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なんとも驚きましたね。突然の辞任劇でしたが、この人は政治家になってはいけない人だったのでしょう。政治家の家に生まれたにも関わらず、政治家としてまともな教育や薫陶を受けなかった事は間違いないのでしょう。この人が立候補する際に親父さんが反対した理由が、なんとなく理解できるような気がします。 今回の退陣劇では、最後まで空気の読めない男だったというのが、率直な感想です。 この時期は、本当に中途半端な感じが否めません。辞めるなら、3月ではなかったのでしょうか。普天間基地移設に関して、政府案をまとめられない時点で辞めるべきでした。普天間・口蹄疫などの問題を抱えたままの状態であり、単なる無責任という事になってしまうのではないかと思います。 結果として投げ出したと言われてもしょうがないでしょう。選挙で負けて退陣という事であれば、致し方なしとなったと思いますが、この時点では単なる選挙対策と受け止められるだけだろうと思います。看板の付け替えだけで、支持率が上がると考えるなら、国民も舐められたものだと国民が声を上げるべきでしょう。 後継問題も色々取り沙汰されていますが、誰が代表になっても変わらないという意見もあれば、○○さんなら期待度が違うという人もいます。でも、冷静に考えれば、この時期に総理大臣になりたい人がいるのでしょうか。結局は、貧乏くじと考えれば、表に出たい人はいないでしょう。 院政小沢の下で「菅」と考えるのが普通であって、それ以外の選択肢があるのかなと思っています。本人もそこまでお馬鹿ではないかもしれませんが、総理大臣になれるタイミングが都合よく回ってくるものでも無し、受けてしまうんではないでしょうか。参議院選で負けても、小沢・鳩山の責任に出来ます。民主党がどこまで考えるか解りませんが、選挙の責任逃れは出来てもその後には自滅すると思うかもしれません。そのタイミングで、イメージ一新と計算しているかもしれません。 政治の世界は、私の様なボンクラには分かりませんが、もっと深い裏があるのかもしれません。政治の世界は、国内だけではないようです。世界が、複雑に絡むのが政治であって、その中で国益を守り通すのも政治であると考えれば、相応しくない人物が政治の中心にいたという事かもしれません。 綺麗事で割り切れないのが政治の世界なのかもしれませんが、少なくとも夢は見せていただきたいと国民は思うのではないでしょうか。それすらできない政権を良しとしないのは当たり前の話で、安全保障もまともに考えられない政権に何を託すのか、疑問を持つのは当たり前田のクラッカーですね。(古いですね^^;) 政治と金の問題に視点を移せば、有耶無耶にしたという事でしょう。これで、解決したわけではありません。総理や幹事長を辞めればケジメなのでしょうか。 議員辞めてませんよね!? 先んず隗より始めよ! クリーンな政治はそこからでしょう。 責任の放棄は、そこに新たな責任が生じるとは考えないのでしょうか。 無駄な8カ月を国民の判断で過ごしましたという自覚を持てましたでしょうか。 持ったなら選挙に行きましょう! |
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鳩山退陣論が大きな声で叫ばれているようですが、選挙の為には先行きを考えない政治は、民主党の得意技なのでしょう。私は、もっと早くに辞めて欲しかったのですが、ここまでくれば選挙も戦ってほしいと思っています。結果として、民主党惨敗となり分裂してくれないものかと思うのです。 今の段階で総理がお辞めになっても、結果はあまり違わない様な気がしますし、総理だけを辞めさせればそれで問題解決とは行かないのが現実だと思います。幹事長がその地位に居座っているのでは、国民の感情を逆なでするだけの様な気もします。 「国難に立ち向かう」と総理は仰っているようですが、その国難は誰が招いたものかと考えれば、こんな人間を国のトップに据えてしまった国民の責任は、非常に大きいという事になります。過ぎてしまった事を何時までも言っていたとて、前に進むものでもありません。間違いに気がついたのなら、それを正すのも国民の責任でしょう。ならば、今度の参議院選挙には、ぜひとも投票に行って間違いを正さなければいけません。 何処の政党に投票すれば良いのかと最近聞かれる事が多くなりましたが、これは根本的に間違った質問だと思っています。比例選挙もあるので、完全に間違いとは言いづらいのですが、基本的には選挙で投票すべきは人であって政党ではないはずです。民主党であろうと自民党であろうと、どんな人物が自分の選挙区で立候補しているのか、どんな主義主張を持っているのか、自分の目で確かめて投票すべきであろうと思います。その次が、どこの政党に入れようかと考えるのが筋なのではないのでしょうか。 私個人は、これから候補者を精査しますが、民主党候補に投票する事はないでしょう。理由は簡単です。政治で片づけなければいけない問題が山積している状況で、選挙の事ばかり持ちだす政治家など政治の世界には不要だからです。今の民主党の状況を見て、みっともないと身内から叫ぶ人間も皆無の様ですし、投票するに値しないと思っています。 民主は駄目、自民もさっぱり、だからみんなの党というのも変な話で、もっと考えてほしいなと思います。こんな調子では、何時まで経っても政治家が変わる事はないでしょう。つまり、政治そのものが変わらないという事に国民が気がつかないといけないと思っています。 まだ時間もありますし、ゆっくり考えて必ず投票に行ってほしいですね。 |
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久しぶりに映画を観に行ってきました。何年ぶりになるのか、自分でもよく分かりませんが、これも何年ぶりになるのか忘れてしまった銀座に行ってきました。初日の初回という事で、お客さんはそれほど多く無かったみたいですが、私と同年代かそれ以上と思われる方ばかりで、何となくホッとしました。 何故、初日の初回なのかと言えば、二回目の上映時には、出演者の方々の舞台挨拶が予定されていて、お客さんが多いのではないかと思ったのと、所謂大作映画ではないので、初日はお客さんが少ないだろうし、映画の題材の事を考えると時間経過とともに動員数が増えて行くような気がしたからです。 あっという間に終わってしまったなとというより、場面ごとに頭の中で色々な事を考える映画だったという感じがしました。見る前に思っていた以上に深い作りになっている事も驚きでした。(夏井さん、生意気でごめんなさい。^^;) 内容については詳しく触れませんが、単なる「冤罪」を扱った映画という事ではなく、「人を裁くという事は、同時に自分も裁かれる事」というセリフでドーンと叩き落とされる様な衝撃を受ける場面が出てくる映画と言えば良いのでしょうか。 脚本を書いた夏井さんにお聞きしたわけではありませんが、タイトルの「BOX 袴田事件 命とは」のBOXが引っ掛かっていたのですが、映画を見終わって「なるほど!」と自分なりに納得してしまいました。あくまでも、自分なりの解釈でしかありませんが、BOXのOXの部分は、映画の冒頭で「○」と「×」で表され、裁判での評決をを連想させますし、今の日本の問題点を浮き上がらせているようにも感じました。「○」か「×」で、何でも決めてしまうような風潮を表していたのでしょうか。 BOX自体も、さまざまな場面や空間や時などを意味しているのかも・・・ボクシングのリングであったりもするのでしょう。終盤の場面で考えさせられたのは、BOXにingを付けたら・・・・・あえてingを付けていないのでしょうか。良く分かりませんが、映画は映画で終わりではないと感じました。現在進行系の事件であるという事を忘れてはいけないという事なのでしょうか。時系列を遡り、そこからのスタートとなっている事を考えると、そういう事なのだろうと勝手に納得しています。 映画をご覧になっていない方には、何の事やらと思われるでしょうけど、「冤罪」はこうして作られるという事も良く分かる、オヤジとしてはお勧めの映画です。 |

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連日報道されている宮崎県の口蹄疫被害ですが、避難しているエース級の種牛のうち一頭が殺処分され、農家の方々が暗い気持ちでいるところに避難していない種牛49頭の殺処分が決定しました。東国原知事が、殺処分しないように申し入れていましたが、国は認めないという事のようです。 私の妻などは、「これは変だ!」と言います。「避難している種牛の方が、感染する確率が高そうに思えるし、49頭の種牛を処分してしまえば、種牛が全滅する可能性が高くなる。ここは、特例を認めるべきだ!」と言うのですが、私の意見は少し違います。 この問題に正解は無い、あるのは覚悟だけだと思うのです。 避難していない種牛49頭は、今のところ口蹄疫を発症していないという事ですから、生き延びる可能性は高そうに見えます。方や、避難した種牛の一頭は、発症し殺処分されていますので、こちらのグループが全滅する可能性が高いと考えるのは普通の事だろうと思います。でも、問題はそんなところにあるのでしょうか。 担当大臣は「規則で決まっているのだから、即刻殺処分するのが当然」と言いますが、宮崎牛の種牛が全滅の危機にある事を踏まえて言っているのでしょうか。仮に理解しているとして、避難している種牛がいる現実を考えれば、例外を認めつつ片方は法律で決まっているから即刻殺処分では、そこに矛盾がある事を理解しているのでしょうか。ただ、これも小さな問題だと思います。 種牛を作るためには、7〜8年程かかるそうで、種牛が全滅となれば、宮崎の畜産業は、一からやり直しとなるわけです。それを宮崎県の畜産が再生されるまで、国で全面的に支援する覚悟を持って「種牛の即刻殺処分」と決めたという事であれば分かります。当然、大臣一人で決められる事ではありませんので、閣議に諮るなど根回しもしたうえでの決定だといえば分かります。 しかし、覚悟も無く、根回しもせずに言い渡しのであれば、宮崎の畜産農家の方々に「死ね!」と言ったに等しいのではないでしょうか。どれほど重い決断を下したのか、その覚悟のほどをお聞きしたいものです。(共に立て直そうという覚悟をしての発言なら、ヘラヘラしながら記者に答える筈も無いと思いますが・・・。) もうひとつの疑問は、宮崎県知事がどのような覚悟を持って49頭の種牛の処分をしないように申し入れたのかです。殺処分を断ると、罰則もあるそうですが、敢えて処分も辞さずという覚悟があっての事なのか、その件で知事の職を賭す事になっても、信念として押し通すほどの覚悟があるのか。宮崎の畜産再生の為に身体を張って自分の責任として、種牛を守るという事なら応援したいと思いますが、そうではない中途半端な想いなら、偽善者にすぎないと思います。確かに睡眠時間を削って、対策に当たっている事には、本当に頭の下がる思いはしますが、ここは覚悟が試されているのだと思います。 殺処分を免れても種牛を守る事ができるのか、それは誰にもわかりません。でも、やらなければ確実にゼロに近づく、やったとしてもゼロになってしまうかもしれない、殺処分にしなかったせいで被害が拡大したと言われるかもしれない、何がベストで何が最悪の結末なのか誰にも分からない、だったら誰が覚悟を持って決断するのか、そこが一番の問題なのだと思います。 法律で決まっているから守ればよいという事なのでしょうか。犯罪を裁くための法律ではありません。国民の共通の利益を守るための法律であるはずなのですから、そこに血が通ってなくて良いのでしょうか。杓子定規で心の通わぬ法は、人を苦しめる事はあっても人を助ける事があるのかと最近思うのです。 偉そうなことを言っていますが、私自身がそれほど覚悟を持った人間ではありません。だからこそ、覚悟を持つ事の難しさを感じるし、覚悟を持つ人間を尊敬したいと思います。日本の国民の多くの方々にかかわる問題だと理解し、覚悟を持って臨む人が現れる事を、本物の政治家の登場を願ってやみません。 宮崎県が、国の決定を受け入れたのか、宮崎県の畜産農家の方々が決定を受け入れるのか、私には分かりませんが、受け入れるという事であれば、一から始める覚悟を持っての事でしょうから、私などが能書きを垂れる様な事ではありません。その時には、私も微力ながら寄付など出来る限りの事はしたいと思います。 私自身の文章力の無さなのでしょうが、うまく伝わるのか甚だ疑問なのですが、この件では批判だけでは、何も解決しないのだと思います。当事者の想い、覚悟は当然であるとしても、国民の意識や覚悟はどうなのだろうと考えると、自分自身が情けなくなる気持ちがあります。自殺者が出たという報道もあった事を考えれば、本当に重い・・・重い決断が必要でしょう。 (口蹄疫】宮崎県「種牛候補」16頭を避難 2010.5.26 14:02 県によると、16頭は被害が多発している川南町などを避けるため、18日に宮崎港から船で日向市へ移動した後、高千穂町に運ばれた。 県が保有する種牛は49頭の殺処分方針が決まっているほか、西都市に避難させたエース級6頭のうち「忠富士」が感染疑いで既に殺処分された。
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札幌地裁に入廷する小林千代美議員陣営の元経理担当、木村美智留被告(左から2番目)=18日午後、札幌市中央区の札幌地裁(大竹直樹撮影) 近現代史教科書に“自虐”記述 神奈川の独自科目、検定の盲点 http://sankei.jp.msn.com/life/education/100524/edc1005240017000-n1.htm > 教科書の使用について法律では、「文部科学大臣の検定を経た教科書用図書を使用しなければならない」(学校教育法)と原則が定めてある。しかし、高校教育では科目設置の多様性から検定教科書がそろわない事態もある。そのため法律では付則で例外的に「高校では検定を経た教科書などがない場合、当該高校の設置者の定めにより他の適切な教科用図書を使用できる」と規定。問題の近現代史の教科書も検定を経ずに生徒に供給できるという。 恐ろしい事を考えるものです。この法律は、全く知りませんでしたが、反日左翼が利用すれば大変な事になるという事のようです。高校の設置者という事ですから、県立なら県知事、市立なら市長、私立なら経営者サイドが決めればよいという事で、やり方によっては自虐史観を拭い去る事も、徹底的に押し付ける事も可能となってしまうのでしょう。 >県教委は会合終了後に教材例を回収。「あくまで、たたき台。今後の編集作業で全体的に修正する可能性がある」としている。 真っ先に感じたのは、姑息だという事です。大騒ぎになる前に、取り敢えず隠しておけという事なんでしょう。 松沢知事とは、どんな人なんでしょう。民主党を離党して知事になったのだと思いますし、石原都知事と仲が良かったような印象もあります。外国人参政権には、反対の立場であったと思うのですが、自虐史観には賛成なんでしょうか。それとも、県教委が汚染されてしまっているだけなのでしょうか。どちらにせよ、こんな近現代史の教科書が使われない様に、保護者の方はしっかり監視してほしいと思います。 「浜教組への警告文書は適切」文科相が支持 教科書不使用指示で 2010.5.18 10:55
横浜市の教職員らで組織する「横浜市教職員組合」(浜教組)が市教委の採択した教科書を使わない「授業マニュアル」の冊子を教職員に配布し、市教委から文書で警告された問題で、川端達夫文部科学相は18日の定例会見で、「市教委が教組に対して適切な文書を出したと聞いている」と述べ、市教委の対応を支持した。
また、浜教組が「マニュアル」冊子配布の際、市教委の公務用配送システム「学校ポスト」を勝手に利用したことについても、川端文科相は「目的外に使用したということは法令というかどうかは別として約束違反であることは間違いない」と批判した。 浜教組は、市教委が昨年8月に採択した自由社発行の「新編 新しい歴史教科書」を批判し、他の教科書や資料だけで授業を展開する例を示す「授業マニュアル」を作成し、教職員1万人以上に配布していた。 これに対して、市教委は、教育委員会が採択した検定教科書使用を義務づけた学校教育法や市規則などに抵触する可能性があるとして警告。文科省も事実確認のため、調査に乗り出していた。 >長田被告は公判で、北教組の政治活動の“正当性”を饒舌(じようぜつ)に語り、弁護側も「教育条件改善のためには政治の力が必要」などと、選挙活動へのこだわりを見せた 日教組の言う政治活動の正当性とは、いったい何を持って正当であると言い張るのでしょう。時間外に学校以外の場所で活動する分には、好きにやればよいと思いますが、勤務時間内外を問わず学校内での活動が正当化できるものなのでしょうか。 教育条件の改善とは、何を指して言っているのでしょう。正直言って、子供たちの為の改善だとは、とても思えませんので、一保護者としては、認める気にもなりません。まして、法を犯すような真似をしておいて、なぜ正当化できるのか、教育者や活動家である前に人としての自覚が足りないのでしょうね。 日教組は、何を理想とし、何を目的としているのか、国民にはっきり説明しては如何でしょう。受け入れる人は、そんなに多くはないと思いますが、隠して姑息な活動ばかりしている姿を「卑怯」と言われて返す言葉があるのでしょうか。 |


