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利上げに弱気姿勢が見えるまでは買い

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戦前昭和 その1


1926年12月25日。昭和元年。
当時の政権は第一次若槻政権であった (憲政会)
最優先課題は「震災手形」の処理。
大蔵官僚出身の秀才、若槻礼次郎が首相に選ばれたのは、その事務能力への期待であった。

政府の見積もりでは、1億円弱の試算となっており
そこで政府は1億円を日銀に投入し、震災手形を処理しようとする。
「とにかく日銀は震災手形を回収しろっ!」

ところが関東大震災の被害とは全く関係のない経営ミスで不良債権化した手形までが
大量に日本銀行へ 「震災手形」 として持ち込まれてしまう。
そのため、政府がいくらお金を注ぎ込んでも 「震災手形」 の処理は終わらなかった。

昭和2年3月の時点でも、まだ2億円が未決済。
処理が進まないことで、世間では不安が醸成されていく。

「震災手形のせいで銀行の経営が危ないとか?」
「震災手形の未決済のうち、半分は台湾銀行が抱えているらしいぞっ」


若槻内閣は台湾銀行の震災手形を処理を最優先に設定。
しかし国会では、野党の 「政友会」 が厳しく反対論を展開する。

「台湾銀行だけを特別扱いするのかっ!」

非協力的な野党・政友会との折衝のなか、蔵相が口を滑らしてしまう
「この法案が通らないと拙い。既に東京渡辺銀行はとうとう破綻しました」

これは誤報であったが、不安を抱えていた世間に噂はあっという間に広がってしまう。
「銀行が潰れるっ、今すぐ銀行から預金を引き出さなければ手遅れになるぞ!」
人々は通帳を片手に銀行へ殺到。全国で取付け騒ぎ(金融恐慌)が始まってしまうのだった。


とにかく台湾銀行を救済しないと収まらない、、、そう考えた若槻首相は日銀総裁に要請。
「台湾銀行へ2億円を投入せよ」
しかし、日銀も組織防衛の目処がなければ動けない。
「法律か緊急勅令があれば日銀は要請に従います」


若槻首相は思案する、、、議会を開いても政友会は恐らく同意しないだろう。
「それなら枢密院だっ!緊急勅令を出してもらうっ」

枢密院の権限は2つ。
議会が制定する 「法律」 と同等の「緊急勅令」 を出せることと
法案・条約を審査し、場合によっては否決できることであった。
政権は、枢密院を敵に回してはどんな政策も実行できないくらい強大な権限である。

この当時の枢密院を仕切っていたのは副議長の「平沼騏一郎」であった。
彼の支援組織である右翼団体 「国本社」は対中強硬派であり、
若槻内閣(憲政会)の外交に不満を持っていた。
特に、北進する蒋介石に対して、寛容なことに激怒していたのであった。

「枢密院は若槻内閣の緊急勅令案を否決する。台湾銀行への2億円融資は認めない」


これに落胆した若槻首相は内閣総辞職してしまうのだった。


次の首相を誰にするか?これこそ、宮中勢力が持つ最大の権限である。
宮中は他にも内大臣や侍従長といった天皇に直結するポストも保有しており
軍部や右翼とはやや敵対していたのであった。

当時、宮中最大の発言力を持っていたのは元老である西園寺公望

西園寺は 「憲政の常道」 に従って、政友会の田中義一を首相にするよう昭和天皇に奏薦。
こうして政友会の田中内閣が誕生したのだった。


内閣の再優先課題は金融恐慌への対処。

田中首相は政友会の高橋是清を蔵相に任命。高橋は即座に進言する。
「日銀に紙幣を刷って刷って刷りまくらせるのです」
「しかし、、、日銀は勅令が無いと動かないのでは?」
「心配御無用。枢密院へ要請なさいませ」

首相が枢密院に緊急勅令を求めると、驚くことにすぐに返事が返ってきたのだった。
「了承」

枢密院の支援を得た高橋蔵相は、お札の大増刷を命じる。
そして紙幣をトラックに満載させて、銀行の窓口へ山積みするのだった。
これを見た預金者は、銀行に紙幣があるなら一安心、と「取付け騒ぎ」 は収まったのだった。



続く




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