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朝日新聞の夕刊に「作家」の重松清氏が書かれた文章が載っていた。
1991年からの20年間、経済的に日本がじり貧になり、社会不安も増していった時代に生まれ育った新成人に送る言葉が書かれている。「失望はしても希望を捨てるな。」「希望のもっとも根源的な定義は生き延びる底力」そして「希望は坂の上ではなく足元にある。」と。
私も1991年に初めて親になった。生まれた子は心臓に重い障がいをもち、3度の手術を経て今年、成人する。「ここまで育ってくれてありがとう」と心から思う。手術の度に「無事に終わって」と祈り何時間も手術室の前を行き来したことが昨日のことのように思い出す。
小さな命は医師や看護師などの医療関係者をはじめ、保育園、彼を取り巻く多くの人たちのおかげで救われた。その出会いに心から感謝したい。
20歳を迎えたその子は今、医療関係の仕事を目差している。手話を学び、自分と同じく障がいをもつ人たちともつながろうとしている。
でも、まずは「命」そのものを大切にする人であれと願う。
自分の命を大切にできなくて他人の命を救うことなど到底できない。
「内部障がい」故にできないことがあっても、希望は捨てず、多くの人のおかげで救われた君の命と健康を大切にして、できないことを嘆くのではなくできることに力を尽くしてほしい。君のような重い障がいの子が成人し、社会の中で自立し生きている、そのことそのものが同じ障がいをもって生まれた子どもや親たちに大きな希望になるはずだから。
1991年に生まれた君たち、我が子も含めて願うのは「人を殺すための理由、命を奪うためのどんな理由も認めないでほしい。」ということ。
「国のため郷土のため」まして「恋人や親のため」に「死んでいくことを善し」とする「殺すことを善し」とするどんな論理もあり得ない。
自分の命を犠牲にして、一人一人の命を踏みにじって守るべき大義などありはしない。生きている命はそれだけで価値がある。生まれ来る命はそれだけですばらしい。能力や障がい、出生地や国籍、身分や思想信条、どんなに違いがあってもなくても・・・。
1991年に生まれた君たちが、これからつくる未来は、なによりも「命」を大切にする社会であってほしい。
坂の上の「大義」のために足元の小さな「命」を踏みにじる社会にしてはいけない。「希望は坂の上ではなく、足元にある」のだから。
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