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久しぶりの更新です。 ご無沙汰しております。m(_ _)m 昨日は、雪が降り積もる新潟に日帰りで出張に行ってきました。十数年ぶりの新潟は、その当時と同じように大雪に見舞われていました。道路のわきには、うず高く降り積もった雪によって壁が出来ていて東京とは別世界でした。 当初は、車で移動のはずでしたが、雪が降りっぱなしという事で、安全と時間の正確さを優先させ、新幹線での移動となりゆっくりと車窓を眺めながらの移動となりました。たまには良いものですね。 今回の主張先は、魚沼のコシヒカリが収穫される地域で、美味しいお酒と美味しい食べ物が頂ける所なんですが、残念ながらお泊まりは無くゆっくり堪能することはできませんでした。(残念・・・) 浦佐という駅で降り、田名角栄さんの銅像のお出迎えを受け、車で移動して出張先の工場へ向かいました。ちょうど昼時でしたので、工場近くの立派なお蕎麦屋さんで昼食をいただきましたが、その時に出張先の工場の工場長とお話しさせていただきました。 話しているうちに当然のように雪の話や雪降ろしの大変な話なども出てくるのですが、その時の工場長の一言が、私の脳みそを刺激しました。 「雪が降ってくれないとコメの味もイマイチなんですよね。」 天候は、人智の及ぶものではありません。降り積もった大雪は、その地域に住む人達には大変な苦労を強いるわけですが、大雪は、やがて溶けて雪解け水となり、豊富な地下水を維持し、豊富な地下水が美味しいお米を育てる、雪の多さが味まで左右するとなると決して悪い事ばかりではないという事になる・・・のかなと思いました。大雪は、おいしいお米を収穫するためには、避けて通れない試練であるともいえるわけで、自然とはそうしたものなのだろうと思います。 富山湾のブリが豊漁というのも、寒さの厳しい冬が、厳しさに耐える試練の代わりに人間に与えた恵みと考えられないでしょうか。 もっとも、TVを見ていると科学的な説明で済まそうとします。ブリは、水温が低すぎるのを嫌い冬に南下を始めますが、今年は特に水温が低いようで、比較的水温の高い富山湾に入ってくるブリが例年以上に多いという現象になっているとなるんですが、ではなぜそこまで水温が下がるのかと次々に疑問をぶつけていけば、すべてを科学で解き明かしているわけではないので、いずれは説明に窮する事になります。 人間の力で自然の何かを変えられると思ったとしたら、自然のすべてを説明できると思ったとしたら、それは人間の思いあがりでしかないでしょう。北京オリンピックでは、ロケットを打ち上げて雨が降らないようにしていましたが、思いあがった人間の姿をまざまざと見せつけられたように思います。自然に対する畏れと敬う気持ちが有って初めて、自然を受け入れ自然の恵みに感謝できるのであって、それが調和という事ではないのかと考えたりします。 人間の力では、如何ともし難い自然に触れ、そこで生きる人々を見て、話を聞いて感じた事ですが、それと同時に神社の拝殿に祀られている鏡について改めて考えてみたくなりました。 本日も取り留めのない記事にお付き合いいただきありがとうございます。 |
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稲むらの火 「これはただ事ではない」とつぶやきながら、五兵衛は家から出てきた。今の地震は、別に烈しいというほどのものではなかった。しかし、長いゆったりとしたゆれ方と、うなるような地鳴りとは、老いた五兵衛に、今まで経験したことのない不気味なものであった。 五兵衛は、自分の家の庭から、心配げに下の村を見下ろした。村では豊年を祝う宵祭りの支度に心を取られて、さっきの地震には一向に気が付かないもののようである。 村から海へ移した五兵衛の目は、たちまちそこに吸いつけられてしまった。風とは反対に波が沖へ沖へと動いて、みるみる海岸には、広い砂原や黒い岩底が現れてきた。 「大変だ。津波がやってくるに違いない」と、五兵衛は思った。 このままにしておいたら、四百の命が、村もろとも一のみにやられてしまう。もう一刻も猶予はできない。 「よし」と叫んで、家に駆け込んだ五兵衛は、大きな松明を持って飛び出してきた。そこには取り入れるばかりになっているたくさんの稲束が積んであった。 「もったいないが、これで村中の命が救えるのだ」と、五兵衛は、いきなりその稲むらのひとつに火を移した。風にあおられて、火の手がぱっと上がった。一つ又一つ、五兵衛は夢中で走った。 こうして、自分の田のすべての稲むらに火をつけてしまうと、松明を捨てた。まるで失神したように、彼はそこに突っ立ったまま、沖の方を眺めていた。日はすでに没して、あたりがだんだん薄暗くなってきた。稲むらの火は天をこがした。 山寺では、この火を見て早鐘をつき出した。「火事だ。庄屋さんの家だ」と、村の若い者は、急いで山手へ駆け出した。続いて、老人も、女も、子供も、若者の後を追うように駆け出した。 高台から見下ろしている五兵衛の目には、それが蟻の歩みのように、もどかしく思われた。やっと二十人程の若者が、かけ上がってきた。彼等は、すぐ火を消しにかかろうとする。五兵衛は大声で言った。 「うっちゃっておけ。ーー大変だ。村中の人に来てもらうんだ」 村中の人は、おいおい集まってきた。五兵衛は、後から後から上がってくる老幼男女を一人一人数えた。集まってきた人々は、もえている稲むらと五兵衛の顔とを、代わる代わる見比べた。その時、五兵衛は力いっぱいの声で叫んだ。 「見ろ。やってきたぞ」 たそがれの薄明かりをすかして、五兵衛の指差す方向を一同は見た。遠く海の端に、細い、暗い、一筋の線が見えた。その線は見る見る太くなった。広くなった。非常な速さで押し寄せてきた。 「津波だ」と、誰かが叫んだ。海水が、絶壁のように目の前に迫ったかと思うと、山がのしかかって来たような重さと、百雷の一時に落ちたようなとどろきとをもって、陸にぶつかった。人々は、我を忘れて後ろへ飛びのいた。雲のように山手へ突進してきた水煙の外は何物も見えなかった。人々は、自分などの村の上を荒れ狂って通る白い恐ろしい海を見た。二度三度、村の上を海は進み又退いた。高台では、しばらく何の話し声もなかった。一同は波にえぐりとられてあとかたもなくなった村を、ただあきれて見下ろしていた。稲むらの火は、風にあおられて又もえ上がり、夕やみに包まれたあたりを明るくした。 はじめて我にかえった村人は、この火によって救われたのだと気がつくと、無言のまま五兵衛の前にひざまづいてしまった。 最近知ったかつて小学校の国語読本に採用されていたお話です。昭和12年から昭和22年まで掲載されていたそうですが、今でも十分通用するというか、今こそこういった教材を通じて子供たちに教えていくべきなのではないでしょうか。 ウィキペディアによれば :稲むらの火(いなむらのひ)は、1854年(安政元年)の安政南海地震津波に際して紀伊国広村(現在の和歌山県広川町)で起きた故事をもとにした物語。地震後の津波への警戒と早期避難の重要性、人命救助のための犠牲的精神の発揮を説く。小泉八雲の英語による作品を中井常蔵が翻訳・再話し、かつて国定国語教科書に掲載されていた。主人公・五兵衛のモデルは濱口儀兵衛(梧陵)である。 興味のある方は、調べてみるのも楽しいと思います。 |
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今年も一週間が過ぎましたが、如何お過ごしでしょうか。私は、今日から3連休です。もっとも、どこへ行くでもなく、勉強会の宿題に取り組む3日間になりそうです。 さて、年明け早々政界も賑やか(?)なようですが、本日はそちらの話題ではなく、私の次女が出会った「変なお爺さん」の話をしたいと思います。 実は、私の次女が新年早々に扁桃腺を腫らし高熱で病院に行った時の話です。前日の夕方、のどが痛いと言うのでちょっと見てやると、扁桃腺がパンパンに腫れていました。これは高熱が出るなと思ったので、暮れに同じ症状で病院に行った時にオヤジが貰った薬の残り一回分を飲ませ、翌日は病院に行くように言って寝かせました。 私の家族は、風邪をひいた時には耳鼻科に受診に行きます。私自身が経験的に内科より耳鼻科に行った方が治りが早いと思っているからなんですが、家族全員が影響されているんでしょうね。娘も近くの耳鼻科に行き診察を受けました。暮れの私以上に症状が悪化していたようで、吸入までしてあとは調剤薬局で薬をもらうだけという事で薬局に行き待っていると、娘曰く「胡散臭い爺さん」が隣に座ってきて話しかけてきたそうです。その最初の一言が「あんたは、正月にお参りに行ったかい」だったそうです。日ごろ私が「年寄りは大事にしろ」と言っていますので、娘も胡散臭いと思いつつも邪険にも出来ず「はい、○○神社に行きました。」と答えると「ご利益を貰ったから病気になったんだな。」と言ったそうです。 これに「・・・・・・?」の娘に「俺もお参りに行ったんで、風邪をひくというご利益をもらった。あんたは、彼氏と行ったのか。」と言う爺さんに流石にムッとしたようですが、そこは我慢で「いえ、家族と行きました。」と答えると、「だからご利益を貰うんだ。」と訳の分からない話をする爺さんに耐えながら我慢する娘に続けて話す爺さんの次の言葉。 「ところで、あんたは葬式をどう思うかね。」 「・・・・・・・・?」 「俺は、葬式なんてものは派手なだけで坊主と葬儀屋が儲けるだけのものでしかないと思ってる。あれは無駄だな。」 これには我慢しきれなくなった娘が「ふざけるな爺さん!葬式は派手さを競うものではなく、死んだ人に敬意を表すものだ!」と言い返そうとした時、「○○さん」と呼ばれて薬を受け取り帰ってきたんだそうです。 夜になって、多少体調が回復した時に今日の出来事として話してくれたんですが、娘からのまた聞きでしかないので、このお爺さんがどんな意図を持って話したのかは分かりません。一度話してみたいという欲求が湧きました。 単純に考えるなら正月に神社にお参りに行く事は、ご利益を貰いに行くわけではないでしょうし、葬式は無駄な事ではないはずです。そう思ったからこそ娘も反論しようとしたわけですが、考えようによっては今時の風潮を皮肉ってみただけとも思えます。つまり、今どきの若い子を掴まえてカラかってみただけ、試してみただけとも考えられます。 娘は、「正月にお参りに行くのは、去年一年間の感謝を述べ新年の挨拶をしに行くんだ。」と怒り気味に訴えてもいましたので、「その通りだよ。お前はなにも間違ってはいない。」と言って宥めましたが、娘の記憶には「ふざけるな爺さん!」として残ってしまうのでしょう。 真逆の方向から皮肉交じりに道理を説こうとしたのか、言葉のままの考え方の持ち主なのか、確かめてみたくなりました。道理を説こうとしたのなら、もしかしたら深い話が聞けるのかもしれませんし、言葉のままの考え方の持ち主なら、娘の代わりに「ふざけるな爺さん!」と言ってやりたいですね。 ただ、どちらにせよ、お年寄りが見ず知らずの人間にこんな話をしなければいけない世の中とは・・・と考えさせられる出来事でもあるように感じます。家族に囲まれて幸せに暮らし、子供や孫に道理を説いて慕われているとしたら、こんな話は見ず知らずの人間にはしないだろうと単純に思えてしまうからなんですが、なんか屈折した世の中を垣間見たような気になりました。 考え過ぎですかね・・・・。 本日も稚拙な記事にお付き合いいただきありがとうございます。 |
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皆さんは、もうお雑煮を召しあがったでしょうか。オヤジは、これからです。 さて、2011年・平成23年・皇紀2671年の元日を迎えました。 昨年は、口にするのも憚りたい様な酷い一年でした。今年こそは、よい一年にしたいものだと思います。そのために国民一人一人が何をするかの一年でもあろうと思います。 私個人は、歴史を勉強しなおす一年になるのではないかと思っています。 本日は、めでたい一日という事で、難しい話は止めておきましょう。「一年の計は元旦にあり」と言いますので、一年に一度の朝酒をいただきながら考えることにします。 皆様も良いお正月を過ごされます事をお祈り申し上げます。 つまらないオヤジ 拝 |

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