するか、県の文化財保存課と当麻町とで協議された。
そして現状では難しいと言う保存課長の判断で、移築が決定しようとした時、
ある新聞に一つの記事が載る。この古墳が大津皇子墓ではないか、という記事であった。それを見た当麻町長の英断で現地保存が決まる。
記事をかいたのは、橿原考古学研究所、主任研究員の河上邦彦氏であった。
調査結果を踏まえ書かれた内容は次の様であった。
1、二上山の南麓に造られた唯一の古墳
2、出土した土器の年代が7世紀後半〜末(飛鳥厳措)
3、墳丘規模は一辺7.6m,高さ2.1mの方墳(唐尺で25尺)
4、埋葬施設は二上山の凝灰岩を使った横口式石槨(組合式家形石棺状)
5、石槨の内法は幅60〜66cm,長さ158cm、高さ71cm、長辺である
南側開口部の幅も51cmしかなく、普通の大きさの棺は入らないので改葬もしくは火葬した骨壺をおさめた可能性がある。
6、古墳のある場所が大字染野でシメと呼ばれている、これは古代の標野で禁野にあたり皇室ゆかりの土地である可能性が高い。

1枚目、西から見た墳丘
2枚目、南から見た石槨

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鳥谷口古墳現地保存には、そんな経緯があったんですね。ヤジウマのただの古代ファンは、たぶんみんな知らないと思いますよ。私も知りませんでしたもの。

2007/5/25(金) 午前 11:02 [ ささだ ] 返信する

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現地に保存できてよかったと思います。もしかすると龍田御坊山3号墳のようになっていたかも?

2007/5/27(日) 午前 2:38 sak**ori*520*2 返信する

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