「ニライカナイ」の思想に思う
沖縄の西海岸を走っていると、全ての墓(墓というより小さな家と表現した方があたっている。立派な建物だ。)が西の海に向かってたてられていることに気が付く。
ちょうど訪ねた時期が「シーミー」という本土の「お盆」にあたる時期でもあったので、親族がお墓参りをしている光景にも多く出会った。
琉球文化の中に「ニライカナイ」という思想があるという
生きとし生けものすべての魂はニライカナイより出で、死し時に魂はニライカナイへ帰る。琉球では死後7代にして死者の魂は親族の守護神になるという考えが信仰され、後生(ぐそー:あの世)であるニライカナイは、祖霊が守護神へと生まれ変わる場所、つまり祖霊神が生まれる場所でもあるという。
ウチナンチューは、とても家族、親族を大切にするし、墓や祖先も大切にする。
戦争の時、「集団自決」「集団死」という悲しい過去は、軍国主義がもたらした忌まわしい事実だけど、「愛するものだからこそ我が手で」という考え方の底流には、そういう家族や親族に対する強い結びつきがあるのかもしれないなあと思ってしまった。
いい意味でも悪い意味でも個人主義的な時代の中で育った私は、愛するものだからこそあなたはあなたの人生を、私は私の人生を生きるというところで、割り切ってしまえる冷たさ(?)がある。
家族が同じ墓に入るという感覚も乏しい。
「ニライカナイ」の思想、無神論者の私には、理解の範囲を超える考え方だけど、異なる文化風習にふれロマンがあるなあとも思った。
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