|
金融恐慌をうまく処理した田中内閣 (政友会)に中国大陸から難問が訪れる。 当時の中国では 「奉天派軍閥」 の張作霖が中央政権を掌握していたものの、 蒋介石が着々と勢力を伸ばし、ついに北京まで北進するのだった。 張作霖が敗れれば蒋介石が満州も占領してしまうのは確実。
そうなったら日露戦争以降、満州に築いてきた日本の権益が失われてしまう、、、 そこで田中首相は蒋介石と張作霖の停戦斡旋を提案。 「張作霖は北京の明け渡し。蒋介石は満州への侵攻をストップ」 張作霖を操り人形にして、満州で蒋介石に対抗させようという策であった
蒋介石はこの勧告に応じ、張作霖も受諾。北京を放棄して満州への撤退を開始する。 ところがその途中。列車が大爆発を起こして張作霖は爆死してしまうのだった。 この爆殺を担当したのは関東軍高級参謀の河本大作。 「なんだこれは、、、ふざけるなっ!」
田中首相は激怒。
河本大佐は混乱に乗じて満州全域を武力制圧してしまおうと考えていたものの、 田中首相が断固として出動命令を出さなかったため、関東軍は出動を封じられてしまい そうこうするうちに後継者の張学良が蒋介石に臣従してしまうと、 関東軍は逆に満州に対する影響力を弱める結果に終わったのだった。
田中首相は事件について昭和天皇に上奏。 「甚だ遺憾なことで、軍法会議を開いて責任者を徹底的に処断します」 しかし陸軍と政友会が、田中首相の方針に猛反発。 「田中は陸軍出身のくせに、、、裏切り者だっ」 「軍法会議なんてとんでもない。軽い行政処分で済ませるべきだ」 田中首相にとっての政権基盤が反発となれば打つ手無し。 彼らに押し切られる形で、有耶無耶のまま事件は葬られたのであった。 半年以上も経過してから、田中首相は事件結果を報告するために昭和天皇に上奏。 「関東軍は無関係ですが、警備上の手落ちにより行政処分にします」 「!!、、、、お前が最初に言ったことと違うじゃないか」 「は、は、、、いろいろご説明を、、、、」 「説明を聞く必要はない。辞表を出したらどうだ?」 謁見を打ち切って昭和天皇は奥へと入ってしまう。 田中首相は再度の謁見を求めるが、侍従長 (鈴木貫太郎) は拒否。 「おそらく陛下はお出ましにならないでしょう」 「・・・・・・・」 これをを聞いて田中首相は涙を流しながら恐懼。 昭和天皇に対する忠誠心が人一倍高かった彼にとって政権継続などありえない 「陛下の御信任はすでに去った、、、」 田中首相は即座に総辞職したのであった。 天皇の叱責によって内閣が倒れたことに、天皇もショックを受けてしまう 「、、、立憲君主制においては君臨すれども統治せずが基本。
今後、私は内閣の上奏するものは、たとえ自分が反対の意見を持っていても、裁可を与えよう」
この 「反省」 は独白録からの記述であるが
実際にこの事件以降。昭和天皇が閣議決定を拒否することはなくなったのだった。 そして。 河本大作と入れ替わりの形で関東軍にやって来た天才が一人。 その名は 「石原莞爾」。 彼は河本大佐の失敗を 「反省」 した上で計画を練るのであった。 |
全体表示
[ リスト ]





