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前回の続きです。 平和記念公園をまわった後、 別館の原爆死没者追悼平和祈念館の中に入りました。 入り口にある時計です。 8時15分で止まっています。 緑の中心には当時の瓦礫が敷かれています。 写真だけじゃない。 歴史の、世界の一枚向こうには瓦礫が広がっているってことを感じました。 別館の中です。 壁の線が一本ずつ増えていく螺旋の道を 逆時計回りに下ってくるとここに辿り着きます。 真ん中の石は同じく8時15分で止まっていて その周りには爆心地から見た当時の景色が360度広がっています。 水の音と降りてくる人の足音しか聞こえない空間。 何十万分の一の重みを感じます。 その後、本館の平和祈念資料館の方へ入りました。 当時の産業奨励館(原爆ドーム)の周辺の模型です。 当時…原爆を落とされる1秒前です。 在ったものが無くなりました。 悲しみと痛みを引きずって。 原爆投下の数日後、新聞記者の方が撮った写真だそうです。 白黒ですが、カラーであってもほとんど同じ色だっただろうと思いました。 60年前、今いる同じ場所での瞬間…。 原爆投下10年後に亡くなった佐々木禎子さんが実際に折っていた鶴です。 小指の爪ほどの大きさしかありません。 前の記事に「原爆の子の像」を載せましたが、 その像を作ったのは大人ではなく、子供たち。 当時配られた「広島平和をきずく児童・生徒の会」の呼びかけ文です。 「私たちの手で『原爆の子』の像を!
禎子さんはしんどいめをして死んでいきました。小学校四年生の義登君もそうでした。 (略) 見舞いに行った時、禎子さんはベッドに寝たまま、薬の紙で千羽鶴を折っていました。 「こがーに鶴う折ってどうするん」といったら、 「ほいでも、早うなおりたいけ」とうらめしそうにこたえた禎子さんの顔が、まだ忘れられません。 (略) 禎子さんの遺品となった出しかけの手紙を読んだ時、山口さんが 「のう、みんなで原爆の子の像を作ろう」といいました。 「ほいでも、えっとお金がかかるぞ」と洋吉君が口を出し、みんな困った。 「そりゃ、お互いが節約して出すんよの」と山口さんがいって、みんなこれに賛成しました。 それから、1956年1月28日、 広島市内の小学校から高等学校までの全部の児童・生徒のお友達たちの代表が集まり、 像をたてる決議をしました。 戦争で傷つけられたのは、私たち広島の市民だけではありません。 全国の児童・生徒の皆さんも、それぞれぎせいを受けられて、 いまもきっと情けないめをしていられることでしょう。 あの時焼け死んだ1万名のお兄さんやおねえさんたちはみんな死にたくなかった。 どんなにつらかったでしょう。 今でも夜がくると、川の橋の下で、その泣き声が聞こえるような気がします。 それに、死んでも禎子さんにはまだ仏だんがない。 ナメクジ住宅のバラックのお家はスウスウして寒い板の打ちつけです。 全国のお友達の皆さん! 私たちは私たちの手で、これらたくさんの学徒や、お友だちの霊をおまつりしてあげたいのです。 お小づかいをしまつして、祈りのこもった原爆の子の像を作りたいのです。 そして互いに励まし合い、毎日一心に募金を集めています。 (略) どうかこのことを知って、げきれいし、できたら、えんじょしていただけないでしょうか。 私たちの心からのお願いです。 1956年3月1日 この気持ちは全国、海外へも広がり、 「原爆の子の像」は1956年の子どもの日に完成したそうです。 子供たちが築いた協力や決意。 今でも像とたくさんの鶴で繋がっている、 最も純粋で大切な想いだと思います。 平和記念館内では基本的に写真撮影が認められているんですが、 ほとんどの展示でシャッターを押すことができませんでした。 焼け焦げた服、お弁当、髪の毛、曲がった金属、人影の石。 でも、これだけはと思って一枚撮影してきました。 黒い雨の壁。 ガラスに映りこむ自分の姿がどうしようもなく怖かったです。 今が60年前だったら。 昨日の小雨が真っ黒だったら。 今自分が生きていることを 心臓の音を いつもより強く強く感じました。 地下の展示の最後には被爆者の方が書いた絵が並んでいました。 赤や黒ばかりの悲惨な絵。 その中の一番最後の絵です。 『被爆地に五十年は草木も生えぬと何度も聞いた。 次の年、瓦礫の下より みどりの萌えているのを見た。 やわらかな春の光の中に そーっと手をふれて 「生まれたのね」と語りかけた。 熱い気が体中に流れ 涙がこみ上げて 「私も命をもらったのよ」 太陽がまぶしかった。』 展示の最後にあった写真です。 絵は現実。すべて現実。 辛さや苦しさを感じてきたので 「希望」に鳥肌が立ち、涙が止まりませんでした。 平和記念館の出口の手前にある大窓から見える景色。 原爆慰霊碑、平和の灯、原爆ドーム、たくさんの緑が見えます。 その奥には広島市民球場のライト、ビルが見えます。 修学旅行の小学生、ツアーのお年寄りの方、 たくさんの人が見えます。 見えます。 大窓の後ろにあった来館者の感想ノートを読みました。 「平和」「ひとつ」「愛」という言葉がたくさん出てくる。 みんな同じことを願ってる。 1ページいっぱいに同じ想いを自分の言葉で書いてきました。 ここを離れる前に目に焼き付けたくて再び原爆ドームを見てきました。 ドームの先に偶然とまっていた鳥を見て、 今まで感じてきた全てがまとまった気がしました。 帰り際に見つけました。
平和記念館の道路の向かい側にあり、 世界のたくさんの国の言葉で「平和」と描かれています。 意味もなく下をくぐってみました。 「絶対叶わない」なんてことはない、世界の願いが聞こえました。 |

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