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松山「坂の上の雲」を問う会というところから全国シンポジウムの案内が来た。愛媛県まではとてもいけないので、机の片隅においていたが、議会も終わり時間ができたのでじっくりと案内文を読んでみた。
歴史の事実を一定の価値観でゆがめてあたかも真実であったかのように「坂の上の雲」のドラマが作られているという内容の文章。「日清・日露戦争」が日本にとってやむを得ない選択であったと、そうしなければ列強からいつ攻め込まれるか分からない状況であったという司馬史観による解釈の元で組み立てられているという。
私は小説そのものを読んでいないので何とも判断できないが、一般論として「歴史」の真実とされることは起こった事実の解釈如何で180度変わってしまうことはままあると思っている。どういう事実を歴史解釈に取り入れるのか、そしてどういう立場でそれを解釈するのかで本当に恐ろしいほどの違いが生まれる。それを言うと不可知論になってしまいそうだが、そうなることの危険性を知った上で、批判的に歴史ものを見ていかなければならないと思っている。やっかいなことに書物に残る歴史のほとんどは、統治者側からの視点の歴史だから統治された民衆や侵略された民族の側からの資料はよほどマニアックでなければ知ることなどできない。権力側からの解釈はいつも負の歴史事実を正当化するために都合のよい史実をもとに都合のよい論理展開をする。だから、朝鮮独立のためといいながら朝鮮を侵略し、朝鮮を防衛するためやむを得ない戦争といいながら「日露戦争」を仕掛けていった。その後に続く、昭和の15年戦争、中国への侵略の時も全く同じ論法で時の政府は日本国民を戦争へと駆り立てていった。見事なまでの「大衆操作」。
そして、多くの日本人は、「戦争への道」を自ら選択していったことは周知の事実。
今年は韓国併合100年だが、いまだに続く「大衆操作」の一つが「坂の上の雲」ブームなのかも知れない。
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