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なかなか報道が行われなかった宮崎県の口蹄疫ですが、此処数日でようやく詳しい状況が伝えれるようになって来ました。まだまだ足りないし、感染源の特定などの肝心な事に触れられていない事も不満ではありますが、宮崎県の畜産農家の現状が、全国に知られるようになる事は、一つの前進と良い方に考える事にします。宮崎県の被害にあわれている畜産農家の方々には、心よりお見舞い申し上げますと共に事態の早期収束を心から願ってやみません。 口蹄疫の件がなかなか伝えられなかったのとは反対に、毎日のように報道されている普天間基地移設問題ですが、5月末決着は絶望的な状況です。もともと夢のような話であり、簡単に決着するような話でもありませんし、当然と思える状況でもあります。 今頃になって「勉強したら解った」みたいな事を言っている、わが国の総理の妄想が生んだ事態ですが、事態を終結させる事が出来るのでしょうか。私には、この問題が、スンナリ解決するようには思えませんし、事態はどんどん悪化しているようにしか感じられません。 もっとも、肝心な議論が抜けているのですから、解決できるはずも無いのかもしれません。戦後65年間の日本は、自分の国を自分で守る努力を怠り、他国に守ってもらう事に慣れ、それが当たり前であるかのごとく、国防に関する真剣な議論もせずにきています。今では、国防に関する議論をしようとすると、軍国主義者でもあるかのように見られるような風潮までありますが、これがまともな国なのでしょうか。 国防は、国の根幹にかかわる大事な問題であり、間違う事が許されないと思いますが、「憲法9条」が、日本を守ってるなどと信じているような人たちには理解も出来ないでしょう。国防にかかわる根本的な議論もせずに「最低でも県外!」などとお気楽に街頭演説をして歩くような政治家には、国防を語る資格は無いでしょう。よくよく考えてみれば、総理の血筋は、防衛オンチなのかもしれません。「自主防衛」を掲げたお爺様は、掲げるだけで何もせず、お父様は、外務大臣時代にソ連の核ミサイルの事を総理に助言も進言もしていなかったようですから、そういう家系なのかもしれません。 今日は、総理の言動を批判しようというものではありませんので、取り敢えず置いておきましょう。国防という問題は、軍事や軍備という面だけで語るべき事ではないという事を考えてみたいと思います。 『国防は、最大の福祉』と言われますが、考えてみれば至極当然な事だと思います。自分の国の安全を確保できるだけの防衛力、あるいは抑止力、それが有ると他国に信じ込ませる事が出来て初めて国の安全が約束される。それが出来てこそ、国内の問題を論じる事が出来るという事になるのではないでしょうか。 簡単に他国に侵略されてしまうような状態であり、他国の脅威に怯えながら国内の問題をどんなに論じても、侵略されてしまえば虚しい議論でしかありません。国内の問題を真剣に解決に向けて論じ合う為には、国防がしっかりしている事が、必要最低限の大前提となるはずです。しかし、その大前提を他国に依存し、議論する事すら半ば放棄したような状態を続けてきたのみならず、自国を守ることを論ずることが、まるで悪であるかのような風潮になってしまっている事に、この国は国としての形をなしているのかと疑問に思ってしまいます。 景気対策・就職・教育・農業・福祉・・・・闇法案・・・・・様々な国内問題はありますが、本当に解決する気があるのだろうかと疑問に思わずにはいられない、そんな気持ちになる日本の現状なのではないかと思います。 「根拠のない自信」を持つ、おかしな若者が増えている様な、そんな気がするオヤジですが、「護憲派」「9条の会」などの様に、憲法9条があるから日本の平和が保たれていると語る輩は、何を根拠に語るのでしょう。 「根拠のない自信は、いずれ他人に迷惑をかける」これは、私の持論ですが、いまだに間違っていると思った事はありません。その昔、私自身が痛い目を見たのも、私自身が努力もせずに大言を口にした事が原因でした。多くの若者が、失敗を繰り返し去っていったのも、根拠のない自信を元に自分に溺れていった事が原因であり、反省する事無く他人の責任だけを追求する事しか出来なかったからです。 昨日は、社内での講習会があり、全く柄では無いのですが講師を務めさせていただきました。どんな話をすれば良いのか、さんざん迷いましたが、「公共心」というお話をさせていただきました。どこまで理解していただけたものか、話した自分自身が疑問ではありますが、真剣に聞いていただけた事は、私自身のささやかな収穫であったと思います。 小さい括りでも、大きな括りでも、「公共心」というものは、人間の行動規範になっていると思います。他人に迷惑をかけず、万人の利益に供する心と言えば大袈裟でしょうか。 確かに大袈裟かもしれませんね。それが理解できない人間がいる事も現実ですし、それが実践出来ていない自分の姿も情けなく思う事もあります。個人レベルでの話であれば、情けなく思うだけで済むのかもしれませんが、国家レベルではどうでしょうか。 誰も戦争などしたいとも思わないでしょう。だからこそ、国防というものをしっかり考えて、戦争をしなくても済むように備えることが大事なのだと思います。国防のために命懸けで働く人がいて、それを全力で支える国民がいる、それが国家レベルでの究極の公共心ではないかと思います。このように言うと、軍国主義かと騒ぐ人もいるんでしょうが、国防がしっかりできて初めて、国内の問題を解決に向けて話し合えると考えれば、国民の共通の利益であり、国防に必要な人・物・金は、国民共通の痛みとは考えられないでしょうか。他国に迷惑をかけず、国民すべてに利益を供する事、そのために等しく痛みを共感すると考えれば、基地移設問題も遠からず解決できると思いますが、米国に頼らなければ国防もまともにできない国の現実は、全く違うようです。 単なる理想論と言われてしまいそうな気もしますが、家族制度があった頃の日本人は、家族の中で大なり小なりの公共心というものを育み教えていたように感じます。また、公教育でも『教育勅語』『修身』によって、身につける事が出来ていたと思います。裕福では無くても、幸福を感じる事の出来る社会が有ったのではないでしょうか。 戦後生まれの私が言うのも変な話ですが、戦後個人主義が蔓延し、左翼の教育が権利ばかりを主張する人間を作り上げてきた現実を見るにつけ、目先の議論に終始し根本的な議論を避けようとするのは致し方のない事なのかもしれません。個人の利益を優先する事が、本当の意味で幸福を感じられる社会と成り得るのか、真剣に考える時期に来ていると思います。 「国防は、最大の福祉」であるのなら、それを支えるのは「究極の公共心」などと考えた一週間でした。 |

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