沖縄報告の2回目です。前回は市議会のファイルに入れてしまいましたが、「平和」のファイルに改めます。
「ウチナー」と「ヤマト」
沖縄で何度も聞くその言葉の持つ響きに私は、心がざわつきました。
この呼び名に「あなたは侵略者の子孫」というメッセージが込められているように思います。歴史上での加害者の立場を否応なく突きつけられたように思いました。日本本土にいたときには無自覚に過ごしていた侵略した側の問題を改めて感じたからです。
この感覚は、かつて北海道で「アイヌ民族」問題について触れたときに感じた思いに似ています。
アイヌの方は和人を「シャモ」と言いますが、「シャモ」という言葉にはアイヌ民族の歴史や文化を破壊し同化政策によって消し去ろうとした「侵略者」という視点が込められています。
今回の旅で、ウチナーの活動家たちに出会いました。特に琉球独立派の若い議員との出会いの中で、感じた思いは私は「ヤマト」としてなにをすべきかを問われたのだということです。
沖縄を支援するというのはなんと奢った考え方なのかと思い知らさせた旅でした。「自らの歴史を知りなさい、自らの足元を見つめなさい、あなた達がいる日本本土は、ウチナーに3度の琉球処分を行い、基地という重い荷物を背負わせて戦後の60年を歩んできたのだ」という事実を改めて認識させられました。
今回の旅のきっかけは「辺野古を支援したい」という思いからでした。でも、辺野古に行って、毎日毎日カヌーで防衛施設局の調査船と非暴力直接行動で命がけで闘う人たちの前で、「頑張って」なんてとても言えずにいました。彼らは毎日毎日、海の中で海の上で闘っています。なぜ、なんのために?
憲法9条のためではない。9条は琉球をいけにえにして手にした本土のための非戦だった。
琉球にはまぎれもなく、軍隊がいて、軍隊の周辺にウチナーは暮らしている。9条は今も昔もなかった。闘いの結節点はこれ以上の侵略を決して許さない。なぜ、三度四度、ヤマトのための基地なのかということです。
「辺野古を支援するのではない、ヤマトのあなた方の持ち場でやるべき事をせよ」と「お互いの闘いを通して連帯をすることで状況は切り開かれる」とそんなメッセージを受け取って帰ってきました。
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