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本当に久しぶりの投稿となりました。気が付けば極寒の中、年も開け、母の三回忌も無事に終わったと思ったら、もう節分。  さて、昨年の11月のことです。有難くも、親戚の法事の導師を勤めさせて戴く機会に恵まれ、この時!とばかりに、思い切ってスキンヘッドにしました。後頭部に残る事故に遭った時の傷が丸見えになりましたが、暫くは風貌の変化による周囲の反応を見るのが楽しくて、楽しくて…… ああ、不謹慎でごめんなさい。 それにしても、さ、寒い。こんなに寒いなんて…。 在家僧なので普段は今まで通りですが、僧として役割…仏様に対するお給仕(仏様の言葉ををお伝えすること)が日常的に抵抗なく行えるようになり嬉しいです。 後頭部の手術痕は今まで生かして貰ったことの証し、そして、この傷がなければ今のこの出会いはなかった。 愛する母は僕が娑婆世界に留まることができなければ尼僧になる覚悟を決めていたと後で語りました。僕がまだ15の時。 法衣を着た今の姿を生前中の母に見せてやりたかった…と愚息は少し残念に思っております。  本業、忙しい方です(笑)。日蓮聖人が愛弟子である四条金吾に宛てた文、「御仕官(おみやづかい)を法華経と思召せ」。今、僕はその精神を実践すべく仕事と向き合っています。

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紫陽花の頃

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梅雨入りです。 一年を通じて気持ち良く過ごせる時間が余りにも短くなってきたような気がします。急激な寒暖差は言うに及ばず、隣国からの有難くない贈り物やらで…不肖迫田はこの時期になるまでマスクを手放すことが出来ませんでした。加えて帽子好きの僕は殆ど不審者状態でコンビニに入店することすら…ウソです(笑) 口も喉も商売道具なので常日頃からそれなりに気を遣っているのですが、今年は何だか大変(笑)
この夏、作曲家河合正雄門下による手作り楽器を使った新しいユニットが始動します。総勢五名!各々がその道で研鑽を続けている現役のプレイヤーばかり。あとは、舞台監督であるM氏と河合氏ご本人、そして、有難い事に常日ごろからお世話になっている 子育て研究会のお力添えも戴き本格的に活動開始です。あ、…一応メンバーです…僕(笑)詳しくはホームページをご覧ください。近々詳細もアップ致します。
昨日は父の祥月命日でした。父は入退院を繰り返しながら、僕が9歳の時に他界したのですが、数少ない思い出の中に今も確りと生き続けています。僕自身、父が母と結婚した頃の年齢に近づいて来ました。人間、娑婆世界を辞する時、持参出来るもの…それは 思い出だけです。 南無妙法蓮華経

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母の一周忌に思う

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先日、母の一周忌を無事終えました。「光陰矢の如し」と言えば、余りに月並みですが、振り返ってこの一年は駆け足のように過ぎ去りました。今こうして思うと、...有難い、かけがいのない毎日の連続でしたが、それは母の存在を再確認する日々でもあり、...喪失感...そんなものは皆無です。心中に去来するのは母に対する感謝と恋慕の念ばかりです。この娑婆世界を辞しても、間違いなく母はそこにいる。在宅介護の四年間、そして今もなお、僕の日常は身をもって法華経を読む日々の連続です。 「信じる者は皆救われる」...どうかそんな酔っ払いの戯言で片付けないで下さい。仏典の最高峰である法華経に説かれている教えに嘘はありません。尤もそれを曲解すると恐ろしいことになるのですが...
一方、母の介護が終わって練習に時間をとることが出来るようになりました。それで、この一年最も強く感じたのは、人間、自分一人の為だったら何も出来ないけど、お人の為なら動けると云うことです。これは音楽の師である河合正雄さんが常々仰っている「あなたとわたし」の思想そのものであり、更に付け加えるなら、仏典に記されたそのままが具現化した姿と言えましょう。 「あなたとわたし」この関係を保つことが出来たからこそ、母を送り出してからも変わらぬ自分でいる事が出来たと僕はかたく信じています。 南無妙法蓮華経

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新緑のころ

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不順な天候を余所に花々が時の移り変わりを教えてくれます。季節は巡り、山々が新緑に彩られました。最愛の母はこの穢土を旅立ったけど、僕自身に空白の時間は生まれなかった。これは本当に有難いことです。 まあ、あれだけ見事な生き様を見せ付けられたら、感傷に浸るのも馬鹿馬鹿しく...人並みには寂しですよ。姿は見えないし(笑)。朝晩のお勤めが、仏法を通じて母との絆を再確認できる大切な時間です。娑婆世界の死は次の出発に過ぎません。 月参りを兼ねて母の日に深草墓苑に行きましたら、道中偶然にも母がお世話になった病院の看護助手さんにお出合い出来て、暫し、母の思い出に花が咲きました。そして、母が多くの方々に愛されたことを改めて思い、感激で胸がいっぱいになりました。肉体は無くともそこに母は確実に存在しているのですね...拙僧として愚息として(笑)それを忘れてはいけない。   
新たなご縁があちこちで生まれ、かつての、在宅介護の、あの、ある種穏やかな日々が(実際は臨戦態勢でしたけど)ウソのようです。僕には仏法と身に付けさせてもらった芸しかありません。母に注いだ思いを、その両方に存分に使えるのですから...これは幸せです。   勿体なくも、人様からは先生と呼んで戴いておりますが、僕自身がそれに値する人間であるかどうか、明鏡に照らして絶えず自問自答しています。  お経文の言葉も楽譜に書かれていることも、他事を交えることなく、そのまま伝えなければいけない...それが拙僧として一芸能者としての使命と考えます。
僕はほぼ独学に近い状態で笛を吹き続けてきましたが、近年は自分の不勉強と畩緻,砲覆襪海箸魴找し、ことあるごとに人に教えを乞うております。 大体、独学は効率が悪い、悪すぎる(笑)唯一の利点は一つ一つ身につけたことが魂に染まると云うことぐらいかな...それとて、外からの刺激無くしては出来ないことですから、真の独学なんてあり得ない筈です。外からの刺激...それこそが師友です。
 有難いことに六月にはダン・ラウリン先生のレッスンを受けさせて貰えることになりました。

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旅立ち、...それから

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 弥生三月...寒さは不相変ですが、先日、足元のにイヌフグリに一足早い春を観じました。
いつの間にか陽も長くなって...

お陰様で数日前、母の四十九日と納骨を無事に終える事が出来ました。慌ただしい日々の連続でしたが、沢山の力に支えられながら今日と云う日を迎えております。  四十九日の法要は、江見壽昭法師を始め法華一乗会の同士のみで行いました。法要を終えてすぐに納骨場所であるF墓園に移動。ここは母が存命中にお世話になったK病院から一つ先の駅で降りた高台に位置しており、京都の中心部が一望できます。墓園の方のお話しで、元々が旧陸軍の合同墓地であったことが分かり其の規模や佇まいに納得しました

有難いのは、母のみならず今の日本を築き上げる礎となった方々、また、無念な思いを抱きながら最期を迎えた方々...大勢の皆さんの御供養を拙僧の身としてさせて戴けることです。そして願わくば、お釈迦様の説かれた最上の教えである法華経にこの方達を血縁することができたら...いや、恐らく...母はこの娑婆世界を引退してもなお、慈愛をもって愚息に孝養をさせようとしているのかもしれませんね(笑)

余談ですが、毎月O霊園にある、日蓮聖人を始めとする法華宗の先師先哲のお墓に一乗会としてお参りするのですが、まあ、周りに無縁仏が後を絶たず、特にここ数年で増えたようです。今の寺院仏教の檀家制にしても、お墓にしても徳川家康の時代からの産物で、それ以前には存在しませんでした。仏教徒であるならば、何がお釈迦様の本意に適った在り方なのかちゃんと考える必要があります。

僕はしがない一芸能者ですが、在家ながら拙僧の身であります。これから先も自分に出来ることを少しずつ積み重ねて生きたいと思います。在宅介護の三年間は法華経を目や口ではなく、この身に読む日々でした。生きることも、死ぬことも同じく尊い...母の生き様が確りとそれを証明してくれました。恐らく母
の頭には釈尊、日蓮聖人が宿っておられたのでしょうね。

「死んで終わり」ではありません。娑婆世界に実体がないだけで、...僕は今でも母を感じますから(笑)。

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