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最近仏像が人気だそうで、特に女性の多くが癒しを求めて仏像を見に行くそうです。 私も嫌いではないので、機会があれば時間をかけて見たりしますが、引き込まれるような表情をした仏像と言うものには、なかなかお目にかかれるものではないですね。 私の場合は、癒しとは程遠く単に仏師がどのような心境で製作したのかに興味があるだけですので、仏像の表情が非常に気になります。ですから、通販などで売っている仏像にはまったく興味をそそられません。 人気のある仏像というのは、どこか心惹かれるものがあるように感じます。 仏像の中でも、興福寺の阿修羅像は特に人気があるようで、この写真では見づらいかもしれませんが、左側の顔の表情がなんとも言えないと思います。唇を噛んだような、何を語り掛けたいのだろうと思わせる其の表情に見とれてしまいます。 特に信心深い訳でも無い人々が、癒しを求めて仏像を見に行くという事が、何を意味するのかと考えた時、なんとも不思議な気がするのです。 本来は宗教的治癒としての意味合いであったものが、一般化した言葉だとは思うのですが、現代人の多くがそれほどに心が病んでいるという現実でもあるのでしょう。 私などは、普段の生活の中で十分に癒されていますので、仏像に敢えて癒しを求めるような事はしません。(罰当たりめ!と言う声が聞こえそうです。^^;) 金八先生ではありませんが、「人」という字は人と人が支え合っている姿が漢字になったそうですから、支えあう中に癒しの部分も当然有って然るべきものだろうと思うのです。それが無いのだとすれば、現代人の関わりが、いかにも希薄で表面的なものばかりだという事になってしまうのかもしれません。 私の娘は、介護の仕事をこの春から始めました。 当初は、戸惑う事ばかりだったようですが、最近では仕事にも大分慣れて来たのか、時々仕事の話をしてくれます。 先日、娘が休みの日に「仕事に行くと、私の方が癒されるんだよね。」と言います。 娘の話を聞いていると、お年寄りと話しているととても楽しいのだそうで、仕事をしている感じが無いという事らしいのです。 介護というお年寄りの面倒を見なければいけない仕事でありながら、お年寄りに面倒を見られているような感じがして、家族といるような安心感があるとも言います。 そんな話を聞いていて、「なるほど。」と一人納得していたわけですが、生活のいろんな部分を他人に頼らねばならないお年寄りではあるのですが、生活の多くの部分を共有してもいるわけですから、信頼関係無くして何事も成り立たないコミュニティーのようなものでもある訳で、お互いがお互いの立場を勘違いしては何も出来ないのです。 他人に生活のいろんな部分を依存はしていても、お年寄りは先人であり人生の先輩でもある事を忘れては、人として付き合う事など出来無い事をお年寄りから教わっている、駆け出しで不十分な仕事しか出来ない小娘をお年寄りが、温かい目で見守ってくれていると思えてなりません。 お年寄りからいろんな事を教わり、お年寄りの手助けをするという当たり前の事が蔑ろにされている世の中は、やはり間違っているのでしょう。家族や地域社会がその辺の教育を担っていた時代は、自然と学べた事なんでしょうが、今は皆無に近いですから、その意味では良い仕事に出会えたのだと思います。 時には、きつ〜い一言もあるみたいで、「あなたは、ストライクゾーン(介護に関してという意味らしいです)じゃないのよね。」などと言われたりするようですが、それも彼女にとっては目標を持つ事に役立っているようでして、人と人が深く関わって成り立つ社会、日本人が大切にしてきた社会が其処にはあるのかもしれません。 寂しい限りですが、親の役目はそろそろ終わりみたいです。後は、社会が育ててくれるんでしょうね。 |
こんな家ですが・・何か問題でも
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路上で大声で話す若者を注意した事を記事にしましたが、約束の日は今日です。 この話には後日談がありまして、翌日のことですが妻がご近所の奥さんにつかまり「昨日、説教してたのはお宅のご主人ですか。」と聞かれたそうです。 妻が「そうです。」と申し訳なさそうに答えると「もっと言ってやって欲しかった。」だそうで、私は知りませんでしたが、この界隈では有名な迷惑な若者であったようです。 果たして現れるのか否か、午後6時が約束の時間です。 ピンポンと鳴るのか鳴らないのか、多少楽しみではあるのですが、来ても良し来なくても良しです。 さて、昨日はある整体院に行ってきました。 ブログのお友達のまー坊さんの所です。 前にも書きましたが、つまらないオヤジは肩凝りが酷く目眩を起こすほどでしたので、連休中のメンテナンスとしてお願いしていました。 昔から整体やマッサージは、数えきれないほど経験していたのですが、一度も満足した事が無く半ば諦めていたのですが、まー坊さんの記事を読むにつれ信用に値する人間と判断しました。 独自の理論と日々の研鑽は、称賛に値するものではないかと思ったオヤジは、妻を伴い大船まで行くことを決め連絡しますと、丁寧にバスの乗り方までメールで送ってくださいました。 私の妻は、股関節に爆弾を抱えていますので、一日でも長くもたせる事が至上命題なのですが、どうも最近調子が余り良くないようでしたので、もしかしたらと淡い望みを抱きつつ、まー坊さんにはその辺の事情は伝えないまま(申し訳ない)伺いました。 バス停まで迎えに来て頂き、初めてお会いしたまー坊さんは、想像より小柄でしたが優しい笑顔の持ち主でした。 妻の事情を説明したうえで施術開始となりましたが、90分間実に無駄のない動きで素人が見てもなるほどと感心してしまいました。 続けて私も施術して頂きましたが、驚いたのは筋肉をこんな風に動かされた事が無いという事でしょうか。 終わってみてもっと驚いたのは、記憶に残っていないほどに肩や背中が軽いという事です。 今まで何かが憑依いていたのではないかと思ってしまうほどに軽くなっていまして、経験のない事でした。 ベニヤ板や鉄棒のような2人の連続施術でお疲れになったのではないでしょうか。 私が酒好きということでお土産に頂いたビールです。 妻の足の具合が思わしくないので一緒に歩いたり自転車を使う時は、後ろを振り返りながらなのですが、帰り道では常に隣にいるので気を使うのがだんだんアホらしくなってきてしまいました。^^;) 地元の駅から自宅までの間の自転車など軽快そのもので「何時もこんなものよ。」と嘯く妻に完全に呆れてしまいました。−−;) 妻曰く「足が前に出る。」のだそうで、何時になく笑顔でした。 関節そのものは、変わりがないので其処の痛みは急にどうこうは無いのですが、骨盤を修正してもらい筋肉なども修正して頂いたようでそれがここまで改善されるものかと本当に驚いています。 「魔法の手」は、ちゃんとタネも仕掛けもある魔法なのでしょうが、「魔法の手」には嘘はなかったですね。 家に帰って妻の様子を見ていた次女が「私も行きたい!」と言っていましたので、いずれ娘もお世話になる事になるでしょう。 彼女は、猫背気味で違和感を感じているとの事です。 その時はまたよろしくお願いします。 皆さんも一度いかがですか。(^0^) TEL 045−567−5352(看板の電話番号が隠れてましたね。^^;) ちなみに私は宣伝係ではないですよ。f(^^;) |
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「なぜ山に登るのか」 「そこに山があるから」 写真は、有名なアイガーの北壁です。 山登りの話をしようというのでは有りません。 山登りなど経験した事も無いオヤジですから、そんな話が出来るわけもありません。 人生において人それぞれ山在り谷在り、時には壁にぶつかる事もあるでしょう。 問題の大きさや個々の受け止め方により大きさはまったく違うものとは思います。 つまらないオヤジのつまらない娘も社会に飛び出し早一ヶ月、そろそろぶつかるか!?「社会人の壁」と思い待ち焦がれていました。^^;) 「今こそオヤジの出番」とばかりに、能書きを垂れてやろうと思っていたわけです。 当然、一年目にぶち当たるであろう学生と社会人としてのギャップや選んだ仕事が自分に向いていないかも、自分が考えていた仕事と違う!などなど、どんな悩みを打ち明けてくれるのか、それに対しての答えを用意し、今か今かと待っていました。 「遂に其の日が来た!」と思い、話を聞いてみる事にしたのが先週の事です。 なかなか言いづらそうにしていますので 「仕事が向いてないとか辛いと思っているのか。」 と、聞いてみますと 「そんな事考えた事も無い。」 と、簡単に一蹴されてしまいました。 期待を裏切られ落胆するオヤジでしたが、オヤジにはピーンと来るものがありました。 この日の娘は、帰宅時に非常に楽しそうな笑顔での帰宅でして、普段とは明らかに違った顔をしていました。 娘が勤める会社では、月に一度のボランティアが義務付けられていまして、この日がちょうど其の日でしたので、これ以降の話はオヤジにとっても試練だと覚悟させられました。 学生時代からボランティアに参加するのが好きで、行く度に楽しいと言っていましたので、その意味では笑顔で帰宅する事自体不思議ではないのですが、余りのギャップに悩みとはこれだなと思い当たる事がひとつだけありました。 介護という仕事の性質上必ずこの壁にはぶち当たるだろうとは思っていたのですが、こうも早いとは想像もしていませんでした。 簡単にお話すれば、介護される側が十分に満足しているのだろうかという事です。 相手が求めている事に自分は十分に応えているのだろうか、其の事を考えると思ったように反応できない事があると言います。 オヤジとしては、この事に正解は無い様に思っています。 ですから、オヤジの出来る事は娘に助言するだけです。 知的障害者の方や自閉症の子供たちは、誰かに手伝ってもらわなければ出来無い事がある事を自然に受け入れているが、介護を必要とするお年寄りは、今までは何不自由無く出来ていた事が、年をとる事によって他人の手伝いが必要となるわけで、多くのお年寄りがすんなりとそれを受け入れられずにいる。 それは当然の事であるのだから、お前は介護をしていると思ってはいけない。 お手伝いをさせて頂いていると思いなさい。 お前と同じ仕事をしている方の中で、お前が尊敬できる人を見つけなさい。 オヤジの助言が正しいのか、良く判りませんが余りにも難しい問題であるのは間違い無いと思います。 話をしていたら、もうひとつの悩みも出てきまして、こちらは娘の性格上回答は準備済みでした。 同期と比べて仕事を覚えるのが遅いと言うのですが、娘の性格からして親から見れば当然の事でして、自分のことが未だに良く解かっていないだけです。 あくまで例えですが、仕事に10の段階があるとして其の一つ一つに10の手順があるとすると、要領の良い人間は、10の手順の何処かを飛ばして覚え次の段階に進もうとします。一見覚えが早く見えますが、このタイプは必ずどこかで躓きます。 躓いた時、どうして其処で躓いたのか本人には解からなくなります。 逆に娘はこの辺が真面目と言うか、要領が悪いと言うか、10の手順があれば全部覚えないと自身が納得できないようで、結果として他人より覚えが遅いと思い込んでしまうところがあります。 他の事なら、多少要領の良いほうが良いとは思いますが、こと仕事に関しては近道は無いと思っていますので、娘には 「他人と比べる必要は無い。ましてお前の仕事は、人命に関わる事だって有り得るのだから、一つでも疎かにしてはいけない」 と言って聞かせました。 子供というものは、親が気がつかない速度で大人になっていくものだと改めて感じさせられました。 親が言うのもなんですが、普段は呆れるぐらいボーっとしている娘なんですけどね。 これからは、正解の無い問題ばかりを持ち込んでくるのでしょう。 覚悟が必要なようです。ーー;) 翌日のことですが、娘は職場の方と食事をして帰ってきたそうです。(男じゃないですよ。^^;) 妻によれば「嬉しそうに帰ってきた。」のだそうです。 娘の顔を見る限り、元の表情に戻ったように感じますが、心の中までは解かりません。 |
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皆さんには戦友と呼べる仲間はいるでしょうか。 私には何人かいます。 同じ職場に限らず、同じ目的を持ちそれぞれに戦い、あるいは共同の戦いをする者と言えば良いのでしょうか。 うまく言えません。 私の知り合いが一昨日亡くなりました。 彼は、一年ほどの闘病の末に家族に看取られ亡くなりました。 彼の見舞いには一度も行きませんでした。 彼とは20年前からの知り合いでもあり、同じ職場の違う部署であるにも関わらず妙に話が合い酒を飲み、議論を戦わせ、何が会社の為か何が社会の為になるのかなど多くの話をしました。 遠慮する事無く話ができる男の一人でした。 時には、電話で2時間以上も話す相手でもありました。 でも、見舞には一度も行きませんでした。 数年前、彼は仕事中に倒れました。 その時は、私は真っ先に見舞に行きました。 彼は、病院を抜け出し自宅で酒を飲んでいたそうです。 だから病院のベットは、モヌケの殻でした。 そんな男が死んじゃいました。 彼は、私の部下となりました。 それが心の狭い私には、許せませんでした。 今日は彼のお通夜でした。 私は、彼は革命家だったと思います。 でも、チェ・ゲバラと同じだったのかもしれません。 自分の矛盾と戦うことをやめ、彼は戦死しました。 彼には、3人の子供がいます。 立派に成長しました。 末っ子は、海上自衛官です。 今日、その凛々しい姿を見ました。 彼の息子なら然も有りなん(さもありなん)と思います。 彼は、自分の子供がある程度成長した段階で安心してしまったのか、自分の地位に甘んじてしまったのか、それは解りません。 今日、頼もしくなった子供たちを見ました。 彼を見たような思いです。 でも彼はいません。 戦う男、しがみつく男、事情はありますが、しがみついた男の居場所は何処にあるのでしょう。 チェ・ゲバラはどっちなんでしょうね。 彼は、私の事を「戦友」と言ってくれるでしょうか。 私には、自信はありません。 見舞いに一回も行って無い、非常な男です。 人間として最低な男かもしれませんね。 今日は、彼のまねをするかもしれません。 「夜中にのどが乾いたら、ビールを飲む!」 彼の口癖でした。 戦友の死に乾杯! 彼は冷たい男と思って死んでいったかもしれません。 彼の家族もそう思ってるかもしれません。 明日、彼は灰になります。 いずれ私も灰になります。 その時、彼とどんな話ができるんでしょう。 今日は彼の顔を見る事はできませんでした。 明日は見れるかもしれません。 きれいな顔になっているかもしれませんが、その顔が彼の顔なのでしょうか。 戦った男の顔なのか、私にはわかりません。 見たくはありませんが、見ることが私の務めなんでしょう。 一時は私の戦友でしたが、ある時からただの顔見知りになってしまいました。 私は冷たい人間でしょう。 明日は、彼が一切この世から痕跡を無くす日ですが、彼が永久に誰かの記憶に残る日でもあります。 私が彼の見舞いに行かない事をナジル人もいません。 それが悲しい。 今日は彼の弔い酒です。 私だけが彼に思いを告げる弔い酒です。 すいません。m(_ _)m ダラダラと書いてしまいました。 |
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先週の土曜日は、我が家でささやかなお祝い事がありました。 次女の17回目の誕生日でして、我が家ではある儀式が執り行われました。 儀式と言うと子供が二人しかいないオヤジとしては大袈裟に聞こえるかもしれません。 この日を次女も小学生の頃から楽しみにしていた様で、妻と何やら密談をしていた模様です。 儀式と言うと本当に大袈裟なのですが、長女が生まれた時から決めていた事があります。 「17歳になったら、酒を飲ませてみる。」 他愛も無い事なのですが、自分の子供は酒が飲めるのか飲めないのかは、オヤジにとっては重要な事なんです。^^;) 私は、お酒とタバコは17歳から始めました。 今では、毎晩の晩酌が日課ですが、当時は友達と飲むにしても親に隠れて飲んでいました。 17歳で親の前で堂々と飲める訳も無いのですが、この位の年になれば周囲に酒飲みがいれば当然興味を持つのは当たり前ではないでしょうか。 私の父親は、かなり酒の強いほうで一升酒を飲んでも二日酔いになった姿を見た事がありません。 そんな父親の姿を見ていれば、飲んでみたくもなります。^^;) でも、厳格な父親ですから許す筈も無く、結局親に隠れて飲むという事になってしまうのです。 私が酒を飲むキッカケは、漁師をやっていた親戚に飲まされた事なんですが、初めて飲んだウィスキーの水割りの美味しかった事は、今でも鮮明に記憶に残っています。 初めてのお酒であり、初めて親の前で飲んだ瞬間なのですが、親戚の手前叱る事もできなかった父親は、苦虫を噛み潰したような顔をしていました。 この事が大人になってからも引っかかっていまして、私が毎晩酒を飲んでいるのに興味を示す子供に「お預け」も如何なものかと思うわけです。 「法律で決まってるから守れ」と言うのは簡単なんですけどね。 妻が妊娠した時には、お腹の子供は「男の子」と勝手に確信していまして、何時か子供と晩酌をする夢を持ったオヤジは、子供が自分が飲み始めた17歳になったら一度飲ましてみようと決心したのです。 オヤジの勝手な妄想は、長女の誕生をもって敢え無く消え去ってしまったかに見えましたが、女でも飲む奴は飲むと気を取り直し、17歳になるのを心待ちにしました。 その間に次女も生まれ、息子が欲しいオヤジは3人目を画策しますが、妻の「女の子はお金かかるわよ」の一言で野望を断念してしまいました。−−;) 長女は、すでに儀式を済ませ、今では休日の前などはオヤジの晩酌に付き合ってくれたりしますが、現在の私よりも酒が強い事は間違い無さそうです。 隔世遺伝のなせる業なのか、食事をしに行ってワインなど飲もうものなら、私と同じ様に飲んだ挙句、私の就寝後に寝酒と称して妻と乾杯してたりします。^^;) これらの所業を横目でずーっと見ていたのが次女な訳ですから、この儀式の日を心待ちにしていないわけがありません。 長女と違い何事にも積極的で、計画を立てるのが早い次女は、すでに何種類かのお酒を妻に準備させていました。 私は、自分の飲んでいる焼酎で済ますつもりだったのですが、完全にやられてしまいました。ーー;) 次女は余り酒が飲める方では無いと思っていたのですが、案の定チビリチビリやっているうちに、顔が真っ赤になりまして妻の遺伝子を色濃く受け継いだ事を証明してくれました。 我が家では、これでお酒が解禁という事ではありません。 お酒に対する諸注意を申し述べる機会であり、20歳になったら好きな様に飲んでも良いが、20歳までは我慢する事も大切だという事を教える場でもあるのです。 もっとも、酒に関しては失敗ばかりのオヤジですから、経験を基にして語る実に説得力のある(?)お話です。 ^^;) 子供は一度興味を持つと「いけません!」と理由を延々と言ってみたところで簡単に納得する筈も無く、まずは経験させて理由を理解させる方が現実的だと思います。 何でもかんでも当て嵌まる訳ではありませんが、親が見守る中で出来る範囲の事は試させてみるのも良いかと思います。 ただし、法律違反ですから大きな声では言えないんですけどね。(^^;) もうひとつ子供たちに言う事があります。 「これからは、大人として扱うので、言動には気を付ける事。守れなければ、鉄拳制裁もあると覚悟しなさい。」 娘たちが小学校に入るまでは、お尻ペンペンがお仕置きでして、それ以降は手を挙げた事もありませんので、この一言は強烈みたいです。 実のところ、次女のお酒は初めてではありませんで、本人に記憶が無いだけなんですが、次女が未だピヨピヨの頃、晩酌をしていたオヤジの膝の上でオヤジがテレビに夢中になった瞬間「プハー」と声がしました。 次女の両手には、ビールグラスがしっかり握られていました。^^;) 家族全員で晩酌が出来る様になるまであと3年です。 待ち遠しいですね。 |



