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人権

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 今回の議会に意見書を2本提出した。一つは生活保護の母子加算の早期復活を求めることと父子家庭への児童扶養手当の支給を求める内容、もう一つは新たな在留管理制度(管理強化と自治事務への越権行為にあたる)と外国人登録制度に関する内容。

 でも、実はもう一本出すかどうか迷いながら結局出せなかった意見書がある。
「臓器移植法の改正に関する意見書」だ。
命の終わりを家族が決めることに関わる法律を拙速に決めないでほしい、慎重に議論してほしいし、国民の意見を聞いてほしいという内容の意見書を書き上げて結局提出できなかった。

 なぜ出せなかったのか?
それは、私自身がかつて移植以外に助からない子と出会い、渡航のための募金活動をしたことがあるからだ。つまり、国内で移植を待つ患者家族の気持ちを当事者とごく近い立場で共有していたから。
生きたいと願う子どもや生きるための方法があるのならそれにかけたいという親の切ない思いを知っているから。

 なのになぜ拙速な判断をするなと意見書を書いたのか?
それは、小児救急の現場をわが子の経験を通して知っているから。
命の終わりを親が決めることくらい残酷なことはない。親は、子が瀕死の状態にあるとき、自分の命と引き替えてこの子を助けてと願う。
命の終わりはいつなのか、移植のために法律で決めていいのか?
脳死に至る子はほとんどの場合は突然の事故だ。さっきまで元気な子が突然、死を宣告される。
しかも、機械で呼吸が保たれているとはいえ、手も足も温かく眠っているようにしか見えない。どうして、臓器提供のために機械を止める、つまり、我が子の死の時を決定する事ができるだろうか?
 
 治療が尽くされ、親がその死を受け止めるまでは相当な時間がいることだろう。しかし、今回のA案は「脳死は人の死」「本人の承諾が無くても移植は可」という内容だ。

 移植は治療とは言えない。それはあくまで緊急避難的な一時的治療と押さえてほしい。
 少なくとも心臓外科においては、複雑な刺激伝統系や心筋が入り組む心臓の内部を神の手技とも言える正確さで直していくその技術的な進歩とさらに、身体への負荷をできるだけ押さえた人工心臓の改良をもっと進めるためにこそ予算をかけ医師の育成を計ってほしいと思う。小児救急の現場にも多くの予算と人的な配置が必要だ。それがあっての最後の手段としての移植でなければならない。
 命の重さに差はない。どんな状態でも人は生きているそれだけで価値があるのだから。
何を人の死とするのか誰がそれを決めるのか、根幹に関わる議論が足りなすぎる。


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