■リアルな僕の日記帳■2学期。

暗がりで咲いているひまわり 嵐が去った後の陽だまり そんな君にぼくは恋してた

僕の旅日記

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全1ページ

[1]

■60■

前回の続きです。






平和記念公園をまわった後、
別館の原爆死没者追悼平和祈念館の中に入りました。






https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/67/30/saku_december2/folder/881220/img_881220_14060839_5?20051106042654.jpg

入り口にある時計です。
8時15分で止まっています。
緑の中心には当時の瓦礫が敷かれています。
写真だけじゃない。
歴史の、世界の一枚向こうには瓦礫が広がっているってことを感じました。







https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/67/30/saku_december2/folder/881220/img_881220_14060839_15?20051106042654.jpg

別館の中です。
壁の線が一本ずつ増えていく螺旋の道を
逆時計回りに下ってくるとここに辿り着きます。

真ん中の石は同じく8時15分で止まっていて
その周りには爆心地から見た当時の景色が360度広がっています。
水の音と降りてくる人の足音しか聞こえない空間。
何十万分の一の重みを感じます。







その後、本館の平和祈念資料館の方へ入りました。







https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/67/30/saku_december2/folder/881220/img_881220_14060839_10?20051106042654.jpg


当時の産業奨励館(原爆ドーム)の周辺の模型です。
当時…原爆を落とされる1秒前です。







https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/67/30/saku_december2/folder/881220/img_881220_14060839_8?20051106042654.jpg

在ったものが無くなりました。
悲しみと痛みを引きずって。







https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/67/30/saku_december2/folder/881220/img_881220_14060839_9?20051106042654.jpg

原爆投下の数日後、新聞記者の方が撮った写真だそうです。
白黒ですが、カラーであってもほとんど同じ色だっただろうと思いました。
60年前、今いる同じ場所での瞬間…。








https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/67/30/saku_december2/folder/881220/img_881220_14060839_12?20051106042654.jpg

原爆投下10年後に亡くなった佐々木禎子さんが実際に折っていた鶴です。
小指の爪ほどの大きさしかありません。

前の記事に「原爆の子の像」を載せましたが、
その像を作ったのは大人ではなく、子供たち。


当時配られた「広島平和をきずく児童・生徒の会」の呼びかけ文です。



「私たちの手で『原爆の子』の像を!
禎子さんはしんどいめをして死んでいきました。小学校四年生の義登君もそうでした。

   (略)

見舞いに行った時、禎子さんはベッドに寝たまま、薬の紙で千羽鶴を折っていました。
「こがーに鶴う折ってどうするん」といったら、
「ほいでも、早うなおりたいけ」とうらめしそうにこたえた禎子さんの顔が、まだ忘れられません。

   (略)

禎子さんの遺品となった出しかけの手紙を読んだ時、山口さんが
「のう、みんなで原爆の子の像を作ろう」といいました。
「ほいでも、えっとお金がかかるぞ」と洋吉君が口を出し、みんな困った。
「そりゃ、お互いが節約して出すんよの」と山口さんがいって、みんなこれに賛成しました。

それから、1956年1月28日、
広島市内の小学校から高等学校までの全部の児童・生徒のお友達たちの代表が集まり、
像をたてる決議をしました。

戦争で傷つけられたのは、私たち広島の市民だけではありません。
全国の児童・生徒の皆さんも、それぞれぎせいを受けられて、
いまもきっと情けないめをしていられることでしょう。
あの時焼け死んだ1万名のお兄さんやおねえさんたちはみんな死にたくなかった。
どんなにつらかったでしょう。
今でも夜がくると、川の橋の下で、その泣き声が聞こえるような気がします。

それに、死んでも禎子さんにはまだ仏だんがない。
ナメクジ住宅のバラックのお家はスウスウして寒い板の打ちつけです。

全国のお友達の皆さん!

私たちは私たちの手で、これらたくさんの学徒や、お友だちの霊をおまつりしてあげたいのです。
お小づかいをしまつして、祈りのこもった原爆の子の像を作りたいのです。
そして互いに励まし合い、毎日一心に募金を集めています。

   (略)

どうかこのことを知って、げきれいし、できたら、えんじょしていただけないでしょうか。
私たちの心からのお願いです。

                               1956年3月1日


この気持ちは全国、海外へも広がり、
「原爆の子の像」は1956年の子どもの日に完成したそうです。

子供たちが築いた協力や決意。
今でも像とたくさんの鶴で繋がっている、
最も純粋で大切な想いだと思います。








https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/67/30/saku_december2/folder/881220/img_881220_14060839_11?20051106042654.jpg

平和記念館内では基本的に写真撮影が認められているんですが、
ほとんどの展示でシャッターを押すことができませんでした。
焼け焦げた服、お弁当、髪の毛、曲がった金属、人影の石。
でも、これだけはと思って一枚撮影してきました。

黒い雨の壁。

ガラスに映りこむ自分の姿がどうしようもなく怖かったです。
今が60年前だったら。
昨日の小雨が真っ黒だったら。


今自分が生きていることを
心臓の音を
いつもより強く強く感じました。









https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/67/30/saku_december2/folder/881220/img_881220_14060839_21?20051106042654.jpg

地下の展示の最後には被爆者の方が書いた絵が並んでいました。
赤や黒ばかりの悲惨な絵。
その中の一番最後の絵です。


『被爆地に五十年は草木も生えぬと何度も聞いた。
次の年、瓦礫の下より
みどりの萌えているのを見た。
やわらかな春の光の中に

そーっと手をふれて
「生まれたのね」と語りかけた。
熱い気が体中に流れ
涙がこみ上げて
「私も命をもらったのよ」
太陽がまぶしかった。』








https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/67/30/saku_december2/folder/881220/img_881220_14060839_13?20051106042654.jpg

展示の最後にあった写真です。
絵は現実。すべて現実。


辛さや苦しさを感じてきたので
「希望」に鳥肌が立ち、涙が止まりませんでした。










https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/67/30/saku_december2/folder/881220/img_881220_14060839_22?20051106042654.jpg

平和記念館の出口の手前にある大窓から見える景色。
原爆慰霊碑、平和の灯、原爆ドーム、たくさんの緑が見えます。
その奥には広島市民球場のライト、ビルが見えます。
修学旅行の小学生、ツアーのお年寄りの方、
たくさんの人が見えます。
見えます。


大窓の後ろにあった来館者の感想ノートを読みました。
「平和」「ひとつ」「愛」という言葉がたくさん出てくる。
みんな同じことを願ってる。


1ページいっぱいに同じ想いを自分の言葉で書いてきました。









https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/67/30/saku_december2/folder/881220/img_881220_14060839_23?20051106042654.jpg

ここを離れる前に目に焼き付けたくて再び原爆ドームを見てきました。











https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/67/30/saku_december2/folder/881220/img_881220_14060839_16?20051106042654.jpg

ドームの先に偶然とまっていた鳥を見て、
今まで感じてきた全てがまとまった気がしました。












https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/67/30/saku_december2/folder/881220/img_881220_14060839_34?20051106042654.jpg

帰り際に見つけました。
平和記念館の道路の向かい側にあり、
世界のたくさんの国の言葉で「平和」と描かれています。
意味もなく下をくぐってみました。
「絶対叶わない」なんてことはない、世界の願いが聞こえました。

開く トラックバック(2)

夜のうちにどうしても原爆ドームが見たくて、
岡山から新幹線に乗ってそのまま広島に行きました。

そして着いたのが8時半くらい。
ご飯を食べてから路面電車に乗って原爆ドーム前に向かいました。

駅を降り、すぐ目に入ったのは広島市民球場。
道路を一本隔てた向かい側にうっすら光る原爆ドームがありました。




イメージ 1








https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/67/30/saku_december2/folder/881220/img_881220_14060839_17?20051101152916.jpg

明るく写ってるけど、中のドームの明るさはこのくらいの感じでした。





https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/67/30/saku_december2/folder/881220/img_881220_14060839_18?20051101152916.jpg


しばらく眺めていたら、少し小雨が降ってきました。
辺りは割と栄えていて、周りには光が広がっています。
平和記念公園は夜間でも誰でも立ち入ることができ、
たくさんの人がいました。

自転車に乗る通勤帰りの人。
ギターを弾く女の人。

原爆ドームの周りには、
ベンチで寝てるサラリーマン。
シートを広げ酒盛りをしてる外国人。
キスをするカップル。

色々なことを感じました。
単純ですが、60年前と60年後の平和、現在の平和のこと。




https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/67/30/saku_december2/folder/881220/img_881220_14060839_19?20051101152916.jpg

色々複雑な気持ちが体の中を回っている中、
原爆投下の目印となったT字の橋に向かいました。


そこから原爆ドームを眺めた後、
泊まる所を探しに行こうとしたけど、
そこで見続けたまま、2時間くらい動けませんでした。
涙が止まりませんでした。


悲しかった。
嬉しかった。
そして怖かった。すごく怖かった。
こんなに大きい建物を見たことがなかった。
















翌日、朝早くに起きて平和記念公園に向かいました。



https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/67/30/saku_december2/folder/881220/img_881220_14060839_27?20051101152916.jpg


動員学徒慰霊塔です。
大人たちが戦争に狩り出され、
その代わりに中等学校以上の生徒は増産作業、
建物疎開作業などに動員されたそうです。
その時原爆の犠牲になった6000人ほどの学生の慰霊塔です。
たくさんの鶴が供えてありました。






https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/67/30/saku_december2/folder/881220/img_881220_14060839_31?20051102003233.jpg


カメの形をした韓国人原爆犠牲者慰霊碑です。
強制連行や徴用で日本に連れてこられた韓国・朝鮮の人約5万人が被爆し、
そのうち3,4万人が死亡したといわれるそうです。
韓国・朝鮮の人がたくさんいるのは知っていたけど、
こんなに数が多いとは知りませんでした。
知らなきゃいけないことを知らないで生きてきた、
自分の無知を恥ずかしく思いました。






https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/67/30/saku_december2/folder/881220/img_881220_14060839_24?20051101152916.jpg


鈴木三重吉の碑です。

一組の少年少女が腰掛けていて、
「私は永久に夢を持つ ただ年少時のごとくために悩むこと浅きのみ」
と書いてあります。
後ろの川も重なり「火垂るの墓」を思い出しました。






https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/67/30/saku_december2/folder/881220/img_881220_14060839_33?20051101152916.jpg


平和祈念像です。
下の詩碑にはこう書かれていました。

天心の三日月の上に 幻でない母と子の像
これこそ永遠の平和の象徴
童子よ母の愛につつまれて 金のトランペット吹き鳴らせ
天にも地にも透明な 平和の調べ吹きおくれ
どんな未来がこようとも 頬っぺいっぱいふくらませ
No more Hirosimaの 金のトランペット吹き鳴らせ

写真を撮ってる時、偶然後ろに像と同じような親子が。
No more。





https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/67/30/saku_december2/folder/881220/img_881220_14060839_29?20051102003233.jpg


平和の鐘です。

鐘には「自己を知れ」と書いてあり、
鐘を突くところには原子力のマークが書いてあります。
周りに人がたくさんいて少し恥ずかしかったけど、
思いっきり鳴らしてきました。





https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/67/30/saku_december2/folder/881220/img_881220_14060839_36?20051102003233.jpg


原爆の子の像です。
戦争が終わった10年後に亡くなった佐々木禎子さんの像です。
治ることを祈って鶴を折り続けたため、
周りには全国・全世界から寄せられた千羽鶴が供えられています。




https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/67/30/saku_december2/folder/881220/img_881220_14060839_30?20051102003233.jpg


修学旅行の小学生が学校で作った千羽鶴を供えていました。
同い年で亡くなった子のことを話す先生のお話を一緒に聞いてました。
少し前までふざけていた小学生がみんな真剣に聞いていました。




https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/67/30/saku_december2/folder/881220/img_881220_14060839_37?20051102003233.jpg


金の鶴でできた鐘を静かに鳴らしました。





https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/67/30/saku_december2/folder/881220/img_881220_14060839_32?20051101152916.jpg


平和の灯。

この灯は平和を願って永遠に灯し続けるものではなく、
「核兵器が地上から姿を消す日まで燃やし続けよう」という願いを表したものです。
一日も早く消える日を願います。





https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/67/30/saku_december2/folder/881220/img_881220_14060839_20?20051101152916.jpg


原爆慰霊碑です。
慰霊碑、平和の灯、原爆ドームが一直線になるようにつくられています。
この碑文の下の石棺のなかには「過去帳」をいう原爆死没者の名簿が納められています。
この過去帳にはその1年間に死亡したり、新たに死亡の確認された被爆者の氏名が新たに書き加えられ、毎年8月6日に石棺に奉納されています。
今年で過去帳の数は全部で85冊、名前は24万2437名にのぼります。





https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/67/30/saku_december2/folder/881220/img_881220_14060839_35?20051101152916.jpg


『安らかに眠って下さい 過ちは 繰り返しませぬから』







https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/67/30/saku_december2/folder/881220/img_881220_14060839_28?20051102003233.jpg


続きます。

開く トラックバック(2)

■ももたろ社長■

イメージ 1


先週の月曜から旅に出かけておりました。
ほんとは岡山での日帰り研修だったのですが、
そこまで行くなら、前から絶対行きたかった広島の平和記念資料館まで行ってみたいと思い、
あまり予定も立てず行ってきました。


朝6時に地元の電車に乗り、岡山に着いたのが10時半。
洋服を詰め込んだバッグを駅のコインロッカーに入れて、会場のホテルへ徒歩徒歩。
そして研修が終わったのが午後4時半くらい。
駅からバッグを取り出して、スーツと靴と余計なものを袋につめて、
締め切りの5時前ギリギリに郵便局から自宅へ送りました。


ほんとはそのまますぐ広島に行こうと思っていたけど、
まだ明るかったし今から行っても平和記念館は閉まっちゃうので
すこし岡山をぶらぶらすることにしました。




イメージ 15


岡山のアーケードを歩いていきます。
アーケードは地元に無いからかもしれないけど、とても好きっす。
昔ながらのおもちゃ屋とか大福屋とかクリーニング屋とか床屋とか。
うさんくさいノボリ。ホントに安いのか分からない「大安売り」「特売」。
生活観あふれる現実な夢というか…。
そんなことを考えながら、
万引き常習犯の中学生みたいにキョロキョロしながら歩いていきました。





イメージ 2

アーケードを出て歩いていたら、そこにいたのは桃太郎。
「ももたろう」って書いてあったけど、どう見てもただの小便小僧。
顔は、天地真理さん(現在)のようなツヤのあるお顔でした。





イメージ 3

風を感じる川沿いに出たら、向こう側には日本三名園。
こちら岸も公園になっていて、
岸辺に降りて、のほほ〜んとしている人や、
オレンジレンジの「以心電信」をラジカセで流しながら踊ってる小学生がいました。
後楽園も行きたかったけど、先に右手に見える大きい建物へ。





イメージ 4

岡山城。
歴史はよくわからないけど、岡山城。





イメージ 5

かっこいい荘厳な門から中に入る。





イメージ 6

でも後ろがチャリンコ置き場になっていることは見逃しません。






イメージ 7

この木、台風の影響で傾いてしまって、
倒れて建物を傷つけちゃう可能性があるから伐採してしまうらしい。
歴史って何だろう…とか色々考えながら後ろを振り返ったら、
激しく鬼ごっこをする笑顔の小学生と
激しく大人のキス(電車男参照)をしている高校生がいてその考え吹っ飛ぶ。





イメージ 8

正面から。
入れるのは5時までだったらしい…。残念!(流行語)





イメージ 9

出る。






イメージ 10

月見橋を渡って、後楽園へ。
…しかし、ここも5時までだったらしい…。残念!(死語)






イメージ 11

柵の隙間から撮っちゃう。
この柵から向こう側は猫の国らしい。
「後楽園で猫と握手!」
とかくだらないこと考えながらバロンとお別れ。






イメージ 12

きれいな橋幸夫。






イメージ 13

駅までの帰り道、大通りを歩いていたら、
イヌ・サル・キジたちの銅像が街中に。
ワクワク思いながら人も車もビュンビュンの中、
時間が止まったように(止まってるけど)たたずむ家来たちに、癒。
でも、サルの無関心ポーズだけにはだんだん腹が立ってきました(笑)





イメージ 14

駅前。あんなに天地真理だった桃太郎が立派に。
そしてサルはなぜか弱気な姿に。
桃太郎の服の裾を引っ張る姿はもうかわいい。


そして新幹線で、鬼ヶ…広島に!




広島編に続くけん!

開く トラックバック(3)

全1ページ

[1]


.
saku_december2
saku_december2
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

ブログバナー

過去の記事一覧

検索 検索

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事