ホームヘルパー男奮闘記

「本当に必要な介護施設を」を作りたい

家族のこと

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元旦

今年はどんな年になるのやら・・・・・・

12月29日に家族が戻ってきて・・・・・・何時まで?




また俺は、小さくなって引きこもり・・・・・一句(笑)

今日は夜勤明け

鰯君、君はおいしかったよ。

ごはんがいっぱいたべれた。

食べる前に君の勇姿を写真にとっておけばよかった。

今は、私の胃袋の中に・・・。

ごちそうさまでした。

ありがとう。

埋蔵金

留守中、広島の叔父から電話がありました。


今まで電話がかかってくるなど一度もなかったし、もう20年近く会ってない叔父から電話があったので、何事だろうと、こちらから電話してみると




「埋蔵金を見つけたから、お前にも分けてやろうと思って電話した」・・・と。




何があってもおかしくない叔父さんのことだから、埋蔵金ぐらい見つけても不思議ではないのですが、

「私にも分けてやろう」という言葉に嬉しくて言葉がつまりました。



ところで、埋蔵金って何でしょうかね・・・・・・

小判なんでしょうか?




近々、スコップもって行って来ようと思っています







そうそう、叔父は82歳ですが、まだ痴呆じゃないですよ。
業界では有名な人です。









何の業界かって?








な・い・しょ・・・・・。





埋蔵金で老人ホーム造らないかな〜

祖父母を想う

ある時、「祖父が庭先で転んでその後寝たきりになった」と祖母から知らせがあり、田舎に行った。

祖父は、寝たきりで殆ど話はできない。

食事も祖母がスプーンで祖父の口元におかゆを運ぶ。

そんな祖父に祖母が「敏郎が見舞いに来てくれたよ〜」と大きな声で耳元で言った。

「・・・・・。」何も言わない。

「ありがとうと言いなさい!」とまた大きな声で言うと、祖父は小さな声で「あ・り・が・と・う」と言った。これが、私の聞いた祖父の最後の言葉となった。

医者が診察に来た。

私はどの位で治るのか聞いた。

医者は、「もう治って元気になるということは無いだろう。植物のように枯れるだけだ」と言った。

私は何も言えなかった。

祖母は祖父を一人で看取った。

お通夜でも葬式でも祖母は人前で涙を見せなかった。

そう、そんな祖母だった。


この祖父母には一人息子がいた。

祖母が厳しく育てた。

優秀な子供だったようだ。

しかし、小学生の時病気で亡くなった。

私はその子の事を聞いたことがある。

名前は「孝」

祖母は「孝を本気で総理大臣にしようと思っていた」と答えた。

そして、「あんなに早く死んでしまうなら、あんなに厳しくしなければよかった」とも。

厳しい祖母が私に対して優しい理由がわかった。


もし、病気で死んでなかったら、

あの祖母が育てたら本当に総理大臣になっていたかもしれないと思う。


祖父が亡くなる数年前、なんの時だったか、祖父は私を「孝」と呼んだ。

亡くなった息子を私に重ねていたのか・・・と思った。

私は「違う」とは言えなかった。

むしろ孝になりたいと思った。


祖母は祖父が亡くなって数年間一人で田舎で暮らしたが、もともと足が悪くもう一人で暮らすことは無理だろうと思い東京に連れて来た。

東京では病院や老人ホームに入った。

祖母は趣味が多かった。

私が知っているだけでも、お茶の先生の他、生け花、日本舞踊、琴、三味線、大正琴、短歌・・・。

老人ホームでも、全てのサークルに入っていたそうだ。

それが全て有料だったと母が嘆いていた。






その頃、介護の世界を知っていれば・・・・。

気が付くのが遅いんだよな〜俺は。。。

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