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わき差しが異様に長く、どんな刀なのか噂になります。 ある大名が政宗公が居眠りをしている時に脇差を抜いてみますと何と竹光です。 「伊達政宗ともあろうものが竹光か。」と言います。 それに気がついた政宗公が「この泰平の世に本物の刀は必要ない。」と言ったとか、実は政宗公の悪戯であったとか、話一つでもいろいろに伝わっています。 これだけの有名人ですから、真実でない事であってもそれらしく伝わっているのでしょう。 昨日の記事で、みそは自信を持って言えるが、納豆と高野豆腐に関しては、らしいとしか言えないと書きましたが、正確には普及させたらしいが正しいようです。この場で訂正いたします。(汗) 政宗公は、戦国時代武将の中でも兵糧の研究に熱心だったようです。 当時の合戦のための兵糧は米と味噌が必需品でした。 味噌に関してはいろいろ工夫する大名もいたようですが、政宗公が作った味噌は画期的でした。 戦国時代には、兵糧といえど軍事機密ですから、公になる事がなかったはずです。 仙台味噌が有名になったのは、文禄の役だったとの説もありますが、当時の居城は岩出山であり仙台の地名は居城を移すときに政宗公自身が付けたものですから、江戸期以降に有名になったとする方が正しいと思います。 当時の味噌というのは、豆味噌と言われる物で麹を使いません。 名古屋周辺で使われる味噌がそれですね。 出来上がりまでに非常に長い時間がかかります。 そこで政宗公は考えたのでしょう。 何とかならんか!(嘘) 当時としては画期的だったのでしょう。 伊達家の江戸下屋敷で家臣のために作り始めた味噌の余剰分を味噌問屋に売ったことから「味と香りが素晴らしい」と江戸で評判となり、各地で麹を使った味噌が普及し始めたそうです。 政宗公の研究の成果が伊達家をより有名にしたという事でしょう。 味噌が大量に作られるようになったのも、政宗公が城下に味噌蔵を作ったことが基になっているようです。 さて、納豆と高野豆腐です。 納豆は渡来説や偶然説があるので政宗公が作ったわけではないですね。 高野豆腐は、江戸時代に高野山のお土産として有名になったようですが、高野山で作られ始めた頃東北地方でも作られていたようです。渡来説もありますが、はっきりしませんね。 江戸時代に有名になったものですから、広く普及していたわけでは無い事は明らかで、兵糧として目を付けた政宗公はさすがです。 う〜〜ん完結しませんね。 情けないですね。 明日もまたです。 狙ってませんけど文章下手ですね。自分のアホさが嫌になります。 |

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