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昨日は、PTA総会がありまして、初めて参加いたしました。 ほぼ、役員ばかりで約40名程度の参加者と生徒数に比べて異常に少なく、役員への選出予定者も前年からそのままの様で、形式だけの集まりという感は否めない状態でした。 意見を言う人も無く、拍手で即決状態の総会なんてあまり意味がないようにも思うのですが、会社の会議なら突っ込みどころ満載です。 余り突っ込みを入れても、校長や副校長もいるので、子供の事を考えるとほどほどにしないといけないと思いつつ、予算の承認についての質問コーナーで挙手しました。 事前に渡された資料で一番気になっていたのが、P連関連の予算です。 なぜかP連関連だけで全体の1割を超えています。 P連の会長の使い込みなんて事件もあったりもしていましたから、ここは一番の突っ込みどころであろうと待ち構えていたわけです。 「○年○組の○○です。予算を見るとP連関連の予算が異様に多いように感じますが、一般父兄にはその活動状況や活動の実態というものが全くと言って良いほど伝わってきませんが、これほどの予算を計上するほどの必然性があるのか、ご説明願います。」 女性の役員が説明を始めたのですが、全くのピント外れで質問の意味を理解していません。 だいたい、活動内容など報告された事もありませんので、毎年参加してるからと言われても意味がないのですが、解らないようです。 「参加する事が、恒例になっているからという答えを聞きたいのではなく、参加する事にどのような必然性があるのかを聞いています。」 PTA会長が、蚊が囁くような声で長々と説明を始めました。 要は、高校単体のPTAでは、意見として弱いので上部組織を設ける事で都道府県や文科省に意見を言い易くする為にP連に参加するという事らしいのですが、だから組織が肥大化して腐り易くなるのかもしれません。 「寄らば大樹の陰」なんでしょうが、大樹ほど中が腐っている事も多いでしょうね。 困った事があったら、P連頼みという事らしいです。 ここで突っ込むと話が長くなるし、PTAの存在意義の否定にも繋がるので其処は意図するものでもないと思い、それ以上の突っ込みは止めました。 「我々一般父兄には、活動内容が見えてこないので、活動実績や活動内容がもっと分かる形での報告をお願いします。」 もう一点質問してみましたが、答えが甘いなと思うと同時に何かあったら慌てるなと思いつつ、飽きてしまったので「わかりました。」とお返事して。総会終了となりました。 多分、有名人になったことは間違いないでしょうね。 副校長は、覗き込むようにして私の顔を見ていましたので、煩いオヤジがいることは認識したかもしれません。 家に戻りまして、次女と総会の様子について話をしているうちに、生徒の出席日数の話になったのですが、新学期になってすでに出席日数が不足気味の生徒がいるというのです。 私個人としては、行きたくなければ辞めれば良いと思うのですが、こういった生徒の親に限って「高校ぐらいは出ないと・・・・。」と言うのでしょう。 「高校ぐらい」って、なんでしょうか。 公立の高校に限って言うのなら、「授業料」だけで高校が運営されているわけではなく、我々の税金も使われているのだから、やる気が無く漠然と高校に通うなら辞めてしまえ!と言いたいのです。 税金が使われている事を正しく理解していない親ほど、漠然と学校に行かせているのではないでしょうか。 つまらないオヤジの家では、受験の前に「なぜ、学校に行きたいのか。」と、質問をします。 その後に高校であっても税金が使われるのだから、サボル事は許さない旨言い渡します。 子供が少ないなら学校の数を減らして狭き門にしても良いと思います。 高校に行きたいと本気で考える子供のための学校であるべきです。 裏を返せば、PTA総会に少数の父兄しか集まらないのも親の意識の低さなのかもしれません。 昨年は、妻に参加させたのですが、どうも内容が見えてこないので初参加してみたのですが、小中学校 のPTAよりも身近に感じない無いのが高校のPTAです。 こんな学校ばかりではないかもしれませんが、親が子供に関心がないのかと疑問に思ってしまいました。 親なら子供に関心があって当たり前、授業料以外に税金が使われている事も正しく認識しているのなら、親の高校に対する認識ももっと違うものになると思うのです。 私は、自分の子供には常日頃言っていますが、「学校に行きたくなければ行かなくて良い。その分の税金がほかに使える。」と、親はこのぐらいの事は言っても良い筈です。 親でなくても納税者なら同じ事を言って良いのではないでしょうか。 学校をさぼって遊んでいる高校生など、黙って見過ごす必要はありません。 「甘ったれるな!」と言ってやりましょう。 彼らもある意味「税金泥棒」です。 |
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つまらないオヤジの子供は、二人でどちらも女子でして、良くも悪くも兎に角大きくなりました。 仕事の都合で6年間単身赴任でしたが、その間の子育ては妻に任せっきりで、およそ偉そうな事が言える立場では無いのですが、それでも曲がる事無く何とか長女は就職し、次女は高校生活を楽しんでいるようです。 彼女達がよく言う台詞に「お父さんは、そんなにグウタラしていて良く給料が貰えるね。」というのがあります。 余り大きな声では言えませんが、家にいる時のオヤジは世間様に自慢の出来るような人間ではございません。 其の姿を見て育ったせいなのか、長女は「干物女」的な正確をしています。 今ちょうど日テレで夕方再放送のドラマを見ていますが、其の主人公がなんとも我が娘そのものの様に見えて噴出してしまいます。 勿論、容姿の話では無く、性格が似ているというだけなんですが、良くこんなんで社会人として生活できるものだと複雑な心境でもあります。 余り娘の事を記事にすると、「いい加減にしろ!」と娘の厳しい視線が飛んでくるかもしれませんが、恋愛経験ゼロの我が娘は、「孫の顔は諦めてね。」と、事ある度に言います。 種の保存という大きな命題はともかく、オヤジの楽しみはどうなるのかと問いただしたいところではありますが、以前の娘の事を考えればマシになったと思わざるを得ません。 学生時代に就職活動を始めるに当たり、ゼミで面接の練習をしたそうですが、「あなたは動物に喩えると何ですか。」という質問に対し「ナメクジ」と、即答したそうで家族で大笑いした事があります。 それほどに自分に自信の無い子でしたが、最近は様子も変わってきたように感じられ、ホッとしています。 親バカオヤジとしては、娘の成長が気にもなり楽しくもあります。 殺人容疑での再逮捕は見送りに 西淀川女児遺棄 祖母は悔し涙 5月21日21時7分配信 産経新聞 大阪市西淀川区の市立佃西小4年、松本聖香さん(9)の遺体が奈良市内の山中に遺棄された事件で、西淀川署捜査本部は21日、保護責任者遺棄致死容疑で、母親の松本美奈(34)と内縁の夫、小林康浩(38)の両被告=ともに死体遺棄罪で起訴=を再逮捕したものの、殺人容疑での再逮捕は見送られた。 聖香さんの祖母、佐光真佐子さん(59)は「誰が見ても聖香は、なぶり殺しにされてるやんか」と違和感を口にした。家庭内で起きる虐待は殺意の立証が難しく、傷害致死や保護責任者遺棄致死で立件されるケースが少なくない。真佐子さんは「虐待行為そのものを取り締まり、もっと厳しい罰を与える法律があれば」と悔し涙を流した。 聖香さんは長期間にわたり小林容疑者からしつような虐待を受け、松本容疑者はそれを黙認した。真佐子さんは「大好きなお母さんに助けてもらえなかった聖香の気持ちを思うと胸が締めつけられる」と話す。 真佐子さんは事件を通じ、虐待は無抵抗の子供を親が痛めつける最も残酷な犯罪と考えるようになった。殺人の量刑の最高は死刑だが、保護責任者遺棄致死は20年以下の懲役。真佐子さんは「罪の重さが違いすぎる。再発を防ぐためにも虐待行為そのものを罰する法律が必要」と訴えた。 このような事件が最近は多いようですが、人間としてというより親として憤りを感じ、哀しさを覚えます。 なぜ、子供を死なせねばならなかったんでしょう。 私は、理解できませんし、理解しようとも思いません。 ただひとつ言える事があるとすれば、「甘えすぎだろう」でしょうか。 母親である前に女でいたかったんでしょうね。 自分自身に対する甘えが、このような結果になったのではないかと推察するのです。 昔のように新生児の生存率が低かった時には「橋の袂にいったん捨てて、拾ってくると丈夫に育つ」などという迷信もあったようで、私の父親は「お前は、橋の袂から拾ってきた。」とよく言っていたものです。あんまり繰り返し言われるもので「僕は拾われてきたの。」と母親に聞いて母親に大笑いされた事もありました。 この迷信で有名な人と言えば、豊臣秀吉ですかね。 時の権力者でありながら、晩年に出来た我が子に迷信通りの事をしたとも言われていて、「棄」「拾丸」とそれぞれに幼名をつけたほどです。 それほどまでにしてでも、無事に我が子が育つようにと願うのが親というものだと思うのですが、この親は違ったようです。 敢えて優先順位という言葉を使わせて貰えば、彼女は自分を優先し子供の命を二の次にしたという事なのでしょう。 「子供は親の背中を見て育つ」と言いますが、亡くなったお子さんは、この母親の背中をどの様に見ていたのでしょう。 憤り、悲しみ、哀しさだけでは言い表す事の出来ない、現代の日本人を考えさせられる事件であると断じておきたいと思います。 それにしても、我が娘達は、私の背中をどの様に見ているのか、ちょっと気になるところです。−−;) |
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私が「バトルオブブリテン」と言う映画を見たのはTVでしたが、兎に角長い映画で子供ながらに「これじゃドイツは負けるわな」と思わされました。 指揮官の視野の違いが、こうもはっきり出るものかと当時中学生でも解かるような内容でした。 さて、話はまるっきり変わりますが、以前揉めた若者が再び登場しました。 連日寝不足が続いていましたので、今日こそは時間通りに寝ようとしますと、表から若者の大きな笑い声が響いてまいります。 面倒くさいので暫らく様子を覗っていましたが、一向に静かになる気配が無いので窓を開けますと、黒のBMWの中で窓を全開にして若者が何やら話しています。 しょうがないので注意する為に外へ出まして助手席側から中を覗くと、この間の若者の片割れではないですか。 「うるさいんだけど、静かにしてくれないか。」と言いますと、「またお前か。」です。 (それはこっちの台詞だ。) 「だいたい路地を塞いで、駐車するとは迷惑になるとは思わないのか。」と言いますと、「こいつ頭おかしいんだ。」と運転席の若者に話しかけます。 (それもこっちの台詞だ。) するとおもむろに運転席の若者が車外に出てきまして、「うるせえんだよ。しばくぞ!」と、恫喝してきましたので、「しばくって何だ。」と惚けてみました。 彼は、私の至近距離(約30センチ)まで近づき、「しばくぞ!」と言い放ちますので、再び「しばくって何。」と、彼は「・・・・・・・」(説明できないらしい)「ぶっ飛ばす!」(言葉を変えた。) これは幸いかと思い両手を後ろに回し「どうぞ、やりなさい。」この一言に切れたようで、彼の顔が急接近してまいりまして、可愛い女の子ならそこでキスしてしまうところですが、流石に男ではその気にもなりません。 「ぶっ飛ばすって言ってんだ!」と言いますので「だから、どうぞと言ってるだろう。」と言いますと、恫喝が効かないとみて屁理屈攻撃が始まりました。 「お前達は迷惑を掛けてなんとも思わないのか。} 「誰が迷惑してるんだ。」 「この辺ではみんな迷惑している。」 「だったら連れて来い。」 などとやり取りしているうちに「お前ら貧乏人と違ってこっちは金持ちなんだ。金持ちは、何やっても平気なんだよ!」(確かに金持ちの坊やには見える。) 「おかしな事を言うんだな。お前は日本人か。」と思わず言ってしまいました。 実は、ニ十数年前に同じ台詞を聞いた事がありまして、其の時の私は在日の人間に使われていたわけですが、当時の私はある意味お花畑的思考の持ち主で「こちらが偏見を持たなければ、どんな相手も解かり合える」などと思っていたのですが、この台詞を聞いた途端に自分自身がどれほどお気楽に生きてきたかを痛切に感じたものです。 「国籍は日本人だよ。気に入らなきゃ、警察でも何でも呼んでみろ!」 「解かった。そこを動くな!」 大人気無いかなとは思いましたが、タバコの煙は吹きかける、ポイ捨てはする、それを注意すると吸殻を排水溝のふたの穴に入れる、それを注意すると「中に入って見えないから何も言えないだろう。」などという其の態度に(これでは埒が明かない)と思い、妻に警察に通報するように伝え戻りました。 彼らは3人で、車の窓を閉め「頭のおかしい奴。」などの暴言吐き大笑いしていましたので、聞こえないかとも思いましたが、車外から静かに説教を垂れていると、2人が出てきまして「早く警察呼べよ。」と言います。 「呼んだから待ってろ。」と言うと「本当に呼んだのか。おっせいな。」などと、言いたい放題です。 近所のオバサンも出てきてなにやら言い始めましたが、効果無しでオバサンは退散。 ふと気が付くと一人が、車に乗り込み異動しようとしますので、車の前に立ち「動くな!」と言いますと、もう一人が「轢くぞ!」と言いますので「轢いてみろ!」 そうこうしている内に警官がやってまいりましたが、駐車禁止では捕まえられず、勝ち誇る若者を無視して、警官に事の経緯を伝えますが、取り締まる手段が無いとの事です。 「警察官は、市民の安全を守るのが役目ではないか。」と詰め寄りましたが、それ以上に話は進まず、今度は若者達に事情を聞きに行きます。 彼らの声が聞こえたのですが「言いがかりを付けられて困っているのはこっちだ!」そうです。 警察官が再びこちらに来ましたので「あなたは、彼らが注意しただけで反省すると思いますか。」と、訪ねてみました。 「其の時は、すいませんと言うでしょうが、また繰り返すでしょうね。彼らの話を聞いても〇〇さんの仰る通りの事情だとは思いますが、注意する以外には方法がありません。」 「それでは、我々は揉め事を避ける為に見て見ぬフリをせよという事ですか。」 「そういう事ではないのですが、我々が憧れて入った頃の警察ではないのですよ。」 (あっ、そういう事ですか。真面目なばかりにご苦労されているのですね。) 「では、しっかり注意してください。」 「ハイ、きちんと注意しておきます。」 定年に限りなく近そうな警察官ですが、憧れて入った警察の変貌振りに落胆もしているのでしょうね。 結局、若者達が警察官の注意に反感を示しながらも解散するまで、30分以上かかったと思いますが、完全に寝不足です。 彼らは、自分で言うようにお金持ちの子息なのでしょう。 二十歳前後でBMWを乗り回し、それなりに綺麗な格好もしています。 でも、彼らは「羽虫」なのだと思いました。 親はそれなりに金持ちなんでしょう。 だからと言って、彼らが金持ちな訳ではありません。 鷹の背中に巣食う「羽虫」が自分は一番強いと勘違いするように、彼らもまた勘違いしているのです。 其の勘違いを正すべきは、親の責任であるはずですが、彼らの親は愚か者なのでしょう。 「金持ちは、何をしても平気だ。」と、行動または口頭で教えたのでしょう。 それがどんなに哀れな人間を育てる事になるかも考えずにです。 彼らは、自分の口で「俺達は、親元を離れたら何も出来ない人間だ。」と、公言しているに等しい事に気が付いてもいません。 定職に就いている様には見えませんでしたので、親の金で遊んでいるのか、学校に行っているのかもしれませんが、どちらにせよ久しぶりに「親の顔が見てみたい。」と、本気で思いました。 こんな若者ばかりなら、遠からず日本は滅びるでしょうね。 彼らに理屈は通じません。 彼らの理屈は「自分」だからです。 最近の若者は、心が病んでいるように感じていまして、彼らも其の類かとも思いましたが、彼らはまったく違う人種ですね。 感覚が麻痺した連中なのでしょう。 彼らは、感覚が麻痺している事にも気がつかず、やがて大きな過ちを起こす事になるかもしれません。 それでも彼らが反省する事は無いかもしれません。 指揮官(親)が、其の指揮を間違えると、犠牲になるのは兵(子供)です。 彼らのような若者が増えないように、大人が頑張らねばならないのでしょうが、オヤジは少し疲れました。^^;) 少しだけ休憩して、また頑張ります。 私の娘が、介護の仕事に就いて2ヶ月目になります。 毎月レポートのようなものを書くらしいのですが、今月のを見てオヤジはウルウルしそうになりました。 親ばかオヤジの娘自慢になりそうなので、今日は止めておきます。^^;) 怖くないのかなんて質問は無しですよ。
まったく怖くないと言ったら嘘ですが、「死ぬ時は死ぬ」が、私の父からの教えです。 |
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『百鬼夜行絵巻』 作者不詳(室町時代) 昨日TVを見ていましたら、「医療費未払い」について特集をしていました。 この問題については、以前から議論されていた様に思うのですが、今更ながらに問題の本質に迫りきれない番組になんとも消化不良の感は否めませんでした。 私が思うにこの問題の本質を理解する為には、さまざまな角度からの検証が必要であり、10分や20分の枠の中には入りきらないだろうなという事です。 でも、もし一言で言い表すなら「甘えすぎ」でしょうか。 医療費の未払いには、さまざまな理由があると思います。 1.分納中または分納の交渉中 2.生活に困っており、自己負担分の医療費を支払う資力がない 3.第三者行為により支払い方法が未決定 4.支払う資力はあるが元々支払う意思がない 5.回収の働きかけをしていない為、理由がわからない 2に関しては、行政の問題を考えるべきでしょうが、4に関してはまったくの問題外でしょう。 悪質なものとして、以下のようなケースがあります。 虚偽の名前や住所による受診 受診後に患者が転居 故意による時間外の受診 故意による救急外来の受診 病院へのクレーム等 家族による年金等の流用 どう見ても確信犯です。 家族による年金の流用など、理由の如何に関わらず、「人としてどうなのか」と聞いてみたくなります。 病院へのクレーム等の中には、医療費の滞納を繰り返した挙句、患者が死亡したのは病院の責任であるとして、慰謝料や損害賠償を請求するケースもあるそうで、まさに「恥知らず」という言葉しか思いつきません。 民間の病院で未払いを繰り返した挙句、公立の病院でも未払いを繰り返し、「税金で運営されているのだから、医療費を支払う必要は無い。」と開き直る輩も少なく無いといいます。 結果、運営の立ち行かない公立病院が増え、閉鎖に追い込まれる原因にもなっています。 我々素人は、金を払わないのなら診療を拒否すれば良いなどと単純に考えてしまうのですが、それが出来ない法律の縛りがあります。 昭和24年に出来たものだそうで、「医は仁術」と言われた名残りのある時代の事でしょうね。 今の時代に適応しているとは、とても思えませんが、それでも「医は仁術」であって欲しいと秘かに望む頭の古いオヤジは、否定し切れません。 確信犯的医療費未払い者は、この辺を利用しているとしか思えません。 病気であれば、例え医療費の未払い者であっても断ることが出来ない制度を悪用していると言っても、あながち言い過ぎではないと思います。 医療費の未払いは、年々増加しているそうですが、天に唾する行為とは思わないのでしょうか。 何れは自分に帰ってくる、恥ずべき行為である事が解からなくなっているのでしょう。 勝手な理由を付けては未払いを繰り返す事が、医療そのものの財政を圧迫し、医療現場を苦しめている現実、医者や看護師に払う人件費を賄う事も出来ず医者や看護師を減らしていく原因の一部ともなっている事、行政に何かを求めるだけで良いのでしょうか。 給食費、保育園の保育費、そして医療費、いったい日本人はどうしてしまったのか、誇りある民族ではなかったのか、嘆かわしい事です。 義務と責任には、目をつぶり権利ばかりを主張する恥知らずな民族に成り下がってしまったのでしょうか。 ネットで「医療費未払い」を検索すると驚くほどヒットしますが、「外国人」と前に付いているものが目立ちます。 外国人による医療費の未払いは深刻な問題であるようですが、彼らを問い詰めたなら「日本人も払ってない。」と言うでしょう。 其の時日本人は、なんと答えるのでしょう。 それとこれは、問題が違う事は解かりますが、それに説得力はありますか。 日本人が襟を正さず、外国人には払えと言えるのでしょうか。 まず日本人が模範を示し、日本で暮らすのであれば日本人同様にそれをせよ!と言えなければ、外国人を納得させる事は出来ないと思います。 昔、日本人が移住した先の外国で日本人が信用を勝ち得たのはなぜか、今一度考え直すべきではないのでしょうか。 医療費の未払い問題では、日本人のモラルの低下という事も指摘されています。 進学に直結しない道徳の授業は減らせと抗議する親もいるそうですが、どの口がそんなことを言うのかと呆れるばかりです。 医療費の未払いに限らず、払わずに惚けても何とかなると思って行動する事が、自分自身のみならず家族をも辱めている事に気づくべきです。また、この状況を見た外国人に「日本人とはこうも恥知らずな国民か。」と、蔑まれる事にもなりかねない事実を認識して頂きたいと切に願っています。 なぜ、この様な事態が日本中で見られるのかを考えるに、戦後教育の負の遺産の一部であろうとは思いますが、これを許してきたのは我々国民の責任でもあると考えます。 権威主義を認めない風潮は、今に始まった事ではありませんが、少なくとも「先生」と呼ばれる職業(議員は違うよ)には「権威主義」があっても良いと思います。 「先生」と呼ばれる事に誇りを持てる様にする事で、「先生」と呼ばれる方々のモラルも変わるのではないでしょうか。 また、そうでなくては「モンスター」と呼ばれる輩がいなくなる事も無いと思います。 私は、日本が好きで日本人である事を誇りに思っていますが、それ故に敢えて苦言を呈するなら、 「甘えるなよ! 日本人。」 と言わせていただきます。 過去の歴史を誇るなら、それに負けない、いや、それ以上の行いをしていかなければならないと、己の自戒の念も込めて記事とさせて頂きます。 |
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私の会社の社訓の中に「事業に失敗するコツ」というのがあります。 全部暗記しているわけではないのですが、私が特に共感しているものに「餅は餅屋と自惚れている事」があります。 要は、日々の努力を怠らないようにする事を戒めているわけです。 自分がトップだと思っているうちに実は他者に追い越されているなんて事は、往々にしてある事で視野の狭い人間には、理解できない事でもあるのかもしれません。 トップであり続ける為には、自惚れてる暇なんか無いと自覚しなければ、素人にも負けてしまう事態にだってなりかねないのです。 会社の中でも同じでしょう。 会社というひとつのグループの中でトップだとしても、業界全体を見回した時、果たしてトップなんでしょうか。 ひとつのグループ内でトップという地位に甘んじる事で、気がつけば時代遅れの専門家などという事にならない様に日々努力を怠るなという事なんですね。 TVなどにもいろんな専門家が登場しますが、果たして現状に則した専門家と呼ばれる様な人がどれ位いるものなんでしょうね。 我々庶民は、専門家と言われれば、その人の言葉を間違ったものとは思わずに鵜呑みにしてしまう傾向があります。 でも、ほんの少しでも知識があると「あれ・・・・・?」と思える事もあるのではないでしょうか。 「餅は餅屋」だから言う事を聞け!みたいな態度の、上から目線専門家なども時々目にしますが、それこそ胡散臭い専門家なのではないでしょうか。 本当の専門家なら、常に学ぼうという姿勢があって然るべきと思います。 政治の世界も同じなような気がします。 政治家と呼ばれる方の中のどれぐらいの人が、日々努力を怠らずにいるのか時々疑問に思う事があります。 海賊退治が騒がれた時に「海賊ってなんだ。漫画の中の話じゃないのか。」なんて事を仰っていた議員の方もいたように聞き及んでいますが、こんな人を「先生」と呼び国会議員なんかにしておいて良いのでしょうか。 およそ専門家とは思えませんね。 海賊退治の是非を語る前に、今何が起こっているのか現実を認識も出来ない人間が是非を語るべきでは無いでしょう。 こんな議員でも、議員を選ぶのは国民の責任であるわけですから、国民も少しは知識も必要なわけで、其の努力を怠ってはいけないのです。 国民は、国民としてのプロなんですよね。 国民として専門家であって良いはずで、其の為には日々の努力も怠らない様にしないといけないと思います。 政治の批判ばかりでは、国民として傲慢であり自惚れているという事にはならないでしょうか。 政治家の方には、当然努力はして頂きましょう。 反面、我々国民も国民としての努力はしなければいけないはずです。 本当に良い国を造ろうと思うならば、何となく投票は止めなければいけません。 それが、国民としての義務と責任なのではないでしょうか。 赤く染まった方々は、直ぐに「権利」を振りかざしますが、「権利」には常に「義務」と「責任」が付いて回る事には、眼を背けたがります。 「ピースボート」の件では、見事に「権利」だけを振りかざす姿勢を見せて頂きました。 こんな事ばかりが罷り通るようでは、それぞれが権利ばかりを主張し合い収拾が付かなくなるとは思わないのでしょうか。 マスコミも同じですね。 「報道の自由」と言う権利を盾に偏向・捏造を垂れ流し、義務と責任はスルー。 だからこそ、国民は専門家などの言葉を鵜呑みにしないだけの努力をしておかなければいけないと思うのです。 日本語に「横着」という言葉があります。 他の言語にあるかどうかは知りませんが、日本人は「横着」になりすぎたのではないでしょうか。 昔の情報伝達は、口伝えであり、江戸時代の瓦版、明治に入っての新聞とソースが限られていて自分が努力しないでは正確な情報を求めようも無かったと思うのです。 入手した情報も自分で考える努力をしなくては、情報の利用価値すら無かったわけですが、今は情報が散乱し、自分で考える必要が無いように加工されています。 情報を求める努力をしなくても情報は提供されるわけで、それを自分の頭で考えようともせず受け取る行為を「横着」な行為と思ってしまうのです。 自分で情報の検証もしないのでは、それが間違いかどうかも解からないではないですか。 「マスコミなど信用に値せず」と国民が口を揃えれば、マスコミの存在価値など無くなってしまいます。 しかし、そうならない現実は、国民が国民としてのプロ意識を持てずにいるからではないのでしょうか。 それぞれに言い分はあるのかもしれません。 事業を潰すコツの中には「暇が無いと言って、本を読まぬ事」というのもあります。 国民が「忙しい」と言い、正しい情報を得る努力をしない事 と置き換えてみると、国を潰すコツになるのではないでしょうか。 議員やマスコミを「餅は餅屋」として、自惚れさせてしまったようです。 |



