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料理を作ることを生業とせずに料理の研究をされる方を一般に料理研究家と言いますが、そういった意味では政宗公は元祖料理研究家と言えるかもしれません。 家康公が長生きのためにいろんな事を研究していたり、黄門さまが乳製品の研究をしていた事なんかはいろんな形で伝わっていますが、純粋に料理を探求していたのは政宗公が最初ではなかったんでしょうかね。 兵糧とは戦の為の物ですから持ち運びやすく、腐りにくく、調理しやすく、カロリーを確保でき、栄養価が高いことなどが条件であるわけですから、納豆、高野豆腐、味噌なんかは理にかなっています。 仙台と言えば「ずんだもち」を忘れてはいけません。 初めて聞いた人もいると思いますが、仙台名物の一つです。 初めて見る人は、ギョッとするかもしれませんが、私は好きでよく作ってもらいました。 この仙台名物を考案したのが政宗公と言われています。 お酒が弱く失敗談の多い政宗公ですから、十分あり得る話だと思います。 「馳走とは旬の品をさり気なく出し、主人自ら調理して、もてなす事である」 と言い、秀忠、家光を自分の屋敷に招待し自ら膳を運んでもてなした政宗公の腕前とはどのようなものだったのでしょう。 詳しい事を知るのは難しいのですが、天皇家の料理番である四条流との繋がりのあった政宗公ですから、いろんなことを教わっていたのかもしれません。 天皇家の料理が武家社会でも食されるようになったのは、伊達家を通じてのものだそうですから、やはり料理研究家としても一流だったのでしょう。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%96%E4%B8%81%E5%BC%8F 一日に3度も厠に1〜2時間籠っては朝夕の献立を考えていたといいますから、ここまでくれば趣味の域を超えていますね。 本格的に料理の研究をするようになったのは、大阪の陣の後だそうですから徳川の世が動かない事を確信しての事だったのでしょう。 武人としての潔さでもあったのでしょうか。 大阪の陣といえばこの時、政宗公はある方から娘を2人お預かりしています。 一人は山形に行かれたそうです。 もうお一方の子孫の方は私の一族の親戚でもあるわけです。 名前は伏せておきましょうね。 「少しも料理心なきは つたなき心なり」と言ったそうですから、政宗公にとっての料理とはそれほどに価値あるものだったのでしょうね。 |

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