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私が参加しているメーリングリストのキャッチフレーズ。
今日はうれしいニュースが入ってきた。
最近は暗い話題が多かったからなあ・・・。
中日新聞の朝刊社会欄に載っていた。インクーシブ教育へ向けての第一歩。
中日新聞 P37 社会12版2010年12月4日(土)
[見出し]障害児の希望尊重へ 普通学校への進学 中教審が改正確認
[本文]
障害がある子どもについて議論している中央審特別委員会は3日、障害の程度が一定以上の場合は原則、特別支援学校に進む現在の仕組みから、本人や保護者が希望すれば、できるだけ普通学校に進めるよう改めることを確認した。
特別委は今年度中に審議を取りまとめ、政府の「障がい者制度改革推進会議」に報告する。同会議で検討が進む障害者基本法の改正を経た後、文部科学省も特別支援学校の就学基準などを規定している学校教育施行令などの関係法令の改正を目指す。
特別委の議論では、障害のある子どもとない子どもが共に学ぶことは共生社会の形成に向けて意義があるとの意見が大勢を占め、就学先の決定では、障害の状態や本人と保護者の意見に加え、専門家の意見、学校の状況を総合的に判断するのが適当とした。
最終的には市町村教育委員会が決めるが、本人と保護者の意見をできるだけ尊重することを求め、保護者と教委の意見が一致しない場合の調整の仕組みも検討が必要としている。
障害のある子を受け入れる場合、エレベーターなどの設備や専門的な教員が必要となるため、今後、環境整備の方法や教員の確保策を検討する。(本文のまま)
考えてみれば当たり前のこと。一緒に育ち一緒に学ぶ中から、互いを理解する気持ちや助け合う方法も生まれてくる。分けておいて、後から、つまり学齢期を終えてから、「さあ、ノーマライゼーションですよ。一緒に働きましょう、暮らしましょう」って、そりゃ無謀な話です。
こんなことを言うと、「障がいに応じた支援を否定している」と反論する極論者がいるが、「障がいに応じた支援もその治療や訓練も必要だからこそ、一緒にいる時間と空間は分けちゃいけない」一緒にいることを当たり前として、そのためにできることをお互いに探って行かなくちゃ。「障がいをもつ子」を特別な存在ではなく、一緒に育ちあう仲間として共にいることで、訓練も治療も活きてくる。
訓練のための訓練、治療だけに明け暮れて、子どもとして育ちあう事を奪われた子ほど哀しい子はいないのですよ。我が子の経験からの実感です。
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