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その1 ―記:あんず
宮下和子絵画塾 女流であること、画家であること、人として、人の豊饒を湛えていること、それらを思うとき、宮下和子先生を思い出す。 もう二十年近く前、埼玉(SAKITAMA)文学倶楽部のN氏に誘われて同人誌に関わったことがある。 その総合文藝同人誌「花彩」は、N氏の人脈に基って編むことの出来た雑誌だった。 その全表紙(一号から十三号だったろうか)を描いてくださったのが、宮下先生だった。 熊谷に来て、多くの指導者やアーティストに出会ったが、その中でもお会いする度に深い感動を伝えてくださるのが先生の存在だった。 机の上には、これまでの絵画塾の展示案内が溜まっている。 今度、また会いに行きたい。 記憶の中の「ギャラリーGabo」
春夏秋冬、熊谷駅南口を出て、桜堤に向かう。 土手に辿り着くと、右に斜面を感じながら、ひたすら「埼自」方面へ向かう。 その道筋が、冬枯れの時、下萌え時、そして桜の時、それから短い夏の時、それら全ての季節の息吹きを受け止めながら、電動車いすで路面を突き進むのが好きだった。 その先あるのが、「Gabo」だったから。 私は、越後の田舎育ちで、文化的な色々なものに疎い。 美術、芸術、工芸などは、全て教科書と図書館と本屋に存在するものだった。 ところが、熊谷に来て、民家の庭の一隅に、一婦人が営む小さなギャラリーに出会った。 絵を描く人、茶碗を作る人、木を削る人、書の人、篆刻家、詩人、それらの作者と出会い、その作品に触れ、その美術空間の中心に女主人が居る。 私はとても驚いたし、いつも感動したし、その門を潜ると、どこか夢の世界に入るような気がした。 今は記憶の中で、その門を潜っている。 みゝずく
星川通りに、「みゝずく」という小さな飲み屋があった。 十数年前、M氏に導かれ、日本画の先生とギャラリーの女主人と一緒に、何かの集会の後、その店に行ったことがある。 Lを反対向きにした、ウナギの寝床という形容がぴったりする狭い店だった。 「みゝずく」の女主人は、かなりの高齢者で、お店の帳面にM氏自身が注文の内容を書き込んだりしていた。 メニューは、じつに少なく、ウィスキー等を頼むと、隣の息子さんが経営する店から調達してくるようだった。 なにしろ、一回こっきりの古い記憶だから、そこで何が話されたか憶えていない。 季節は、多分夏だった。 ただ、忘れられないものがある。 『何のその 百年後は 塵芥』 それが、壁に貼ってあった檀一雄の色紙だった。 後日、メグミルクさんに聞くと、彼も当然知っていて、「檀さんは、この辺りに土地勘があって、よく来ていたんだよ」と答えた。 確かに「火宅の人」は秩父で怪我をしたところから始まるし、群馬には坂口安吾がいた。 もう、その店の主は亡くなっているし、その店の営業が行われているか分からない。 私は、その色紙を心に置いて、熊谷と作家が歩いた道筋を思うのが好きだ。 劇団シナトラ
Frank Sinatraは歌う俳優、支那虎はフォークシンガーの恋人、 それが二十年近く前、万吉に住んだとき、シナトラという劇団があることを聞いた。 でも、実際に私が観劇に足を運んだのは、随分月日を経た後、「ら抜きの殺意」の公園がさくらめいとであったときだった。 町に劇団があるというのも、カルチャーショックの一つだった。 一つの芝居を、一年かけて団員全部で作り上げていくというのは、素晴らしいことだったし、出演する人にも感動した。 一番の魅力は、舞台が面白いことだった。 そして、その後知り合うことが出来た『オカダタカシ』さんが、色んな意味で人間味豊かなことだった。 その後、たくさんの芝居を見たが、「シナトラ」の芝居は面白可笑しく、時に悲しい。 現在は、原田光人さんが劇団を導いている。そして、いつも次の芝居を楽しみにしている。 今年の公演は、夏だと聞いた。 県北の夏が、ますます熱い。 劇団DOUBT−ダウト
町に劇団があるのはカルチャーショックの一つだった、と書いていたが、町にもう一つ劇団があるというのは、さらに感動ものだろう。 しかも、劇団が存続するのは、当然ながら芝居が面白いからで、公演が継続しているからに他ならない。 作・演出の長谷川功さんは、かつて「錬肉工房」という前衛劇団で役者として活躍したという。凄いのは、その芝居を曲げないことであり、その舞台空間を慕って役者が集まることだ。 「長谷川ファミリー」の芝居と向き合うたびに、梶井基次郎の一文が脳裏に流れる。 『ある夜のこと、私は私の前を私と同じように提灯なしで歩いてゆく一人の男があるのに気がついた。それは突然その家の前の明るみのなかへ姿を現わしたのだった。男は明るみを背にしてだんだん闇のなかへはいって行ってしまった。私はそれを一種異様な感動を持って眺めていた。それは、あらわに言ってみれば、「自分もしばらくすればあの男のように闇のなかへ消えてゆくのだ。誰かがここに立って見ていればやはりあんなふうに消えてゆくのであろう」という感動なのであったが、消えてゆく男の姿はそんなにも感情的であった。―闇の絵巻』 この芝居にであうことで、熊谷の演劇がふくらむのを感じる。 |
道草
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表紙に檀一雄の色紙を置いたので、以下のおはなしをおもいだしました。
……それはそれは低く静かな声でした。 『砂漠の中の万年岩。/お陽さん照ればぬくくなり、/お雪が降ればつめたくなり、/雨が降れば濡れ、/星が降ればまたたき、/月が出れば静かに見上げ、/風が吹いたら吹かれていて、/淋しいけどやっぱり動かず、/待っている――。/誰も来ないかも知れないけど、/もうそんな人はいないか知れないけど、/心の中でその来ないものを一心にみつめながら、/鳥の影が通れば通らせ、/蜃気楼が浮べば浮ばせ、/青い空の色を腸までしみこませ、/悲しいけどやっぱり動かず、/泣きたいけどやっぱり動かず、/待っている――。/待っているのだよ、万年岩は。』 リーギョはもうすやすやと眠っておりました。
「もり一度」 とりーリン微かな声が聞えたように思いました。油の明りはやきついて消えました。けれども月の光が真白に差込んでおりました。それでリーボーさんは低い静かな声で、もう一度ゆっくりくりかえして歌ってゆきました。リーリンの頭に挿されたダゴンの小枝が月の光の中で幽かに瑶れておりました。 「もう一度」 とまたリーリンの微かな声が聞えたようにリーボーさんは思いました。それでもう一度、本当に低い、月の光を読みとるように静かな声でリーボーさんは歌ってゆきました。 三度歌い終ったとき、リーボーさんは丁度自分が岩になったように、シンとしばらく月の光に打たれながら坐っておりました。リーギョのすやすやと美しい寝息が聞えておりました。リーボーさんは立って、リーギョの毛布をかけてやり、それからリーリンの布団をかけてやろうと致しました。 けれどもリーリンはもう身動き一ついたしません。リーボーさんはいそいで口の辺りに手をかざして見ましたが、蒼白い月の光に眠っているように、リーリンはいつのまにか息をひきとって終っておりました。
(「新児童文化」第5集・昭25・5・25国民図書刊行会)
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月に一度、この窓辺に車椅子を寄せる。私の背後には流行病に打ちのめされ、癒やしを乞い、老いも若きも気が遠くなるほどの待ち時間を過ごしている。人は、弱い私のように泣き叫びもせずに、ただじっと耐えている。この人々は、何処にあっても、どこまでも耐えてゆく人々なのだろうか……十四の時に受傷して以来、この病舎という世界で慟哭と歔欷をアッケラカンとやらかした私には、耐えてゆく人々の裡で胸苦しさがある。だから、日射しが注ぎ込み、明るさを警戒して誰も寄りつかぬ窓辺に、私は車椅子を寄せる。
さて、窓外に何があるわけでもない。河岸段丘の郷里に比べ、この風景、じつに土地の起伏がない。(下は今年一月の窓外) ……建物群を金網の柵が囲繞し、果ての建物群に至るまで広々と畑が続く。動くものは大空の雲か、鳥影か……いや、動いているものは、それだけではない。
(昨年一月の窓外)
人は決して同じ時空に立ち止まることはできない。泣いても吠えても、私達は生老病死の門を出ることはできない。同じ景色を、一年を経て振り返り、そう噛み締める。 (昨年二月の窓外) (昨年三月の窓外) 言わずもがな、時は流れ、日は移る。時と時の狭間で動いたのは、運命にほかならない。 (昨年四月の窓外) ああ、会いたかった。自分は何かを恐れ、会いたさに目を瞑った。その自分を生涯嫌悪する。 (昨年五月の窓外) 齢を重ね、季節が移る時、頓に思う事がある。たとえば肉親との永訣、友との別離、もう今生では会えぬあの顔、あの話し声。今は思いの中で、悲しさを分け合うしかない。やがて自分も過ぎてゆく。そこから見渡せば、すべてが愛おしい。 (昨年六月の窓外) 『限りある命だから/蝉もこおろぎも一心に鳴いているのだ/あんなに一心に咲いているのだ/わたしも一心に生きねばならぬ(一心―坂村真民)』 (昨年八月の窓外)
ときどきふと坂村真民の詩を口にする。 『二度とない人生だから/まず一番身近な者たちに/できるだけのことをしよう/貧しいけれど/こころ豊かに接してゆこう』 十年前、この詩を読んだ時、自分を恥じ、自分の至らなさに涙が出た。『まず一番身近な者たちに』だ。 私は一体何をして来たのか。目の前のことに最善を尽くそう。その心を持ち続けることが、『念ずれば花ひらく』への道だ。花は神仏に預ける。私はただ、念を実践する。 (昨年十月の窓外) (昨年十一月の窓外) こうして、一年増しに躰が動かなくなる。希望は何だろう。運命を越える術は、運命を背負うことだ。私は手紙を書く……二度とない人生だから…… (昨年十二月の窓外)
『踏みにじられても/食いちぎられても/死にはしない/枯れもしない/その根強さ/そしてつねに/太陽に向かって咲く/その明るさ/わたしはそれを/わたしの魂とする(―たんぽぽの魂―坂村真民)』
さあ、こい。日日よ、季節よ。(記・あんず) |
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――虹の相棒のあんずです。
ここに来ると、ここに来て、行きたかった訳じゃないこの場所で、空を見上げると、いつもこの歌が浮かび、思わず知らず口ずさむ。 空が高すぎる ただそれだけで
言葉を失くして立ちつくした日々 誰れもが皆んな輝いていた それぞれの笑顔で それぞれの涙で 僕等はいつでも同じ夢を見てた やがてここには もう誰れも居なくなる 今通り過ぎたあの青い風が 心をあの頃へ 運んでゆく 僕等はいつでも同じ夢を見てた やがてここには もう誰れも居なくなる なつかしいひとを 壊れた約束を 哀しい愛を心に刻んで あれはただ僕等が 若すきただけ やがてここには もう誰れも居なくなる もう誰れも居なくなる 空が高すぎる……(小田和正) いま雪に埋もれる生まれ故郷が、四方を山脈に取り巻かれていたからかもしれない。朝日も夕日も山の端にのぼり、山の端に沈んだ。だから山の端を意識しても、地平を意識することはなかった。
この地は、完全ではないが、地平の果てしなさがある。まして冬、凍てつく空気に空が大きい。そしてそれだけ、心にのし掛かる悲しみも、また大きいのだ。 そう言えば、この歌を口ずさんだ十数年前が異郷の病院……そして今また病院で、同じ歌を口にする。陽がのぼり陽が沈み、人が来て人が去り、季節が繰り返して、幾時代も過ぎた。 ……一体自分は何を見送ってきたのだろう。 病院の窓辺にも切なさが付いてくる。切なさの向こうにたどり着く時は来るのだろうか。
そんな心持ちに、そっと囁きかける版画に、病院の壁で出遭う。 木村まさゆき――誕生の予感
木村まさゆき――鳩笛
……すると、なぜだか生きたくなる。胸一杯の悲しみを抱えて、また歩きたくなる。
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「虹」の相棒のあんずです。
震災の年、これまで以上に小さい命が目につくようになりました。 今年の春、桜の枝が伸びたとき、それを切らずに高く縛って、それらの鉢を並べ、緑のカーテンを作ろうと思いたちました。 その鉢の一つのてっぺんに葉っぱの鳥を見つけました。 その緑の鳥が今は黄ばんで季節の移り変わりを告げています。 散歩をすると、路上にさまざまな命を見つけました。 これは夏、道の上に落ちていたセミです。 それから、つい最近、駐車場を横切ろうとしていた何かの幼虫です。 それらの命は、その後どうなったのかはわからないけれど、きっと自分の役割を果たしたのでしょう。 そう、それからある日一人の青年がはい、お土産と言ってこのバラを届けてくれました。これがそのバラ。 ……実は折り紙なんです。青年はネットで調べて、広島のサイトを見ながら作ったそうです。
そんなこんな、思えば携帯にデジカメがついた時代の個人的な日々の記録なのですね。 希望……そう呟きます。 |




