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海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね) 山行かば 草生(くさむ)す屍 大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死なめ かへりみはせじ 私も含め戦後生まれの日本人の多くが、子供のころから時々聴く事はあっても、公の場で歌う事もなく特に気にする事もなく、聞き流してしまう曲なのではないでしょうか。恥ずかしい話ですが、私がこの曲を聴いて、初めて「おやっ・・・」と思ったのが数年前です。 反日や左翼の人たちに言わせれば「軍国主義の歌」とか「天皇に忠誠を誓わせ、国民を戦地に送る歌」などと言われてしまうのでしょう。しかし、この歌の歴史を知れば、そんな底の浅い歌ではない事が分かる筈です。 大伴・佐伯宿禰は、常も云う如く、天皇が朝守り仕え奉る事、顧みなき人等にあれば、、汝たちの祖どもの云い来らく、海ゆかばみづく屍、山ゆかば草むす屍、王のへにこそ死なめ、のどには死なじ、と云い来る人等となも聞し召す。これを以て、遠天皇の御世を始めて今朕が御世に当たりても、内兵(うちのいくさ)と心中(こころのうちの)ことはなもつかわす、云々 聖武天皇が、大仏建立の事業を始められ、その矢先に陸奥の国で金が出たとの奏上があり、詔書が発せられますが、その一節です。この中で引用されている「海ゆかばみづく屍、山ゆかば草むす屍、王のへにこそ死なめ、のどには死なじ」は、大伴・佐伯両家に伝わる家訓ともいうべきものです。古くは、ににぎの命の天孫降臨につき従い、神武天皇の東征では、まさに「海ゆかばみづく屍、山ゆかば草むす屍」となるような活躍をした両家ではありましたが、この当時は藤原氏の台頭により、武門の名家である大伴氏の長である大伴家持ですら地方役人に甘んじる程に衰退している時に、誉め称えられ信頼されている事を知って、どれほど感激した事でしょう。武門の名家である誇りと覚悟を取り戻し、何よりも魂が揺さぶられるほどの事ではなかったかと想像するのです。 「陸奥の国より金を出せる詔書を賀(ことほ)ぐ歌」 葦原の 瑞穂の国を 天下り 知らし召しける 皇祖の 神の命の 御代重ね 天の日嗣と 知らし来る 君の御代御代 敷きませる 四方の国には 山川を 広み厚みと 奉る みつき宝は 数へえず 尽くしもかねつ しかれども 我が大君の 諸人を 誘ひたまひ よきことを 始めたまひて 金かも たしけくあらむと 思ほして 下悩ますに 鶏が鳴く 東の国の 陸奥の 小田なる山に 黄金ありと 申したまへれ 御心を 明らめたまひ 天地の 神相うづなひ 皇祖の 御霊助けて 遠き代に かかりしことを 我が御代に 顕はしてあれば 食す国は 栄えむものと 神ながら 思ほしめして 武士の 八十伴の緒を まつろへの 向けのまにまに 老人も 女童も しが願ふ 心足らひに 撫でたまひ 治めたまへば ここをしも あやに貴み 嬉しけく いよよ思ひて 大伴の 遠つ神祖の その名をば 大久米主と 負ひ持ちて 仕へし官 海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍 大君の 辺にこそ死なめ かへり見は せじと言立て 丈夫の 清きその名を 古よ 今の現に 流さへる 祖の子どもぞ 大伴と 佐伯の氏は 人の祖の 立つる言立て 人の子は 祖の名絶たず 大君に まつろふものと 言ひ継げる 言の官ぞ 梓弓 手に取り持ちて 剣大刀 腰に取り佩き 朝守り 夕の守りに 大君の 御門の守り 我れをおきて 人はあらじと いや立て 思ひし増さる 大君の 御言のさきの聞けば貴み 海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね) 山行かば 草生(くさむ)す屍 大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死なめ かへりみはせじ この歌をすんなり受け入れた戦前の日本人は、本当にすごいと思ってしまいます。高い教養と優れた感性を持っていた事はもちろん、しっかりとした死生観を持ち合わせていたのだろうと思うのです。その日本人の魂を揺さぶり、わしづかみにする精神がこの歌にはあると思います。また、この曲が作曲された昭和12年ごろの日本の状況を考えれば、大君という言葉に日本の国家、歴史、伝統、文化などの全てが託されていたとは感じられないでしょうか。 日本人としての誇り、死生観、魂を戦後この歌を封印する事により、自ら封印してしまったのが日本人なのかもしれないと思います。こう言ってしまえば大袈裟に聞こえるかもしれませんが、「軍国主義の歌」あるいは「暗いイメージが付きまとう」などとして、自らが愛した歌を封印してしまう事こそ、自らの歴史を封印してしまう事なのではないかと考えずにはいられません。 現総理による馬鹿げた談話、河野談話、村山談話のいずれもが、自国の歴史を正しく検証しようともせずに、占領国により植えつけられた「日本は悪」という意識を反日左翼に自虐史という形で利用されている顕著な例であり、今こそ自らの封印を解き放つべき時に来ていると思います。 何か偉そうなことを書いている様な気もしますが、こんな私が「海ゆかば」を歌えるようになったのも割と最近の事で、公の場で歌った事はまだありません。でも、時々口ずさんでみると、日本人の魂に触れられるような気がする事は間違いありません。自分が日本人であることを自覚し誇りに思える歌であると思っていますし、それは「君が代」も同じであると感じています。 高齢者が行方不明であったり、遺体として発見されたりと、何時から日本人はこんなに情けなくなったのかと暗澹たる思いになる訳ですが、日本の歴史・伝統・文化、何よりも日本人の死生観に基づく精神性に目を向けなくなった時にこうなる事は分かっていたのかもしれません。その原因を作ったのが誰であれ、それにぶら下がってしまった日本人にその責任があるという事になると思います。であるのなら、もう一度しっかり目を向け取り戻す事は、日本人として生まれてきた事の大きな義務ではないでしょうか。 明日は、靖国神社に参拝に出かけますが、日本人として生まれて本当によかったと思える一日本人として、先人や英霊の方々に感謝を申し上げてまいりたいと思います。 私の拙い文章を最後までお読みいただき、誠にありがとうございます。m(_ _)m |
教育
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久しぶりに映画を観に行ってきました。何年ぶりになるのか、自分でもよく分かりませんが、これも何年ぶりになるのか忘れてしまった銀座に行ってきました。初日の初回という事で、お客さんはそれほど多く無かったみたいですが、私と同年代かそれ以上と思われる方ばかりで、何となくホッとしました。 何故、初日の初回なのかと言えば、二回目の上映時には、出演者の方々の舞台挨拶が予定されていて、お客さんが多いのではないかと思ったのと、所謂大作映画ではないので、初日はお客さんが少ないだろうし、映画の題材の事を考えると時間経過とともに動員数が増えて行くような気がしたからです。 あっという間に終わってしまったなとというより、場面ごとに頭の中で色々な事を考える映画だったという感じがしました。見る前に思っていた以上に深い作りになっている事も驚きでした。(夏井さん、生意気でごめんなさい。^^;) 内容については詳しく触れませんが、単なる「冤罪」を扱った映画という事ではなく、「人を裁くという事は、同時に自分も裁かれる事」というセリフでドーンと叩き落とされる様な衝撃を受ける場面が出てくる映画と言えば良いのでしょうか。 脚本を書いた夏井さんにお聞きしたわけではありませんが、タイトルの「BOX 袴田事件 命とは」のBOXが引っ掛かっていたのですが、映画を見終わって「なるほど!」と自分なりに納得してしまいました。あくまでも、自分なりの解釈でしかありませんが、BOXのOXの部分は、映画の冒頭で「○」と「×」で表され、裁判での評決をを連想させますし、今の日本の問題点を浮き上がらせているようにも感じました。「○」か「×」で、何でも決めてしまうような風潮を表していたのでしょうか。 BOX自体も、さまざまな場面や空間や時などを意味しているのかも・・・ボクシングのリングであったりもするのでしょう。終盤の場面で考えさせられたのは、BOXにingを付けたら・・・・・あえてingを付けていないのでしょうか。良く分かりませんが、映画は映画で終わりではないと感じました。現在進行系の事件であるという事を忘れてはいけないという事なのでしょうか。時系列を遡り、そこからのスタートとなっている事を考えると、そういう事なのだろうと勝手に納得しています。 映画をご覧になっていない方には、何の事やらと思われるでしょうけど、「冤罪」はこうして作られるという事も良く分かる、オヤジとしてはお勧めの映画です。 |

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札幌地裁に入廷する小林千代美議員陣営の元経理担当、木村美智留被告(左から2番目)=18日午後、札幌市中央区の札幌地裁(大竹直樹撮影) 近現代史教科書に“自虐”記述 神奈川の独自科目、検定の盲点 http://sankei.jp.msn.com/life/education/100524/edc1005240017000-n1.htm > 教科書の使用について法律では、「文部科学大臣の検定を経た教科書用図書を使用しなければならない」(学校教育法)と原則が定めてある。しかし、高校教育では科目設置の多様性から検定教科書がそろわない事態もある。そのため法律では付則で例外的に「高校では検定を経た教科書などがない場合、当該高校の設置者の定めにより他の適切な教科用図書を使用できる」と規定。問題の近現代史の教科書も検定を経ずに生徒に供給できるという。 恐ろしい事を考えるものです。この法律は、全く知りませんでしたが、反日左翼が利用すれば大変な事になるという事のようです。高校の設置者という事ですから、県立なら県知事、市立なら市長、私立なら経営者サイドが決めればよいという事で、やり方によっては自虐史観を拭い去る事も、徹底的に押し付ける事も可能となってしまうのでしょう。 >県教委は会合終了後に教材例を回収。「あくまで、たたき台。今後の編集作業で全体的に修正する可能性がある」としている。 真っ先に感じたのは、姑息だという事です。大騒ぎになる前に、取り敢えず隠しておけという事なんでしょう。 松沢知事とは、どんな人なんでしょう。民主党を離党して知事になったのだと思いますし、石原都知事と仲が良かったような印象もあります。外国人参政権には、反対の立場であったと思うのですが、自虐史観には賛成なんでしょうか。それとも、県教委が汚染されてしまっているだけなのでしょうか。どちらにせよ、こんな近現代史の教科書が使われない様に、保護者の方はしっかり監視してほしいと思います。 「浜教組への警告文書は適切」文科相が支持 教科書不使用指示で 2010.5.18 10:55
横浜市の教職員らで組織する「横浜市教職員組合」(浜教組)が市教委の採択した教科書を使わない「授業マニュアル」の冊子を教職員に配布し、市教委から文書で警告された問題で、川端達夫文部科学相は18日の定例会見で、「市教委が教組に対して適切な文書を出したと聞いている」と述べ、市教委の対応を支持した。
また、浜教組が「マニュアル」冊子配布の際、市教委の公務用配送システム「学校ポスト」を勝手に利用したことについても、川端文科相は「目的外に使用したということは法令というかどうかは別として約束違反であることは間違いない」と批判した。 浜教組は、市教委が昨年8月に採択した自由社発行の「新編 新しい歴史教科書」を批判し、他の教科書や資料だけで授業を展開する例を示す「授業マニュアル」を作成し、教職員1万人以上に配布していた。 これに対して、市教委は、教育委員会が採択した検定教科書使用を義務づけた学校教育法や市規則などに抵触する可能性があるとして警告。文科省も事実確認のため、調査に乗り出していた。 >長田被告は公判で、北教組の政治活動の“正当性”を饒舌(じようぜつ)に語り、弁護側も「教育条件改善のためには政治の力が必要」などと、選挙活動へのこだわりを見せた 日教組の言う政治活動の正当性とは、いったい何を持って正当であると言い張るのでしょう。時間外に学校以外の場所で活動する分には、好きにやればよいと思いますが、勤務時間内外を問わず学校内での活動が正当化できるものなのでしょうか。 教育条件の改善とは、何を指して言っているのでしょう。正直言って、子供たちの為の改善だとは、とても思えませんので、一保護者としては、認める気にもなりません。まして、法を犯すような真似をしておいて、なぜ正当化できるのか、教育者や活動家である前に人としての自覚が足りないのでしょうね。 日教組は、何を理想とし、何を目的としているのか、国民にはっきり説明しては如何でしょう。受け入れる人は、そんなに多くはないと思いますが、隠して姑息な活動ばかりしている姿を「卑怯」と言われて返す言葉があるのでしょうか。 |
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ガ島に到着した夏井さんたちはジャングルという悪路の中、
脱水や疲労を堪えて、英霊たちの元に歩み続けました。
そして、レレイから約20km進んだタンボイといわれる地点に到着します。
ここは日本軍が野営していた場所であり、ここで御遺骨の捜索をしました。
御遺骨二柱を発見。大切に拾骨させて頂きました。
ここで野営をし、蚊や疲労、空腹のまま翌朝を迎えて、さらに捜索を始めました。
すると次々に残砲弾が発見されました。
遺骨収集の前に、まずこの砲弾を処理しなければ危険です。
残砲弾を確認すると150個以上もありました。
この砲弾の数は夏井さんや先生、そして現地サポートメンバーの計7名では
とても処理しきれる数ではありません。
ましてや、この険しく足元の悪い密林の中を運ぶとしても1人2個が手一杯です。
先ず自分たちで爆破処理出来る数、
そして地元の治安警察へ届けるためレレイへ持ち帰る数を決めました。
そして、生徒たちをなるべく砲弾に近づけないように爆破処理をはじめました。
確実な方法は「焼き払い」という方法です。
爆破場所は山火事など起きないように充分に注意しながら河原で行いました。
井桁に火が付き、200mほど川下に離れた生徒たちとトランシーバーで連絡を取りながら、
いよいよ夏井さんの手で行います。
この砲弾は67年もの時を経て、計6個を昇天させました。
生徒たちはテレビや映画でしか見たことのないようなこのリアルな状況でしょうが、
ここに人間の業の縮図とかつての先人達が命がけで戦った現実を
この爆破の轟音と火柱に見たのです。
しかも、彼らの目の前で爆破処理している夏井さんの行動は、
いつ自分の手元で爆発してしまうかわからないという状況にもかかわらず、
寡黙に爆破処理をしているのだ。
この身の危険をも顧みない行動を見ているうちに、
言い知れぬ感動が湧き上がり、生徒たちは自然に涙が溢れていました。
・・・・・・
その後、御遺骨2柱と、残砲弾19個を2班に分かれてレレイ村へ引き帰し、
慰霊法要を翌日に控えた夜のことでした。
生徒のうち二人が夏井さんと講師のもとに来て、いきなり涙を流しながら土下座した。
夏井さんと教師の担当している残砲弾処理を見ながら
「たまらなくなった」と言いはじめたのです。
「私にもやらせて下さい。この手で、砲弾を慰霊台に上げるまでですが、
それだけでもやらせて下さい!」
夏井さんは生徒の赤く腫らした目を見ながら、
「その命の言葉、嘘はないな。
分かった。
しかし、もう一度だけ、日本のお父さん、お母さん、娘さん等の顔を思い浮かべなさい。
そして、もう一晩、考えなさい。それで、考えが変わらなければ、な」
彼らは深く頷き、真っ直ぐ夏井さんの目を見つめたまま涙も拭きません。
夏井さんはこの時のことを、
「この二名が素晴らしくて、他の四名はだらしないのでは決してありません。
中には、『正直、爆破処理する夏井さんや先生の姿を見て、また爆破の瞬間を見て、
怖くなりました。出発する成田までは、自分も命を懸けられると思っていました。
しかし・・・自分でもパニックになりそうでした。
しかし、こんな気持ちでいるのに、勢いだけで砲弾に近づくなんて、
逆に英霊の方々に失礼になると思うのです。まだまだ精進を重ねなくては、
まだ自分には出来ないことが分かったのです』と申し出た生徒もおります。
全員がそれぞれの自分自身の命に真正面から向き合ったのです。
結果が問題なのではありません。この姿勢こそが最も重要なのです」
そして、慰霊法要の日。
自らの手で拾い上げた御遺骨と砲弾を慰霊台の上に運び安置しました。
砲弾を運ぶことを申し出た二人は真剣に、そして慎重に運びました。
彼らの頬には自分でもなぜ泣いているのか言葉では説明できない涙が流れていた。
そして英霊達が戦ったこのガダルカナル島に、
彼らの若い僧侶たちの世界平和を願った渾身のお経が響き渡ったのです。
「この命の輝きはきっと次の世代へ受け継がれる。
これこそが我が国に必要な輝きであるに違いない」
と夏井さんはお経を聞きながら確信しました。
困難に継ぐ困難。密林の悪路に継ぐ悪路。
そして過酷な暑さと身体を酷使した疲労と脱水状態で何もかもが限界に達していました。
しかし、この島で戦われた英霊の方々の大変さはこんなものじゃない。
我々が住む日本という国を護るために、これ以上の過酷な状況下で敵国と戦い、
空腹の限界を超えて餓死し、マラリアなどにもやられながらも戦われたのだ。
どれほど苦しかっただろう、辛かっただろう。
食べるものもなく、待てども来ない救援。
その英霊たちの声なき声が一番つらい・・・。
英霊たちには比べるべくもないが、これがどれほど辛いか、短い期間でも体験できた。
何でも揃っている現代の豊かな日本を離れ、不便で気候も環境もすべてが違う島に来て、
彼らに真の心が芽生え始めたのです。
そしてそれを引き出した夏井さん。
彼らは声なき英霊たちへお経を捧げながら、いつの間にか目には涙があふれ、
ついには涙が流れ落ちたまま、それでも無心になってお経を読み続けていた。
そんな彼らの姿に、夏井さんもついには男泣きに泣いてしまった。
毎日彼らの様子を見ていた現地の年寄りたちは
ガ島で戦った日本の兵隊たちをも知っていました。
死を恐れずに勇敢に立ち向かって行った日本の兵隊さんたちを今も尊敬しているという。
そして、七度もこの島にやって来て、死をも恐れぬ夏井さんのその姿に、
昔の大和魂の日本の兵隊を重ね合わせて「ナツイは日本の軍人だ」
と誇らしげに言ってきた。
・・・・・・
今回、自らの手による爆破処理6個、残砲弾19個を回収しソロモン自治警察隊へ届け、
そして御遺骨2柱を発見回収して厚生労働省へ届けました。
全7回の活動で御遺骨回収5柱、残砲弾処理148個です。
しかし、まだ残された砲弾で今現在も、現地の方々の命が脅かされていることは、
日本の国民の皆様が、忘れずに知っておかなければなりません。
自分のことばかりではなく、先人を敬い、他人を思いやる日本の心を取り戻したい。
・・・・・・
夏井さんの心の歌は前回ご紹介した「さすらい」と
もう一つ、この「昭和維新の歌」もガダルカナル島で歌っていたそうです。
現状の政治の悪さや国家衰退を憂う人は、今一度この歌詞をかみしめられたい。
・・・・・・・・・・・・
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栃木県とほぼ同じ大きさの島、ガダルカナルは単なる島の名前ではありません。
それは帝国陸軍の墓地の名です。
ここで最強といわれた帝国日本が陸戦においてはじめてアメリカに敗れました。
大東亜戦争において連戦連勝の日本はここから血のページを染めていくことになります。
ミッドウェー海戦で帝国海軍が敗北し、
このガダルカナル島(ガ島)において帝国陸軍の敗北が刻まれました。
これを失って以降、日本は大勢日々に傾くことになり、
まさに日米勝敗の天王山と称すべき6ヶ月にわたる激闘が、ここガ島でありました。
一木支隊、川口支隊、第二師団、第三十八師団の兵力が次々投入され、
その合計は約三万二千名に達しました。
そのうち戦死が一万四千五百五十名、
戦病死が四千三百名、
行方不明が二千三百五十名、の計二万二千名を失い、
残る一万名は廃疾者同様に衰弱したまま、かろうじて帰還するという全滅的敗戦でした。
第八方面軍司令官の今村均中将は、
引き揚げ兵団を直ちにショートランド島に見舞って、驚愕しました。
起立して報告できる将校はほとんどなく、
今村中将の慰労の片言を聞いただけで声を上げて泣き、
これが最強を誇る帝国陸軍の軍人とは信じ難い、
魂の抜けた幽霊と化しているのにびっくりしました。
今村中将は戦場で涙を見せるのは禁じられているため、室外に飛び出して涙をこらえた。
島から撤退してきた1万名も、もはや軍人ではなかった。
陸軍だけがガダルカナル島に墓を掘ったわけではありません。
犠牲の量は海軍も多く、前後6回の海戦がその周囲で戦われ、
戦艦霧島、比叡以下二十四隻、十三万五千トンが失われました。
海軍航空隊の犠牲も多く、ガ島戦六ヵ月で八百九十三機が失われ、
搭乗員の死者は二千三百六十二名にものぼり、
機数の損傷も当時の連合艦隊にとっては耐え難いが、
百戦錬磨の戦士二千三百四名を失ったことは対米空戦を戦ううえに大きな打撃でした。
これこそガ島が陸軍の墓地であるばかりではなく、海軍合わせた共同墓地であったと言われるゆえんです。
島の飛行場の奪還が目的であったガ島。
このジャングルの中に、あるいは草原に、または海辺に、鉄兜を冠ったままの白骨が、
傍らに剣銃を擬して、ルンガ飛行場の方向に向かって横たわっている光景が想像される。
・・・・・・・・・
富士山の麓にて「雨やどり」と称し、半自給自足の生活をしながら様々なボランティア活動を行っている夏井辰徳さん。
この夏井さんがガ島に行くことになったきっかけは思わぬことからでした・・・。
今から数十年前、当時、夏井さんは地雷というものに対し大きな憤りを持っていた頃、
たまたま「朝まで生テレビ」を見ていると、
何!
と思った。
それはテレビの中で議員になる前のピースボートの活動家 辻元清美が、
口角泡を飛ばして自民党議員たちに対して畳み掛けていた。
「あなたたちはガダルカナル島で多くの残砲弾で現地の人たちが今も被害にあっていることを知っているか?」
「私は現地に行ってそれを見てきたんだ。あなた達は現状を知っているのか?」
それに対して絶句するばかりの自民党議員たち。
夏井さんは言われっぱなしの自民党議員たちも情けないが、自分自身もこう思った。
「自分も人の事は言えない。そんな現状が本当にあるのか・・・」
その日のうちに夏井さんは問い質すべく、辻元のピースボートの事務所を訪ねました。
「今朝のテレビを見たが、そのことを聞きに来た」
辻元本人は不在で、辻元と同行した者が出てきました。
夏井さんはその者にテレビでの事実確認をした後、
「ガ島には旧日本軍や連合軍の砲弾が今も取り残され、
それが不意に爆発して現地の人々を殺傷し苦しめているという。
その状況を見て如何されたんですか?」
考えてもいないことを聞かれて相手は驚いた。
「・・・。遺憾に思いますが・・・。 結果、何もしていません」
「遺憾に思うのは、そりゃ当然だ。現地のあの状況を知っていてそのままか?
いえ、本当の歴史というものを誰も教えてくれないのなら自分たちで足を運び、学び、
それを以降どのように生かすかは各々に委ねるということが、この団体の主旨であることは理解しています。では、●●さん、あなた個人としてそうした現状に対しどう思うのですか?何かされたんですか?」
「・・・。」
「一人の日本人として、一人の人間として、どう思われますか?」
「・・・・」
言葉が返ってこなかった。
あの状況を見てそのままか? 遺憾? それで終わりか?
「貴様は日本人として、現地の方々が亡くなっているその状況を知っておきながら・・・遺憾の一言か・・・」
腹に据えかねた夏井さんはすぐに首相官邸、外務省、防衛庁、厚生省のそれぞれにも電話して
「ガ島はこのような状況ですが、知っていましたか? 国として対応はしないのか」
それに対して一様に、
「把握していません。それよりも日本政府としては“戦後処理”は終わっていますから」
何?
“戦後処理”? それは銭金を指す。
現地に遺骨はいまだ帰還せず、残砲弾もそのままで、
現地ではどんどん被害が出ているじゃないか。
お金さえ払えばそれで全てが終わりか、・・・。
ピースボートで既に憤りの火が点いていたところに加え、
こうした日本の役人の対応に、夏井さんの行動に最早、躊躇はありませんでした。
「日本人としての大いなる悲しみと憤り」この一念でした。
国がやらないなら俺がやる!
これが夏井さんがガ島に行くきっかけでした。
・・・・・・
「日本の現状を見向きもせずに、平和だと言って、
自己中心で自分勝手で行き過ぎた個人主義が横行している日本人を憂い、
日本人としての、人間としての誇りを取り戻し、再生すべく、
微力ながらも自らの命を賭けてでも、砲弾処理と遺骨収集を行う」
夏井さんはそう決めた。 決めたら行動あるのみ。
夏井さんは昨年まで計六回、ガダルカナル島に行きました。
そして、今年も(平成22年3月6日)7度目のガ島へ向かいます。行程は1週間。
日蓮宗・身延山大学の講師1名と生徒6名が一緒に行くことになりました。
学長・宮川了篤上人より
「この堕落した宗教界において、命懸けで事を成すということは如何なることか。
それを夏井さん、是非、生徒等に見せて欲しい」
とお願いされてのことでした。
夏井さんは言う。
「基本的には私が残砲弾処理を担当し、その姿を見ながら他メンバーが遺骨収集。
この活動は最大の要である『命と銭はてめぇ持ち』という前提です。
費用は生徒自ら寒行を行い賄いました」
先人達の遺骨収集というと正義感ある行動ですが、言うほど生ぬるいものではない。
残砲弾がいつ爆発するかも知れないところに、全くの素人が行くのです。
「死ぬかも知れない」
この言葉はいつも頭によぎっていたはずです。
まして現地では昨年も9人の方が死傷していました。
更に夏井さんは自身の命の他、7名の命までも背負っているのです。
「御遺骨収集には、先ず御遺骨がどのような場所にあるのかを把握せねばなりません。
英霊となられた方々は祖国日本を思い、最後の最後まで戦う気持ちでいたんです。
だから砲弾がいつでも撃てるように準備されてあるんです。
その砲弾のそばに眠っておられるんです」
僧侶の卵と言われても、現代に生きる日本の若者達にこの覚悟が出来るのか。
この覚悟を決するまでにやはり若者たちは数ヶ月の時間が必要でした。
・・・・・・
そして、いよいよガダルカナル島へ向かった・・・。
現地ガダルカナル島へ到着し、活動拠点となるレレイ村へ入りました。
夏井さんと共に命懸けの活動をサポートしてくれる現地の方々も決まり、
いざ英霊が眠るジャングルへ出発しました。
しかしジャングルの中です。次々に続く悪路。
大雨、強烈な日射、蚊、脱水症状等に苦しみながら、英霊の方々の元へ進みます。
半日で悪路に足を取られた一人の生徒が崖のようなところから10mほど転げ落ち捻挫しました。
これでは数日のジャングルは無理です。
レレイへ戻し、夏井さんたちが戻るまで村で御経を上げることにしました。
山越えが最も難関とされる険しい道。
ここを先輩である旧日本軍は行軍した後、餓死していった「白骨街道」と呼ばれる丸山道です。
次々にメンバーが転げ落ちたり、過度の疲労で動けなくなったりしました。・・・
・・・・・・
ブログ友の夏井さんにこんなことを聞いてみました。
「ガ島で苦しい時につい口ずさんだりした歌がありますか?」
「心で口ずさんでいた歌があります」
と言って教えてくれたのが「さすらい」です。
おっと!小林旭。
私はつい唸ってしまいました。
この「さすらい」の元々の曲は「ギハロの浜辺」という曲で、
かつて大東亜戦争中にフィリピンのルソン島に駐屯していた日本兵士たちに歌われた歌です。
このギハロというのはルソン島にある地名です。
この歌はニューギニア方面の兵士たちも歌って日本をしのんでいたという。
きっとガダルカナル島でも歌っていたかもしれません。・・・
夏井さんはこの曲の二番が気に入っているという。
知らぬ他国を流れ流れて
過ぎて行くのさ 夜風のように
恋に生きたら楽しかろうが
どうせ死ぬまで ひとりひとりぼっちさ ・・・
恋して自分の快楽を求めて思うように生きていれば楽しいだろうが、
それよりも大義のために生きることを選ぶ。
ガダルカナル島という遠い島での夏井さんの心境が現われている。・・・
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